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2024.10.10

【擬洋風建築3】四隅は石組み風の黒漆喰 ― 旧睦沢学校校舎(山梨県)

旧睦沢学校校舎(山梨県)JR甲府駅北側の広場のシンボルとなっている旧睦沢学校校舎

洋風建築は明治時代初期の文明開化と共に急速に地方に伝わった。具体的には小学校や県庁舎などの公共的な建物から始まった。擬洋風建築の建設に力を注いだことでは山梨県令(県知事の前身)・藤村紫朗しろうや山形県令・三島通庸みちつねらが知られている。現代に残った擬洋風建築を将来に伝えるには、建物の適切な維持・管理に加え、だれもが親しめる活用法がカギを握る。

 

JR甲府駅北口の広場の一角に、木造2階建ての擬洋風建築の建物がある。1875年、山梨県睦沢むつざわ村(現在の山梨県甲斐市)に建設された旧睦沢学校校舎だ。1967年に重要文化財に指定。2010年8月、2度目の移築で現在地に復元された。

建物中央の玄関車寄せ、バルコニーのついた2階、黒塗りアーチ形の窓枠、屋根の上に載せた塔屋などに洋風デザインを見ることができる。外壁は漆喰しっくい塗りの白壁。四隅は黒漆喰で石を組んだように見せている。瓦ぶき屋根中央に塔屋がある。

擬洋風の学校建築のモデルとなった旧睦沢学校校舎

当時の県令・藤村紫朗が山梨県内各地に積極的に奨励した擬洋風建築で、県内では「藤村式建築」と呼ばれている。藤村は特に学校建築に力を入れた。旧睦沢学校はその先駆け的な存在。以後、次々に建てられた学校建築のモデルとなった。現在は「藤村記念館」と命名され、歴史や民俗の教育資料館として活用されている。

甲府市歴史文化財課の担当者は「旧睦沢学校は建物の老朽化により1960年代初めには取り壊される寸前となった。保存を求める有識者の取り組みにより甲府市に移築され、今日に伝わった。そうした経過も知ってほしい」と話している。

(2024年10月6日付 読売新聞朝刊より)

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