菊や鶴を表した豪華絢爛な屏風。1928年(昭和3年)の大礼に際して、京都市から献上されたものだが、ここには何も描かれていない。すべてが刺繍で縫い表されているのだ。
「閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風」は、右隻が「閑庭鳴鶴」。菊の咲くみぎわに2羽の鶴を表す。水面も穏やかな森閑とした庭に、鶴の鳴く声だけが響き渡る。左隻が「九重ノ庭」。宮中を指す古くからの言葉だ。皇室を象徴する菊の花が、整然と、しかし、旺盛に咲き誇る。図柄のない地の部分は、絹織物に金糸を織り込む。「梨地織」といわれる技法で、凸凹のある独特の風合いを持つ。
その上に、気の遠くなるような手作業によって無数の糸を刺繍し、図柄を表している。絵画とは全く異なり、糸の一本一本が立体感と光沢に富み、鶴の質感などは本物の羽毛のようだ。鑑賞する角度によって光の反射の具合が変わり、様々な表情を見せてくれる。
「京都市大礼奉祝誌」(京都市編、1930年刊)によれば、本作は昭和の大礼を奉祝するため高島屋が制作し、京都市の「特産品」として献上したという。このほか、下絵を描いた絵師、刺繍の職人、表装を手掛けた職人などの名前が記録されている。
工芸の粋を尽くして制作された本作は、大礼をことほぐと同時に、京都の面目を示すものだった。原画となったのは、狩野派の祖、狩野正信の子、元信の絵とされるが、現存は確認されていない。
一方、このとき皇太后(貞明皇后)には、御物・伊藤若冲筆「動植綵絵」のうち、「老松孔雀図」(皇居三の丸尚蔵館収蔵)をもとに、京都の刺繍作家田中利七が制作した四曲一隻の屏風が献上されている。
同じ作者による同じ図様の作品が清水三年坂美術館(京都市東山区)に収蔵されるが、献上された作品の行方は知られていない。
(皇居三の丸尚蔵館研究員 上嶋悟史)
◇開館記念展「皇室のみやび―受け継ぐ美―」
第4期「三の丸尚蔵館の名品」【会期】〔2024年〕6月23日(日)まで。月曜休館。会期中一部展示替えあり。
【会場】皇居三の丸尚蔵館(皇居東御苑内)
【問い合わせ】050・5541・8600(ハローダイヤル)
(2024年6月2日付 読売新聞朝刊より)
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