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2023.11.22

文楽 奥州安達原 ― 悲しい雪 にじむ親子愛

あまりの寒さに、気を失いかける袖萩(右、吉田和生)を優しく介抱するお君(桐竹勘次郎)=いずれも上田尚紀撮影

人形浄瑠璃文楽のドラマの核には、愛別離苦の悲劇がある。我が子を犠牲にする親の苦渋や、離ればなれになった親子の再会と別れは繰り返し描かれてきた。「伽羅めいぼく先代萩」の千松、「傾城けいせい阿波の鳴門」のおつるのように、子役が重要な役目を担う作品もある。

大阪・国立文楽劇場で上演中の「奥州安達原」もそんな作品の一つで、盲目となった袖萩そではぎとその父母、袖萩の娘・お君の親子3代の情愛が軸になっている。

袖萩の夫・安倍貞任(手前、吉田玉男)は、環の宮誘拐の首謀者だった

天皇の弟・たまきの宮の守り役、直方なおかたは宮の誘拐事件で窮地に陥っている。直方の娘・袖萩は、東国の浪人と駆け落ちして親に勘当された末に、夫と離ればなれになり、貧苦の果てに失明。10歳になる娘・お君を連れて物乞いになっている。

袖萩を遣うのは人間国宝の吉田和生。お君役を桐竹勘次郎が勤める。父母を訪ねた屋敷の門前で、袖萩は破れ三味線を弾き、自らの哀れな境遇を即興歌「祭文」に託して許しを請うが、両親は許すわけにはいかない。

袖萩を遣うのは人間国宝の吉田和生
盲目の袖萩(右)は屋敷の門口で、三味線を弾き、哀れな身の上を歌う 

寒さのあまり、しゃくを起こし、気絶寸前の袖萩。お君は自分の着物を脱いで掛け、雪をすくって気付けのため、袖萩の口元にふくませる。

冷たさに耐えかね、雪をこぼしてしまう場面で、勘次郎は前回、師匠の桐竹勘十郎に「熱くて落としたように見える」と指摘され、「触れた瞬間ではなく、持っているうちに冷たくなる芝居を」と助言された。

以来、反射的に落とすのではなく、雪がだんだん冷たく感じられ、我慢できなくて落とす演技を心がけている。かじかむ手にふっと息を吹きかけ、もう一度すくって運ぶ。

「子役を遣う時は、自分の体も縮めて肘を張らないよう気をつけています。お君は袖萩の目でもある。子どもらしさを残しつつ、周囲を観察して母親をサポートする冷静さも大事にしています」

親子の再会もつかの間、袖萩には死期が迫る
袖萩の父も娘婿の謀反を知って切腹する
数奇な運命の末にお君は父・貞任と巡りあう

終盤、手紙の筆跡から、袖萩の夫は奥州の豪族・安倍貞任さだとうで、環の宮を誘拐した首謀者だと判明する。直方は責任を負って切腹し、袖萩も自ら命を絶つ。

親子の別れが観客の涙を誘うのは、手のひらの雪の感触まで、リアルに表現する細部の積み重ねがあってこそだろう。

(編集委員 坂成美保)

奥州安達原おうしゅうあだちがはら

初演は1762年、大坂・竹本座。近松半二らの合作による時代物で、源頼義・義家親子が陸奥の豪族・安倍氏を討伐した「前九年のえき」が題材になっている。複雑な人物相関と謎解きの要素が盛り込まれているのが特徴。安倍氏と源氏の対立に、巻き込まれていく袖萩の家族の悲劇が描かれる。

国立文楽劇場「〔2023年〕11月文楽公演」で26日まで上演中。第1部は「双蝶々曲輪ふたつちょうちょうくるわ日記」「面売り」。第2部は「奥州安達原」。第3部は「冥途めいどの飛脚」。(電)0570・07・9900。

国立文楽劇場1階ロビーでは上演期間中、最新のデジタル技術によってゲーム感覚で、人形の動き「型」を体験できるイベント「デジタル文楽」=写真=を開催している。体験無料。 

(2023年11月22日付 読売新聞夕刊より)

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