日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2023.1.5

【工芸の郷から】笠間焼…自由で多彩な作風「特徴のないのが特徴」 海外展開にも力(茨城県笠間市)

1992年に国の伝統的工芸品に指定された笠間焼は、自由で多彩な作風から「特徴のないのが特徴」と言われる。ただ、その歴史は250年と長く、江戸時代・安永年間(1772-81年)に笠間藩箱田村の名主・久野半右衛門が、信楽焼の陶工に出会い、窯を開いたことに始まる。

個性豊かな笠間焼(笠間焼協同組合提供)

大消費地・江戸に近く、きめの細かい良質の粘土はろくろ向きで、かめやすり鉢など日用雑器を大量生産した。明治には中興の祖・田中友三郎が「笠間焼」の名を全国区に広めて生産量が拡大するが、昭和になると生活スタイルの変化で低迷した。戦後は茨城県窯業指導所(現・県立笠間陶芸大学校)が設立され、個人作家が集う「芸術村」的な産地に生まれ変わった。

その発祥の地である笠間市箱田の窯元「久野陶園」が今、存続の危機にある。江戸期の基盤に構築されたという本焼き用の登窯のぼりがま(市指定文化財)がある工場こうばの建物の老朽化と継承者の不在に直面した。工場には昭和半ばまで活躍したベルト式動力轆轤ろくろ(モーター駆動)など、産業遺産的な機械が現役のまま残る。窯元の14代目・伊藤慶子さん(62)は、「忙しい時は職人の家族も総出で工場で働くなど、半農半陶の現場だったようです」と説明する。

250年の歴史を持つ笠間焼発祥の地で、存続の危機にある「久野陶園」の工場(茨城県笠間市で)
久野陶園で今も動くベルト式動力轆轤(モーター駆動)をチェックする14代目の伊藤慶子さん(茨城県笠間市で)

久野陶園を後世に残そうと、伊藤さんと友人の芸術家らが2020年12月、「久野陶園をやっていく会」を結成。今年2月から約2か月間、建物修理やスペース創設の費用をクラウドファンディングで募り、目標額約1000万円を集めた。今後、倉庫をギャラリーと貸しスペースに改良する予定だ。

同会を運営する彫刻家の佐々倉文さん(48)は、「まず笠間焼の発祥地・久野陶園を多くの人に知ってほしい。笠間焼をやりたい人が誰でも出入りできる開けた場所になれば」と、未来を見据える。

伝統工芸産業の国内市場が低迷する現代、笠間焼は海外市場に目を向けている。笠間焼協同組合によると、18、19年と英国で選定作家の作品を販売した。20年には笠間焼海外販路開拓協議会が発足し、ロンドンで販売展示会も開催してきた。日本酒ブームで酒器などの人気が高いという。

英国での人気の理由について、同組合海外販路担当の磨屋うすや潤さん(41)は「ハンドメイドの良さに価値が見いだされている。長く続くファンを持つことが大事」と話す。

イギリスのデザイナーらと笠間の陶芸家がコラボして生まれた多彩な笠間焼の器

最近は英国のデザイナーらとのコラボ作品や、海外向け電子商取引サイト(ECサイト)も展開。「KASAMA」ブランドは着実に広がり始めている。

(読売新聞東京本社文化部 井上晋治)

(2022年12月28日付 読売新聞朝刊より)

Share

0%

関連記事