私たちの生活はやきものに彩られ、支えられています。毎日の食卓に並ぶうつわはもちろん、鍋料理を作る土鍋、オフィスで使うコーヒーカップ、キッチンや洗面所の壁のタイル、テラコッタの植木鉢、ブタの貯金箱、そして洗面台やトイレまで。
日本のやきものは「陶磁器」とも呼ばれるとおり、「陶器」と「磁器」という二つの種類が主流です。この2種類の違いはご存じですか?
まずは見た目が違います。陶器は土のぬくもりを感じさせ、磁器は硬くて艶があります。
それに鉛筆などでたたいた時の音も違います。陶器は鈍い音がして、磁器は高く澄んだ音がします。
その理由は、材料や作り方が違うからです。陶器は「土物」といわれるとおり、陶土と呼ばれる粘土で作られ、一方、磁器は「石物」といわれるとおり、陶石と呼ばれる石の粉を主成分に作られます。
よりよく知るために、日本のやきものの歴史をたどってみましょう。土器に始まり、炻器、陶器、磁器の順で作られるようになりました。
トップバッターの土器は、文字通り「土のうつわ」です。古代の縄文式土器や弥生式土器でおなじみですね。
土をこねて形を作り、野焼きなどをしました。焼き上がると、固まって水漏れしにくく、火にくべられるようになります。そして煮炊きや貯蔵に使ったのです。
奈良時代や平安時代にも、庶民は土器を使い続けました。土師器と呼ばれます。そして土器は現代にも生きています。土鍋や土瓶は、火にかけても割れない土器の性質を利用したやきものなのです。
土器に続いて、古墳時代に登場したのが炻器です。朝鮮半島から来た陶工が、窯を使って焼く技術を伝えたもので、須恵器と呼ばれます。
そして古墳時代末、いよいよ陶器を作る技術が朝鮮半島から伝わりました。
陶土とよばれる粘土をこねて形を作り、表面に釉薬をかけ、窯に入れて高温で焼き上げます。釉薬は「うわぐすり」とも呼ばれるガラス質の物質です。うつわを焼くと釉薬が溶けて薄いガラス状の膜となり、うつわの表面をおおい、釉薬の色も緑や黄色などに変わります。古代の人々は色鮮やかなうつわに目を奪われたことでしょう。
奈良時代には、中国・唐の「唐三彩」を手本に、国の工房で「奈良三彩」が作られました。「三彩」の名の通り、緑、黄色、白色という3色の釉薬で彩った陶器です。
といっても庶民はいまだ土器を使っており、陶器は貴族が使う高価なものでした。奈良三彩は東大寺の正倉院にも伝わっており、神様を祀る儀式などで使われたようです。
ところで、釉薬をかけずに焼いても、うつわに光沢がでることがあるのをご存じですか。その秘密は、窯の中で自然に舞い上がる灰です。うつわを焼いているときに陶器の上に灰が降りかかり、灰に含まれるガラス質がとけて、まるで釉薬をかけたようになるのです。「自然釉」と呼ばれます。
現在の愛知県・猿投窯では自然釉をヒントに、植物の灰から作った釉薬をかけて焼く「灰釉陶器」が作られました。
鎌倉時代になると、現在「六古窯」とよばれるやきものの6大生産地が確立します。瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、そして備前です。
このうち、釉薬をかけて焼く陶器を作ったのは、愛知県の瀬戸だけでした。やきもののことを「瀬戸物」ともいうとおり、有名な産地です。瀬戸では、当時高級だった中国産の磁器の端正な美しさに近づけようと、釉薬だけでなく、うつわの表面にへらで模様を描いたり、型を押し付けたりする装飾技法も発展しました。
一方、瀬戸以外の六古窯では、釉薬をかけないで焼く「焼き締め陶器」が大量に作られました。壺や甕、すり鉢など、土の素朴な味わいと力強さをもつ、まさに民衆のやきものです。
釉薬をかけないからといって、芸術的に退化したわけではありません。これは、日本独自の美的センスのなせる業です。歪んだ形や、灰がついて生まれた模様など、人の技を超えて土と火が織りなす造形を、「美しい」と感じるセンスです。
そうしたセンスに磨きがかかったのが、室町時代以降に盛り上がった茶の湯の世界でした。
茶の湯で使うやきものは当初、中国産の「唐物」が最高とされ、日本の窯でもそのスタイルを手本としました。しかし徐々に日本独自の様式が打ち出され、桃山時代に大きく花開いたのです。
最後に大トリ、磁器の登場です。
粘土で作る陶器とは違い、磁器は白い石を砕いて作るため、艶やかで白い素地を持ちます。
平安時代以降、中国から運ばれてくる純白の磁器は人々の憧れでした。「日本でも磁器が作れたら!」という積年の思いもむなしく、日本には磁器の原料になる石も技術もありませんでした。
しかしその憧れは、あたらしい美を生み出しました。そのひとつが桃山時代の「志野焼」です。長石という白い石を原料とした釉薬をかけた陶器で、磁器のつややかな白とは異なる、柔らかでぬくもりのある白が魅力です。
そしてついに江戸時代初め、日本初の磁器が誕生しました。朝鮮半島から渡来した陶工が、現在の佐賀県・有田の山の中で原料となる陶石を発見したのです。有田焼のデザインは、真っ白な素地に青い絵を描いた染付からスタートしました。その後、赤や緑などの鮮やかな色絵や、金も使う金襴手の技術が完成します。こうした装飾は、うつわを高い温度で焼いたあとで、表面に絵を描いて低い温度で焼き付けることで実現しました。
将軍や大名を魅了したのはもちろんのこと、輸出されてヨーロッパ貴族の邸宅も飾りました。
今回は、陶器と磁器の違いを糸口に、めくるめく日本のやきものの歴史をひもときました。みなさんも身の回りのやきものの素材や作り方に思いをはせてみてください。そしてぜひ先人たちが土や火と格闘して作り上げた芸術を見に、陶磁器の展覧会におでかけください。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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