前回は北白川宮能久親王が台湾で客死した話を記したが、その後も、北白川宮家は悲劇に見舞われた。今回は、「悲劇の宮家」とも呼ばれた、その北白川宮家の話である。
北白川宮家は、伏見宮邦家親王の第13王子・智成親王を初代とする。智成親王は聖護院門跡になったが、明治維新後に還俗し、北白川宮となった。智成親王は明治5年(1872年)に17歳で死去したため、兄の能久親王が北白川宮家を継承することとなった。
能久親王は嘉永元年(1848年)、1歳で輪王寺宮門跡となり、慶応3年(1867年)、江戸・上野の寛永寺に入った。時代の綾で、翌年の戊辰戦争では、彰義隊と共に寛永寺に立てこもり、新政府軍と対峙することになった。彰義隊敗北後は寛永寺を脱出し、榎本武揚率いる幕府海軍船にて逃亡。会津、米沢を経て、仙台藩に身を寄せ、奥羽越列藩同盟の盟主にまでなってしまった。ご存じの通り、明治元年(1868年)9月15日、仙台藩が新政府軍に降伏し、幕府軍は敗走することとなる。能久親王は、京都・伏見宮家にて、蟄居の身となった。
翌明治2年には処分が解かれ、明治3年には、プロイセンに軍事留学をした。留学中の明治5年に前述の通り、弟・智成親王が死去したため、北白川宮家を相続することとなった。そして、前回お話しした通り、明治28年(1895年)、台湾に近衛師団長として出征したところ、現地でマラリアに罹患し、台南にて死去したのである。
次の当主となったのは成久王である。成久王は、能久親王の第3王子として、明治20年(1887年)に生まれた。能久親王が明治28年に逝去したことにより、北白川宮家を相続した。
成久王は明治42年(1909年)、明治天皇の第7皇女・房子内親王と結婚。兄にあたる恒久王は、明治39年(1906年)に竹田宮家を創設し、明治41年(1908年)に明治天皇の第6皇女・昌子内親王と結婚している(【ボンボニエールの物語vol.4】明治41年 皇女たちの結婚の物語) 。
成久王は大正10年(1921年)、フランスのサン・シール陸軍士官学校へ留学した。房子妃も追って渡仏。大正12年(1923年)、同じくフランスへ留学していた義弟・朝香宮鳩彦王や房子妃と共に、成久王運転の自動車でドライブに出た。その際に事故が起きて、成久王は即死してしまう。35歳の若さであった。同乗の房子妃と鳩彦王も重傷を負い、房子妃は一生杖を要するようになった。
北白川宮家を相続することになった永久王は明治43年(1910年)、成久王の第1王子として生まれた。昭和6年(1931年)、陸軍砲兵少尉に任官した際には、砲弾形のボンボニエールが作られたので、覚えていらっしゃる方もおられるだろう(【ボンボニエールの物語vol.27】終戦記念日に寄せて、の物語) 。 昭和10年(1935年)には徳川祥子と結婚し、幸せな生活を送っていた昭和15年(1940年)、華北に初出征した際に現地で戦闘機に接触し、31歳で死亡した。
北白川宮家は、当時3歳の道久王が相続することになった。
33歳で夫を、50歳で一人息子を失った房子妃の悲しみ、心中を察するに余りある。
北白川宮家を支えた房子妃は、子どもたちの慶事に際し、数多くのボンボニエールを作り、その幸せを祈念している。今までも折に触れご紹介してきたが、そのいくつかをご紹介しよう。
可愛らしい桃の実形の小皿は、北白川宮佐和子女王が東園基文と結婚する際に北白川宮家で催された、午餐の折のボンボニエールである。2人の結婚に際しては、この他にもいくつかのボンボニエールが作られている(【ボンボニエールの物語vol.14】皇室 新年の物語 その2/羽子板形桐桃文・宮内庁三の丸尚蔵館蔵)。
朱漆塗のボンボニエールは、北白川宮多恵子女王と徳川圀禎の結婚披露の際のものである。牡丹は多恵子女王のお印である。
「慶びの小箱」であるボンボニエールの中で、異彩を放つ一品が冒頭の写真のボンボニエール。永久王逝去後の三年祭の際のものである。このボンボニエールの存在を知った際、あまりの衝撃にすぐに福井まで調査にうかがったのだが、その行きの新幹線の中で、永久王妃祥子様の訃報に接したのである。「悲しみの小箱」の思い出である。もっとも神道では、亡くなられた方は皆、神様となり、年祭はお祝いであるという。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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