運慶仏七軀による鎌倉期北円堂、奇跡の再現。

世界遺産・興福寺は、710年の平城遷都の際、現在の地に誕生し、1300年の時を重ねています。境内の北西に位置する北円堂は、創建者である藤原不比等(ふじわらのふひと)の追善のために721年に建立されるも、1049年の火災、1180年の平氏による南都焼き討ちで二度にわたって焼失してしまいます。復興には長い年月が費やされ、1210年頃に堂が完成、造像は氏長者近衛家実(このえいえざね)の命により運慶一門が手がけ、1212年頃には北円堂諸仏が再興されています。


堂内に安置する仏像は、創建時にならい、弥勒如来をはじめとする9()とされました。弥勒三尊像の両脇には、北インドで活躍し、法相宗の根幹となる唯識(ゆいしき)思想を確立した無著・世親兄弟の像が控えます。このとき完成した像のうち、今に伝わる弥勒如来像、無著・世親像の3軀は、力強さや写実性を持ち合わせつつ、静かな落ち着きに包まれており、ここに運慶が晩年に到達した境地を見ることができます。


また、このときの北円堂の四天王像は長い間失われたものとされてきましたが、現在中金堂に安置されている四天王像がこれにあたるという説が近年支持を集めています。にぎやかな装飾、激しい表情の四天王像は、弥勒如来像、無著・世親像とは雰囲気を異にしますが、天平彫刻を基調としたその優れた造形から運慶一門の作とも考えられています。


本展では、北円堂の弥勒如来像と無著・世親像、中金堂の四天王像を組み合わせて展示することで、鎌倉復興当時の北円堂内陣の再現を試みます。弥勒如来像は、2024年度の修理を経て、約60年ぶりに東京で公開されます。運慶の最高傑作が織りなす祈りの空間を、ぜひお楽しみください。

国宝 世親菩薩立像(部分) 運慶作
鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵

国宝 世親菩薩立像(部分) 運慶作 倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵

国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作
鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵

国宝 弥勒如来坐像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵

国宝 無著菩薩立像(部分) 運慶作
鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵

国宝 無著菩薩立像(部分) 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵

国宝
四天王像のうち広目天(部分)
(中金堂)
鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵

国宝 四天王像のうち広目天(部分)(中金堂) 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺

国宝
四天王像のうち増長天(部分)
(中金堂)
鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵

国宝 四天王像のうち増長天(部分)(中金堂) 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵

国宝
四天王像のうち持国天(部分)
(中金堂)
鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵

国宝 四天王像のうち持国天(部分)(中金堂) 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺

国宝
四天王像のうち多聞天(部分)
(中金堂)
鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵

国宝 四天王像のうち多聞天(部分)(中金堂) 鎌倉時代・13世紀 奈良・興福寺蔵

撮影:佐々木香輔

興福寺北円堂について

藤原不比等の追善供養のため、一周忌にあたる721年8月に元明(げんめい)元正(げんしょう)天皇が、長屋王(ながやおう)に命じて建立させたと伝えます。興福寺伽藍の中では西北隅に位置していますが、ここは平城京を一望の下に見渡すことのできる一等地で、平城京造営の推進者であった不比等の霊を慰める最良の場所でした。度重なる災禍に遭い、1180年の南都焼き討ち後、1210年頃に再建されました。現存する興福寺の堂宇(どうう)の中で最古の建物で、国宝に指定されています。


八角形の円堂で、内陣には同じ八角形の須弥壇(しゅみだん)があり、本尊・弥勒如来坐像をはじめとする9軀の仏像が安置されています。奈良時代の建築の特徴を残した和様建築の傑作として知られており、日本に現存する八角円堂で最も優美な建築と賞賛されています。

国宝 興福寺北円堂 外観
撮影:佐々木香輔