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みどころ

1. 空海の寺、神護寺。真言密教の源流1200年の至宝集結

唐で体系的な密教を学んだ空海は、その成果をもとに真言密教を打ち立てました。密教では教義の世界観を示す曼荼羅や儀式で使う法具など、数多くの美術工芸品が生み出されました。会場では、空海の生きた時代に制作された、彫刻・絵画・工芸の傑作をはじめ、国宝17件、重要文化財44件を含む密教美術の名品など約100件を展示します。

国宝釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)
平安時代・12世紀 後期展示

詳しい作品解説Q&A

国宝伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 前期展示

詳しい作品解説Q&A

(部分)

国宝灌頂暦名(かんじょうれきみょう)
空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 
7月17日(水)~8月25日(日)展示

2. 寺外初公開、本尊の国宝「薬師如来立像」

神護寺の前身寺院にまつられていたのが本尊「薬師如来立像」です。量感あふれる造形、威厳あふれる表情は、独特の迫力を生み出し、平安初期彫刻の最高傑作といえます。本展は寺外で本尊の荘厳さにふれていただく、神護寺史上初の機会です。

詳しい作品解説Q&A

国宝薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 通期展示

3. 約230年ぶりの修理、国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」

金剛界と胎蔵界、密教のふたつの世界観を図示したのが両界曼荼羅です。高雄山神護寺に伝わったため、「高雄曼荼羅」と呼ばれる本作品は、4メートル四方の大きさを誇る、空海在世時に制作された現存最古の両界曼荼羅です。江戸時代以来、およそ230年ぶりに修理された姿をご覧いただきます。

詳しい作品解説Q&A

国宝両界曼荼羅(りょうかいまんだら)高雄曼荼羅(たかおまんだら)
平安時代・9世紀 左【金剛界】後期展示/右【胎蔵界】前期展示平安時代・9世紀
上【金剛界】後期展示/下【胎蔵界】前期展示

4. 現存最古の「()大虚空蔵(だいこくうぞう)菩薩(ぼさつ)坐像(ざぞう)」が勢揃い

空海の後を継いだ真済(しんぜい)の代に安置された国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」は、日本でつくられた作例のうち、五体が揃う現存最古のものです。仁明(にんみょう)天皇御願とされ、鎮護国家が願われました。品の良い顔立ちと均整の取れた造形は、当時最高の技術を持った工人によって制作されました。寺外で五体揃って公開されるのは初めてのことです。

詳しい作品解説Q&A

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示
左から、金剛虚空蔵、業用虚空蔵、法界虚空蔵、
蓮華虚空蔵、宝光虚空蔵

  • ※前期展示:7月17日(水)~8月12日(月・休)
    後期展示:8月14日(水)~9月8日(日)
  • ※掲載画像はすべて京都・神護寺所蔵です。

章構成

  • ※前期展示:7月17日(水)~8月12日(月・休) 後期展示:8月14日(水)~9月8日(日)
  • ※所蔵の表記の無いものは、すべて京都・神護寺所蔵です。

神護寺と高雄曼荼羅

「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、密教の世界観を描いた現存する最古の両界曼荼羅です。空海が中国から請来した曼荼羅が破損したため、それを手本に天長年間(824~834)に制作されました。本章第一節では、「高雄曼荼羅」が制作された空海在世時と草創期の神護寺、第二節では文覚の努力によって神護寺が復興し、仁和寺(にんなじ)蓮華王院(れんげおういん)、高野山を転々としていた「高雄曼荼羅」が返納される院政期の神護寺に関連する作品をご紹介します。「高雄曼荼羅」に描かれた広大な密教の世界観をお楽しみください。

国宝両界曼荼羅(りょうかいまんだら)高雄曼荼羅(たかおまんだら)
平安時代・9世紀 左【金剛界】後期展示/右【胎蔵界】前期展示平安時代・9世紀
上【金剛界】後期展示/下【胎蔵界】前期展示

密教の世界観を図示したもので、空海が制作に関わった現存最古の両界曼荼羅。花や鳳凰の文様を織り出した絹地に、金泥と銀泥を用いて線描で諸仏を描く。空海が請来した曼荼羅を手本としており、唐代絵画の雰囲気を今に伝える点でも貴重である。

詳しい作品解説Q&A

【胎蔵界】不動明王 部分

(部分)

国宝灌頂暦名(かんじょうれきみょう)
空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 
7月17日(水)~8月25日(日)展示

灌頂とは密教の儀礼のひとつ。唐から帰国した空海が、弘仁3年(812)に金剛界・胎蔵界両部の灌頂を高雄山で行った際の受法者名簿。11月15日に金剛界、12月14日に胎蔵界の灌頂が行われ、ともに最澄の名前が筆頭に記される。空海自筆の私的な記録である点も重要で、空海の日常の書風を見ることができる。

(部分)

国宝文覚四十五箇条起請文(もんがくしじゅうごかじょうきしょうもん)
中山忠親筆 平安時代・元暦2年(1185) 後期展示

神護寺復興の目途を立てた文覚(もんがく)が、寺僧の守るべき規律や寺院経営など、その考えを四十五か条にまとめ神仏に誓ったもの。前書きには後白河法皇に復興を直訴して伊豆に流されたことや、その後、源頼朝らの支援を得たことなど、復興に至る経緯が記され注目される。

国宝伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 前期展示

ほぼ等身大に描かれた、束帯(そくたい)姿の武将像。顔貌は、眉やまつ毛、(ひげ)に至るまで一本一本を丁寧に描き出し、伸びやかで繊細な描線が用いられる。日本の肖像画史上の傑作として、特筆すべき作品である。

詳しい作品解説Q&A

神護寺経と釈迦如来像― 平安貴族の祈りと美意識

「神護寺経」は神護寺に伝来した「紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)」の通称です。鳥羽天皇の発願とされ、2000巻余りが現存します。一方、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる「釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)」は、細く切った金箔による截金(きりかね)文様が美しい、繊細優美な平安仏画を代表する作例です。「神護寺経」と「赤釈迦」が織りなす平安貴族の美の世界をご覧ください。

国宝釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)
平安時代・12世紀 後期展示

平安時代に描かれた独尊の釈迦如来像。赤い衣を着ていることから、「赤釈迦」と称される。着衣に施された文様は、彩色の団花文(だんかもん)に截金文様が組合され、繊細優美な院政期仏画の傑作のひとつ。

詳しい作品解説Q&A

(部分)

重要文化財大般若経 巻第一(だいはんにゃきょう まきだいいち)紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)のうち)
平安時代・12世紀 通期展示

紺紙に金泥で書写した一切経(様々な仏典を集成したもの)の一巻。本来は5000巻を超える大部なものだが、現在は2317巻が現存し、「神護寺経」と通称される。表紙には金銀泥で宝相華文様(ほうそうげもんよう)が、見返しには釈迦如来の説法図が同じく金銀泥で描かれ、平安時代の絵画作例としても貴重。

重要文化財紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう) 経帙(きょうちつ)
平安時代・12世紀 通期展示

一切経を10巻ずつまとめて保管するために制作された。経帙は439帙あったとされる。そのすべての経帙において、美しい色糸で組まれた墨染の竹簀(たけす)の隙間から雲母がきらめき、中国・宋時代の錦で縁をかがり、中国の文綾(もんあや)で裏を当てている。つややかな組紐は、金銅に蝶の細工を施した金具で留められている。後白河法皇が寄進したと伝えられ、技と(ぜい)を極めた荘厳の形に信仰への思いが感じられる。

神護寺の隆盛

文覚による復興後、弟子の上覚(じょうかく)明恵(みょうえ)によって伽藍整備が進められ、神護寺はさらに発展していきます。本章では中世の神護寺の隆盛がうかがえる寺宝の数々をご紹介します。また、「山水屛風(せんずいびょうぶ)」「十二天屛風(じゅうにてんびょうぶ)」「金銅(こんどう)梵釈(ぼんしゃく)四天王五鈷鈴(してんのうごこれい)」をはじめとした密教空間を彩る美術工芸品の数々も展示します。

国宝山水屛風(せんずいびょうぶ)
鎌倉時代・13世紀

灌頂の儀礼の場にしつらえられた屛風。描かれているのは穏やかな自然景と貴族およびその邸宅で、一扇(いっせん)毎に区切られた古い形式を持ち、現存する最古のやまと絵屛風としても特筆される。

金銅梵釈四天王五鈷鈴(こんどうぼんしゃくしてんのうごこれい)
朝鮮半島・高麗・10~12世紀 通期展示

密教の祈祷に用いられる法具で、振り鳴らして仏・菩薩(ぼさつ)を覚醒させ、祈祷の場に迎えるのに用いられる。鈴身(れいしん)に仏像を表す形式は、中国あるいは朝鮮半島に見られるもので、鋭く堂々とした()(先端の鋭く尖った部位)の表現にもその特徴が表れている。密教寺院にふさわしい遺例で、空海請来と伝えられるが、実際には後代もたらされたものであろう。

重要文化財神護寺絵図(じんごじえず)
鎌倉時代・寛喜2年(1230) 前期展示

寛喜2年(1230)の太政官符によって定められた神護寺の寺域を図示したもの。清滝(きよたき)川を挟んで各伽藍が描かれる。建物にはその名称も明記され、文覚の尽力によって整備された当時の神護寺の様子を俯瞰的に捉えることができる。

重要文化財神護寺絵図(じんごじえず)
鎌倉時代・寛喜2年(1230) 前期展示

寛喜2年(1230)の太政官符によって定められた神護寺の寺域を図示したもの。清滝(きよたき)川を挟んで各伽藍が描かれる。建物にはその名称も明記され、文覚の尽力によって整備された当時の神護寺の様子を俯瞰的に捉えることができる。

国宝山水屛風(せんずいびょうぶ)
鎌倉時代・13世紀

灌頂の儀礼の場にしつらえられた屛風。描かれているのは穏やかな自然景と貴族およびその邸宅で、一扇(いっせん)毎に区切られた古い形式を持ち、現存する最古のやまと絵屛風としても特筆される。

金銅梵釈四天王五鈷鈴(こんどうぼんしゃくしてんのうごこれい)
朝鮮半島・高麗・10~12世紀 通期展示

密教の祈祷に用いられる法具で、振り鳴らして仏・菩薩(ぼさつ)を覚醒させ、祈祷の場に迎えるのに用いられる。鈴身(れいしん)に仏像を表す形式は、中国あるいは朝鮮半島に見られるもので、鋭く堂々とした()(先端の鋭く尖った部位)の表現にもその特徴が表れている。密教寺院にふさわしい遺例で、空海請来と伝えられるが、実際には後代もたらされたものであろう。

古典としての神護寺宝物

幕末に活躍した復古やまと絵の絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)は、絵画技術や有職故実(ゆうそくこじつ)を学ぶために数々の古画(こが)を模写しました。一方、「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海ゆかりの作例として、平安時代後半から曼荼羅の規範となり、仏の姿が写されました。神護寺の寺宝がまさに古典として、江戸時代後半から明治時代に再び注目された様子をご紹介します。

山水屛風(せんずいびょうぶ)
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 後期展示

鎌倉時代に描かれた国宝「山水屛風」の模本。細やかな人物描写や透明感のある彩色まで原本を丁寧に写している。やまと絵の名品として、当時も評価が高かったことがうかがえる。なお、原本である国宝「山水屛風」と画面の配置が異なるのは、近年になされた原本修理の際、制作当初の配置に復元したためである。

伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵 前期展示

冷泉為恭による国宝「伝源頼朝像」の模本。顔貌や衣の文様も緻密に写しており、為恭の技術の高さがうかがえる。為恭は若い頃、画技を身に着けるために熱心に古画の模写を行った。高山寺に伝わる「将軍塚絵巻(しょうぐんづかえまき)」の模本も現存し、神護寺周辺の古画の名品を写していたことが知られる。

神護寺の彫刻

空海は、現在地にあった高雄山寺と他所にあった神願寺を合併して、密教寺院である神護寺としました。「薬師如来立像」は、神護寺以前の造像で密教像ではありませんが、空海は本尊として迎えました。神護寺で現存する密教像のうち最も古いのは「五大虚空蔵菩薩坐像」で、空海の弟子真済が発願した立体曼荼羅です。変化にとんだ姿の「十二(じゅうに)神将(しんしょう)立像(りゅうぞう)」や「四天王像(してんのうぞう)」にも注目してください。

国宝薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 通期展示

大変に厳しい眼差しである。引き締まった口元もあって近寄りがたい威厳がある。空海はその姿に尊崇(そんすう)の念をいだき神護寺の本尊としたに違いない。両腕の半ばから先を別の木でつくるほかはひとつの材から彫り出すが、深い奥行きや盛り上がった大腿部、左袖の重厚な衣文表現は、重量感にあふれる。日本彫刻史上の最高傑作である。

詳しい作品解説Q&A

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示
左から、金剛虚空蔵、業用虚空蔵、法界虚空蔵、
蓮華虚空蔵、宝光虚空蔵

空海の弟子である真済が多宝塔の安置仏としてつくった像で、承和12年(845)完成とする記録がある。大部分をひとつの材から彫り出し、その上に木屎漆(こくそうるし)という漆と木の粉を合わせた素材で塑形する。その技法や目鼻立ちの整ったふっくらした顔立ちから、当時最もすぐれた仏像をつくった官営の工房の手によることがわかる。

詳しい作品解説Q&A

十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)
[酉神・亥神]室町時代・15~16世紀 [子神~申神・戌神]吉野右京・大橋作衛門等 江戸時代・17世紀

頭に十二支の動物をのせ、薬師如来をサポートする十二神将。江戸時代初期に活躍した京仏師・吉野右京(よしのうきょう)等が制作した。各像の個性豊かなポーズをまとまりよく表わす点に、確かな技術と優れた造形感覚がうかがえる。

神護寺(じんごじ)について / ギャラリー

京都市の北西部、高雄に所在する神護寺は、平安遷都を提案した和気清麻呂(わけのきよまろ)が建立した高雄山寺を起源とし、1200年以上の歴史をもちます。唐で密教を学んだ空海が帰国後、活動の拠点としたことから真言密教の出発点となりました。天長元年(824)には、高雄山寺と、同じく清麻呂が建立した神願寺(じんがんじ)というふたつの寺院がひとつになり、正式に密教寺院として神護国祚(じんごこくそ)真言寺(しんごんじ)(神護寺)が誕生します。空海入定後、火災などで荒廃しましたが、後白河法皇、源頼朝の支援を受けた文覚(もんがく)の尽力により復興を果たしました。室町時代から紅葉の名所として知られており、いまでも神護寺の四季の美しさは訪れる人々を魅了しています。

神護寺をめぐる人々

詳しい作品解説Q&A

注目作品を本展担当研究員が一問一答で解説します! 回答するのは…

古川攝一
(東京国立博物館 研究員/絵画担当)

  • 専門分野 仏教絵画史
  • 出身地 奈良
  • 趣味 温泉(源泉かけ流し)めぐり
  • 神護寺展の推し作品 国宝「文覚四十五箇条起請文」

丸山士郎
(東京国立博物館 研究員/彫刻担当)

  • 専門分野 日本彫刻史
  • 出身地 長野
  • 趣味 なし
  • 神護寺展の推し作品 国宝「薬師如来立像」

国宝「薬師如来立像」
回答者・丸山

  • Q.神護寺のご本尊 国宝「薬師如来立像」の特徴は?
  • A.神護寺の薬師如来立像といえば、厳しく、威厳ある顔が特徴です。こわい顔ともいえるでしょう。8世紀末から9世紀初めは個性的な仏像が多くつくられましたが、この像の表情は強烈です。堂々とした重量感あふれる体の表現も特徴のひとつですが、像の大部分を一本の木から彫り出して内部を空洞にしないので、本当に重い像でもあります。

  • Q.国宝「薬師如来立像」はなぜ厳しい顔をしているの?
  • A.これほど厳しい顔に表わされた理由はわかっていません。政敵の呪いや怨霊を退散、反撃するためという説や、高雄山という霊山がつくった造形だという説があります。空海は、この威厳ある薬師如来立像と日々対面し何を思ったでしょうか。そのような想像をするのも、この像の見方のひとつだと思います。横から見た顔は印象がずいぶんと異なるので、横からもじっくりとご覧ください。

ジュニアガイドでも解説中

国宝薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 通期展示

国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」
回答者・古川

国宝両界曼荼羅(りょうかいまんだら)高雄曼荼羅(たかおまんだら)
平安時代・9世紀 左【金剛界】後期展示/右【胎蔵界】前期展示平安時代・9世紀
上【金剛界】後期展示/下【胎蔵界】前期展示


  • Q.両界曼荼羅とは?
  • A.大日如来を中心とした密教の世界、宇宙を図示したものです。金剛界と胎蔵界ふたつの世界があり、金剛はダイヤモンド、大日如来の教えの力強さを示します。胎蔵界はお母さんの体内で赤ちゃんが育つように、大日如来の教えが人々の心を成長させることを示します。ともに大日如来を中心にたくさんの仏が描かれます。

  • Q.国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」はなぜ貴重なの?
  • A.空海が触ったかもしれないからです。空海が描いたともいわれ、直接制作に関わった日本にある両界曼荼羅の中で最も古いものです。空海が中国から持ち帰った両界曼荼羅は現存しませんが、高雄曼荼羅はそれを手本に描かれたと考えられます。花や鳥の模様が織り出された絹に描かれている点も数が少なく貴重です。

  • Q.国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」はなぜ4m×4mという大きさなの?
  • A.空海が師匠の恵果というお坊さんから贈られた両界曼荼羅を手本に作られたので、もともとこれくらいの大きさであったと考えられます。神護寺の灌頂院(かんじょういん)という建物に懸けられるためにつくられたのですが、建物の大きさも高雄曼荼羅の大きさに合わせてつくられた可能性が考えられます。

  • Q.国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は何を使って描かれているの?
  • A.赤紫色に染めた絹を織って画面を作りますが、花や鳥を模様に織り出す工夫をしています。そこに、金や銀を絵具のように溶いた、金泥、銀泥と呼ばれる素材を使い、筆で丁寧に仏の姿を描いています。仏は腕や顔の数がたくさんあったり、いろんな持ち物を持っていますが、すべて決まりがあり、間違いが許されません。大変な作業だったと思います。

  • Q.国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」はなぜ修理に6年かかったの?
  • A.絵画の修理は、仏の姿が描かれる部分と、それを支える表装の部分を解体して行われます。絹の繊維一本一本を丁寧にはがしていく気の遠くなる作業です。高雄曼荼羅は大きい作品ですし、傷み方も部分によって異なるので、慎重に状態を確認しながら作業を進める必要がありました。

国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」
回答者・丸山

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示
左から、金剛虚空蔵、業用虚空蔵、法界虚空蔵、
蓮華虚空蔵、宝光虚空蔵


  • Q.国宝「五大虚空蔵菩薩」は曼荼羅?
  • A.国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」のように多くの仏が描かれる両界曼荼羅は密教の考えのすべてを含んでいますが、密教を理解しやすくしたり役割を強調したりするために、ある一面だけを表わす小さな曼荼羅もあります。五大虚空蔵菩薩もそのひとつです。お寺では横一列に並びますが、展示室では、法界虚空蔵を中心に4体が前後左右に並ぶ曼荼羅本来の整然とした配置でご覧いただきます。

  • Q.国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」は感じるもの?
  • A.五大虚空蔵菩薩の曼荼羅が表わす思想を、一般の人が理解できる説明は経典には書かれていませんが、空海は曼荼羅を見た人は神々しさを感じないではいられないと言っています。五色のほぼ同じ形の像が並ぶ不思議な空気感、迫力、神々しさなど、何かを「感じ」てください。

  • Q.国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」のカラフルな色はどのような意味?
  • A.五大虚空蔵菩薩の体の色は経典で決められています。インドで事物の根源とされる、地の黄色、水の白色、火の赤色、風の黒色、空の青色の5色です。青色は緑色で代替しています。黒い風?連想できませんね。空海は曼荼羅を、尊像が整然と並び、さまざまな彩色に輝いていると言い表しています。いまは色が薄れていますが、彩色に輝く本来の姿を思い浮かべてください。

国宝「釈迦如来像」
回答者・古川

  • Q.国宝「釈迦如来像」はなぜ赤い衣を着ているの?
  • A.赤い衣に金色の身体というのは、天台宗の仏像に見られる特徴のひとつです。天台宗を開いた最澄というお坊さんが作った仏像にルーツがあるともいわれますが、とてもキラキラして荘厳な雰囲気ですね。体の色は金色ではありませんが、淡い黄色で表現されます。神護寺では最澄が始めた「法華会」という儀式があり、そこで懸けられたと考えられます。

  • Q.国宝「釈迦如来像」はなぜキラキラしているの?
  • A.キラキラしているのは、金箔を髪の毛位に細く切って、模様の形に合わせて貼っているからです。釈迦如来の背後にある光背にも金箔が使われています。衣の深い赤色と、輪郭線に沿って入れられた白色の対比も美しいです。平安貴族の美意識が感じられます。

国宝釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)
平安時代・12世紀 後期展示

国宝「伝源頼朝像」
回答者・古川

  • Q.国宝「伝源頼朝像」の特徴は?
  • A.ビシッと糊付けされ、端々がぴんと張った装束を身にまとう武将の姿が描かれます。肖像画ですから顔の表現が大切です。生え際や眉毛、口元のひげ、鼻筋など、とても繊細な線で描かれています。鼻の輪郭に沿って淡い赤色が施され、立体感を表わします。こうした細やかな表現が、なんとも言えない威厳とハンサムな源頼朝イメージを生み出しています。

  • Q.国宝「伝源頼朝像」はなぜ等身大の大きさなの?
  • A.単なる肖像画ではないからです。神護寺の仙洞院という建物に懸けられたことが記録から知られますが、頼朝像だけでなく、後白河法皇の肖像などと一緒でした。ふたりとも神護寺を支援した大切な人物です。彼らの功績を称えるために何らかの儀式で懸けられたのかもしれません。神護寺にはほかにも文覚(もんがく)や真言宗の大切なお坊さんを描いた肖像が伝わりますが、みんな大きいです。これらの肖像と比較するのも大切ですね。

国宝伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 前期展示

  • ※前期展示:7月17日(水)~8月12日(月・休)
    後期展示:8月14日(水)~9月8日(日)
  • ※掲載画像はすべて京都・神護寺所蔵です。

神護寺をめぐる人々

神護寺の草創期に関わる人々

空海(くうかい)(774-835)

平安時代初期に活躍した僧。延暦23年(804)、最新の密教を求め入唐。青龍寺(せいりゅうじ)恵果(けいか)から金剛界・胎蔵界両部の体系的な密教を授けられ帰国した。両部を統合して打ち立てたのが真言密教である。帰国後の空海が拠点としたのが神護寺の前身寺院、高雄山寺であった。弘仁3年(812)、空海は初の両部灌頂を同寺で行い、最澄が弟子たちとともに受けたことが知られる。高雄山寺、神護寺は、空海と真言密教のはじまりの聖地であった。

重要文化財弘法大師像(こうぼうだいしぞう)
鎌倉時代・14世紀 通期展示


【担当研究員が分かりやすく解説!Q&A】


  • Q.空海は何をした人?
  • A.平安時代の初め頃に真言宗という新しい宗派を打ち立てたお坊さんです。中国・唐に伝わった密教という仏教のひとつの考え方に基づいています。空海は唐に留学し、日本の仏教に密教という新しい教えと、密教の儀式で使う様々な絵画や工芸品をもたらしました。京都駅の近くにある東寺や和歌山県の高野山は空海が密教の道場とするために直接かかわったお寺です。

  • Q.神護寺と空海の関係は?
  • A.密教を学びに中国・唐へ留学した空海が帰国後、当時の都であった平安京で活動するために住んだお寺が神護寺(当時は高雄山寺といいました)です。国の平和を願う儀式や人に密教の世界をわかりやすく体験してもらう灌頂(かんじょう)という儀式を行いました。空海が密教という新しい教えを披露した、メジャーデビューの場が神護寺でした。

  • Q.真言密教とは?
  • A.密教は金剛界と胎蔵界という別々に成立したふたつの世界に大きく分けられますが、ふたつの世界をひとつの大きな世界にまとめたのが空海です。それを真言密教といいます。空海は師匠である、中国・唐の青龍寺にいた恵果(けいか)というお坊さんから、金剛界と胎蔵界それぞれの奥義を伝授されました。師匠の教えをさらに発展させたのです。

和気清麻呂(わけのきよまろ)(733-799)

奈良時代末期から平安時代初期に活躍した官僚。称徳(しょうとく)天皇に寵愛された僧・道鏡(どうきょう)が天皇位を得ようとしたことを阻止した件や、平安遷都に尽力したことで知られる。私寺である高雄山寺を建立した。若き最澄を支援し、子の真綱は帰国後の空海に高雄山寺を提供した。高雄山寺、神護寺はまさに、天台宗と真言宗という平安仏教を育む重要な場であった。

最澄(さいちょう)(767-822)

平安時代初期に活躍した僧。比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)を創建したのち、天台大師智顗(ちぎ)が大成した天台の教えを求め、空海と同じく804年に入唐し翌年帰国。高雄山寺にて日本で初めてとなる灌頂を行った。入唐前の延暦21年(802)には和気氏の求めに応じ、同寺で法華経の講演も行っている。空海の帰国後は、高雄山寺に滞在した空海と手紙のやり取りが行われ、812年、空海より両部の灌頂を受けた。

神護寺の復興に関わる人々

文覚(もんがく)(1139-1205)

平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した僧。後白河法皇、源頼朝の支援を受け、火災などで荒廃してしまった神護寺の復興に尽力した。復興の経緯は、「文覚四十五箇条起請文(もんがくしじゅうごかじょうきしょうもん)」のなかで詳細に語られる。

後白河天皇(ごしらかわてんのう)(1127-1192)

平安時代末期に活躍した第77代天皇。文覚の求めに応じ、神護寺復興を支援した。紀伊国(きいのくに)桛田庄(かせだのしょう)や備中国足守庄をはじめとした荘園を寄進し、他寺へ流出していた「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」、「梵鐘(ぼんしょう)」、「五大虚空蔵菩薩坐像」という神護寺の核となる寺宝の返還に尽力した。

源頼朝(みなもとのよりとも)(1147-1199)

平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武将。鎌倉幕府を開いた。文覚の求めに応じ、神護寺復興を支援。寿永3年(1184)、復興の経済的基盤となった丹波国宇都庄を寄進した。

国宝伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 前期展示

後宇多天皇(ごうたてんのう)(1267-1324)

鎌倉時代後半に活躍した第91代天皇。真言密教に傾倒し、出家後はその興隆に尽力した。神護寺とゆかりが深く、勝光明院にあった「僧形八幡神像」と「灌頂暦名」を神護寺に返還、延慶2年(1309)に完了した「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」の修理を行った。

江戸時代に「高雄曼荼羅」を修理

光格天皇(こうかくてんのう)(1771-1840)

江戸時代後半に活躍した第119代天皇。寛政5年(1793)に「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」の修理を行った。今回なされた修理は、この時以来、およそ230年ぶりの大事業である。なお、神護寺には、光格天皇の発願によって制作された「高雄曼荼羅」の原寸大の模本が伝わる。

  • ※前期展示:7月17日(水)~8月12日(月・休)
    後期展示:8月14日(水)~9月8日(日)
  • ※掲載画像はすべて京都・神護寺所蔵です。