みどころ

1. 空海の寺、神護寺。真言密教の源流1200年の至宝集結

唐で体系的な密教を学んだ空海は、その成果をもとに真言密教を打ち立てました。密教では教義の世界観を示す曼荼羅や儀式で使う法具など、数多くの美術工芸品が生み出されました。会場では、空海の生きた時代に制作された、彫刻・絵画・工芸の傑作をはじめ、国宝17件、重要文化財44件を含む密教美術の名品など約100件を展示します。

国宝釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)
平安時代・12世紀 後期展示

国宝伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 前期展示

(部分)

国宝灌頂暦名(かんじょうれきみょう)
空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 
7月17日(水)~8月25日(日)展示

2. 寺外初公開、本尊の国宝「薬師如来立像」

神護寺の前身寺院にまつられていたのが本尊「薬師如来立像」です。量感あふれる造形、威厳あふれる表情は、独特の迫力を生み出し、平安初期彫刻の最高傑作といえます。本展は寺外で本尊の荘厳さにふれていただく、神護寺史上初の機会です。

国宝薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 通期展示

3. 約230年ぶりの修理、国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」

金剛界と胎蔵界、密教のふたつの世界観を図示したのが両界曼荼羅です。高雄山神護寺に伝わったため、「高雄曼荼羅」と呼ばれる本作品は、4メートル四方の大きさを誇る、空海在世時に制作された現存最古の両界曼荼羅です。江戸時代以来、およそ230年ぶりに修理された姿をご覧いただきます。

国宝両界曼荼羅(りょうかいまんだら)高雄曼荼羅(たかおまんだら)
平安時代・9世紀 左【金剛界】後期展示/右【胎蔵界】前期展示平安時代・9世紀
上【金剛界】後期展示/下【胎蔵界】前期展示

4. 現存最古の「()大虚空蔵(だいこくうぞう)菩薩(ぼさつ)坐像(ざぞう)」が勢揃い

空海の後を継いだ真済(しんぜい)の代に安置された国宝「五大虚空蔵菩薩坐像」は、日本でつくられた作例のうち、五体が揃う現存最古のものです。仁明(にんみょう)天皇御願とされ、鎮護国家が願われました。品の良い顔立ちと均整の取れた造形は、当時最高の技術を持った工人によって制作されました。寺外で五体揃って公開されるのは初めてのことです。

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示
左から、金剛虚空蔵、業用虚空蔵、法界虚空蔵、
蓮華虚空蔵、宝光虚空蔵

  • ※前期展示:7月17日(水)~8月12日(月・休)
    後期展示:8月14日(水)~9月8日(日)
  • ※掲載画像はすべて京都・神護寺所蔵です。

章構成

  • ※前期展示:7月17日(水)~8月12日(月・休) 後期展示:8月14日(水)~9月8日(日)
  • ※所蔵の表記の無いものは、すべて京都・神護寺所蔵です。

神護寺と高雄曼荼羅

「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、密教の世界観を描いた現存する最古の両界曼荼羅です。空海が中国から請来した曼荼羅が破損したため、それを手本に天長年間(824~834)に制作されました。本章第一節では、「高雄曼荼羅」が制作された空海在世時と草創期の神護寺、第二節では文覚の努力によって神護寺が復興し、仁和寺(にんなじ)蓮華王院(れんげおういん)、高野山を転々としていた「高雄曼荼羅」が返納される院政期の神護寺に関連する作品をご紹介します。「高雄曼荼羅」に描かれた広大な密教の世界観をお楽しみください。

国宝両界曼荼羅(りょうかいまんだら)高雄曼荼羅(たかおまんだら)
平安時代・9世紀 左【金剛界】後期展示/右【胎蔵界】前期展示平安時代・9世紀
上【金剛界】後期展示/下【胎蔵界】前期展示

密教の世界観を図示したもので、空海が制作に関わった現存最古の両界曼荼羅。花や鳳凰の文様を織り出した絹地に、金泥と銀泥を用いて線描で諸仏を描く。空海が請来した曼荼羅を手本としており、唐代絵画の雰囲気を今に伝える点でも貴重である。

【胎蔵界】不動明王 部分

(部分)

国宝灌頂暦名(かんじょうれきみょう)
空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 
7月17日(水)~8月25日(日)展示

灌頂とは密教の儀礼のひとつ。唐から帰国した空海が、弘仁3年(813)に金剛界・胎蔵界両部の灌頂を高雄山で行った際の受法者名簿。11月15日に金剛界、12月14日に胎蔵界の灌頂が行われ、ともに最澄の名前が筆頭に記される。空海自筆の私的な記録である点も重要で、空海の日常の書風を見ることができる。

(部分)

国宝文覚四十五箇条起請文(もんがくしじゅうごかじょうきしょうもん)
平安時代・元暦2年(1185) 後期展示

神護寺復興の目途を立てた文覚(もんがく)が、寺僧の守るべき規律や寺院経営など、その考えを四十五か条にまとめ神仏に誓ったもの。前書きには後白河法皇に復興を直訴して伊豆に流されたことや、その後、源頼朝らの支援を得たことなど、復興に至る経緯が記され注目される。

国宝伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 前期展示

ほぼ等身大に描かれた、束帯(そくたい)姿の武将像。顔貌は、眉やまつ毛、(ひげ)に至るまで一本一本を丁寧に描き出し、伸びやかで繊細な描線が用いられる。日本の肖像画史上の傑作として、特筆すべき作品である。

神護寺経と釈迦如来像― 平安貴族の祈りと美意識

「神護寺経」は神護寺に伝来した「紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)」の通称です。鳥羽天皇の発願とされ、2000巻余りが現存します。一方、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる「釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)」は、細く切った金箔による截金(きりかね)文様が美しい、繊細優美な平安仏画を代表する作例です。「神護寺経」と「赤釈迦」が織りなす平安貴族の美の世界をご覧ください。

国宝釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)
平安時代・12世紀 後期展示

平安時代に描かれた独尊の釈迦如来像。赤い衣を着ていることから、「赤釈迦」と称される。着衣に施された文様は、彩色の団花文(だんかもん)に截金文様が組合され、繊細優美な院政期仏画の傑作のひとつ。

(部分)

重要文化財大般若経 巻第一(だいはんにゃきょう まきだいいち)紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)のうち)
平安時代・12世紀 通期展示

紺紙に金泥で書写した一切経(様々な仏典を集成したもの)の一巻。本来は5000巻を超える大部なものだが、現在は2317巻が現存し、「神護寺経」と通称される。表紙には金銀泥で宝相華文様(ほうそうげもんよう)が、見返しには釈迦如来の説法図が同じく金銀泥で描かれ、平安時代の絵画作例としても貴重。

重要文化財紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう) 経帙(きょうちつ)
平安時代・12世紀 通期展示

一切経を10巻ずつまとめて保管するために制作された。経帙は439帙あったとされる。そのすべての経帙において、美しい色糸で組まれた墨染の竹簀(たけす)の隙間から雲母がきらめき、中国・宋時代の錦で縁をかがり、中国の文綾(もんあや)で裏を当てている。つややかな組紐は、金銅に蝶の細工を施した金具で留められている。後白河法皇が寄進したと伝えられ、技と(ぜい)を極めた荘厳の形に信仰への思いが感じられる。

神護寺の隆盛

文覚による復興後、弟子の上覚(じょうかく)明恵(みょうえ)によって伽藍整備が進められ、神護寺はさらに発展していきます。本章では中世の神護寺の隆盛がうかがえる寺宝の数々をご紹介します。また、「山水屛風(せんずいびょうぶ)」「十二天屛風(じゅうにてんびょうぶ)」「金銅(こんどう)梵釈(ぼんしゃく)四天王五鈷鈴(してんのうごこれい)」をはじめとした密教空間を彩る美術工芸品の数々も展示します。

国宝山水屛風(せんずいびょうぶ)
鎌倉時代・13世紀

灌頂の儀礼の場にしつらえられた屛風。描かれているのは穏やかな自然景と貴族およびその邸宅で、一扇(いっせん)毎に区切られた古い形式を持ち、現存する最古のやまと絵屛風としても特筆される。

金銅梵釈四天王五鈷鈴(こんどうぼんしゃくしてんのうごこれい)
高麗時代 通期展示

密教の祈祷に用いられる法具で、振り鳴らして仏・菩薩(ぼさつ)を覚醒させ、祈祷の場に迎えるのに用いられる。鈴身(れいしん)に仏像を表す形式は、中国あるいは朝鮮半島に見られるもので、鋭く堂々とした()(先端の鋭く尖った部位)の表現にもその特徴が表れている。密教寺院にふさわしい遺例で、空海請来と伝えられるが、実際には後代もたらされたものであろう。

重要文化財神護寺絵図(じんごじえず)
鎌倉時代・寛喜2年(1230) 前期展示

寛喜2年(1230)の太政官符によって定められた神護寺の寺域を図示したもの。清滝(きよたき)川を挟んで各伽藍が描かれる。建物にはその名称も明記され、文覚の尽力によって整備された当時の神護寺の様子を俯瞰的に捉えることができる。

重要文化財神護寺絵図(じんごじえず)
鎌倉時代・寛喜2年(1230) 前期展示

寛喜2年(1230)の太政官符によって定められた神護寺の寺域を図示したもの。清滝(きよたき)川を挟んで各伽藍が描かれる。建物にはその名称も明記され、文覚の尽力によって整備された当時の神護寺の様子を俯瞰的に捉えることができる。

国宝山水屛風(せんずいびょうぶ)
鎌倉時代・13世紀

灌頂の儀礼の場にしつらえられた屛風。描かれているのは穏やかな自然景と貴族およびその邸宅で、一扇(いっせん)毎に区切られた古い形式を持ち、現存する最古のやまと絵屛風としても特筆される。

金銅梵釈四天王五鈷鈴(こんどうぼんしゃくしてんのうごこれい)
高麗時代 通期展示

密教の祈祷に用いられる法具で、振り鳴らして仏・菩薩(ぼさつ)を覚醒させ、祈祷の場に迎えるのに用いられる。鈴身(れいしん)に仏像を表す形式は、中国あるいは朝鮮半島に見られるもので、鋭く堂々とした()(先端の鋭く尖った部位)の表現にもその特徴が表れている。密教寺院にふさわしい遺例で、空海請来と伝えられるが、実際には後代もたらされたものであろう。

古典としての神護寺宝物

幕末に活躍した復古やまと絵の絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)は、絵画技術や有職故実(ゆうそくこじつ)を学ぶために数々の古画(こが)を模写しました。一方、「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海ゆかりの作例として、平安時代後半から曼荼羅の規範となり、仏の姿が写されました。神護寺の寺宝がまさに古典として、江戸時代後半から明治時代に再び注目された様子をご紹介します。

山水屛風(せんずいびょうぶ)
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 後期展示

鎌倉時代に描かれた国宝「山水屛風」の模本。細やかな人物描写や透明感のある彩色まで原本を丁寧に写している。やまと絵の名品として、当時も評価が高かったことがうかがえる。なお、原本である国宝「山水屛風」と画面の配置が異なるのは、近年になされた原本修理の際、制作当初の配置に復元したためである。

伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵 前期展示

冷泉為恭による国宝「伝源頼朝像」の模本。顔貌や衣の文様も緻密に写しており、為恭の技術の高さがうかがえる。為恭は若い頃、画技を身に着けるために熱心に古画の模写を行った。高山寺に伝わる「将軍塚絵巻(しょうぐんづかえまき)」の模本も現存し、神護寺周辺の古画の名品を写していたことが知られる。

神護寺の彫刻

空海は、現在地にあった高雄山寺と他所にあった神願寺を合併して、密教寺院である神護寺としました。「薬師如来立像」は、神護寺以前の造像で密教像ではありませんが、空海は本尊として迎えました。神護寺で現存する密教像のうち最も古いのは「五大虚空蔵菩薩坐像」で、空海の弟子真済が発願した立体曼荼羅です。変化にとんだ姿の「十二(じゅうに)神将(しんしょう)立像(りゅうぞう)」や「四天王像(してんのうぞう)」にも注目してください。

国宝薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 通期展示

大変に厳しい眼差しである。引き締まった口元もあって近寄りがたい威厳がある。空海はその姿に尊崇(そんすう)の念をいだき神護寺の本尊としたに違いない。両腕の半ばから先を別の木でつくるほかはひとつの材から彫り出すが、深い奥行きや盛り上がった大腿部、左袖の重厚な衣文表現は、重量感にあふれる。日本彫刻史上の最高傑作である。

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示

国宝五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 通期展示
左から、金剛虚空蔵、業用虚空蔵、法界虚空蔵、
蓮華虚空蔵、宝光虚空蔵

空海の弟子である真済が多宝塔の安置仏としてつくった像で、承和12年(845)完成とする記録がある。大部分をひとつの材から彫り出し、その上に木屎漆(こくそうるし)という漆と木の粉を合わせた素材で塑形する。その技法や目鼻立ちの整ったふっくらした顔立ちから、当時最もすぐれた仏像をつくった官営の工房の手によることがわかる。

十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)
[酉神・亥神]室町時代・15~16世紀 [子神~申神・戌神]吉野右京等作 江戸時代・17世紀

頭に十二支の動物をのせ、薬師如来をサポートする十二神将。江戸時代初期に活躍した京仏師・吉野右京(よしのうきょう)等が制作した。各像の個性豊かなポーズをまとまりよく表わす点に、確かな技術と優れた造形感覚がうかがえる。