伝説の地 (よし)()

役行者(えんのぎょうじゃ)()王権現(おうごんげん)に出会う

吉野・大峯(おおみね)に集った人々は、雄大な自然のなかで神仏にまみえることを切に願いました。本章では修験道(しゅげんどう)の聖地・大峯山(おおみねさん)()の秘仏本尊(写真掲載なし)を含む蔵王権現像を寺外初公開するとともに、山岳修行の祖・役行者をご紹介します。さらに会場では、VR映像を駆使して(きん)()(せん)()()王堂(おうどう)の秘仏本尊蔵王権現像を大型スクリーンに再現し、その圧倒的な迫力を体感していただきます。

大峯山寺より寺外初公開を含む
蔵王権現像が一挙降臨!

()王権現立像(おうごんげんりゅうぞう) 5軀

平安~鎌倉時代(12~13世紀) 奈良 大峯山寺

大峯山寺の役行者三尊と
うりふたつの特別な像

役行者(えんのぎょうじゃ)および()()(ぞう)

室町時代(15世紀) 奈良 吉水神社

(きん)()(せん)をめざして

藤原道長(ふじわらみちなが)埋経(まいきょう)

平安時代になると大峯は、()(ろく)が出現するまで金を秘める山「金峯山」と呼ばれるようになりました。時の権力者・藤原道長とそのひ孫・師通(もろみち)は、多くの臣下とともに金峯山に参詣し、自筆の(こん)()(きん)()(きょう)を埋納することで弥勒の世まで仏法(ぶっぽう)を伝えたいと願いました。本章では、近年金峯山寺で発見された道長・師通自筆の紺紙金字経(国宝)全18巻を修理後初公開し、彼らが山上に託した祈りを紐解いていきます。

藤原道長直筆の紺紙金字経修理後初公開!

国宝 紺紙金字阿弥陀経(金峯山経塚出土)

藤原道長筆 平安時代 寛弘4年(1007) 奈良 金峯山寺

道長が未来に託した祈りのタイムカプセル

国宝 藤原道長経筒(ふじわらのみちながきょうづつ)

平安時代 寛弘4年(1007) 奈良 金峯神社

藤原道長も拝した!?
鏡像の傑作

国宝 ()王権現鏡像(おうごんげんきょうぞう)

平安時代 長保3年(1001) 東京 西新井大師總持寺

ひろがる信仰世界

修験者(しゅげんじゃ)(えん)()(まん)荼羅(だら)

金峯山や熊野への参詣(さんけい)が盛んになるにつれて、吉野と熊野を結ぶ大峯の参詣道が整備され、聖地の由緒を伝える縁起物語が人々の間に広まっていきました。山は仏の世界に見立てられ、桜の歌人・西行(さいぎょう)をはじめ多くの人々が神仏にまみえたいと大峯に分け入りました。本章では、吉野に伝わる神像・仏像や、山の神仏を描いた曼荼羅を一堂に集め、参詣者が山中で感じた豊かで濃密な神仏の世界をご覧いただきます。

信仰世界の見取り図
吉野の神仏大集合

重要文化財 (よし)()(まん)荼羅(だら)

南北朝時代(14世紀) 奈良 西大寺

まるで生きているかのよう
修行者を見つめる鋭い眼光

重要文化財 ()王権現立像(おうごんげんりゅうぞう)および厨子(ずし)

[蔵王権現]鎌倉時代 嘉禄2年(1226)/[厨子]鎌倉時代(13世紀)
奈良 如意輪寺

()(だい)()天皇(てんのう) 吉野へ

山上の新政権

吉野に南朝(なんちょう)を開いた後醍醐天皇は、蔵王権現に国家の安泰を願って祈りを捧げながら、この地で晩年を過ごしました。本章では、後醍醐天皇(りょう)を守る(にょ)()(りん)()の秘仏本尊如意輪観音像を寺外初公開するとともに、南北朝時代の吉野を象徴する金峯山寺仁王門および巨大な金剛力士像の造立について紹介し、新政権を擁した吉野の信仰に光をあてます。

後醍醐天皇も祈りを捧げた
秘仏本尊

(にょ)()輪観音(りんかんのん)()(ぞう)

鎌倉時代 延慶3年(1310) 奈良 如意輪寺

崩御(ほうぎょ)後三十五日目に開眼(かいげん)()(よう)された
特別な肖像画

重要文化財 ()(だい)()天皇像(てんのうぞう)

南北朝時代(14世紀) 神奈川 清浄光寺(遊行寺)

豊臣秀吉(とよとみひでよし) (はな)(うたげ)

神木の桜花に(うた)

()王権現(おうごんげん)の神木と伝えられる桜は吉野にとって特別な存在ですが、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は文禄3年(1594)に徳川家康(とくがわいえやす)伊達(だて)政宗(まさむね)をしたがえて吉野を舞台に盛大な花見を行いました。本章では、現代の花見にもつながる華やかな宴を彷彿(ほうふつ)とさせる品々をご覧いただくとともに、豊臣秀長(ひでなが)秀頼(ひでより)による堂塔の再興についてもご紹介いたします。

天下人・秀吉の絢爛(けんらん)な花見を描く

重要文化財 (よし)()(はな)()()(びょう)() 左隻

桃山時代(16世紀) 京都 細見美術館

近世・近代の吉野と奈良

近世には、民衆も大峯(おおみね)に参詣して日々の暮らしの安寧を祈りました。本章では奈良の(もち)()殿町(どのちょう)に伝わる山上講(さんじょうこう)の資料などを通じて、奈良の町と吉野との深い関わりをご紹介します。さらに吉野では、明治時代の廃仏(はいぶつ)()(しゃく)を乗り越えた数多くの仏像が大正時代まで守られていました。それらの保護に心を(くだ)いた人々の想いも交えながら、かつて吉野に伝わったゆかりの仏像をご覧いただきます。

奈良の町の山上講の本尊

()源大(げんだい)()()(ぞう)

江戸時代(17世紀) 奈良 餅飯殿町財団

ロサンゼルスから里帰り!!
桜との深い縁を象徴する蔵王権現像

()王権現立像(おうごんげんりゅうぞう)

鎌倉時代(13世紀) アメリカ ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)

西行(さいぎょう)が吉野の桜を愛でて和歌にしたように、平安時代後期に吉野は桜の名所として知られていました。では、桜が蔵王権現信仰と結びついたのはいつのことなのでしょう。その謎を解き明かす鍵となる蔵王権現像です。

額上に桜をかたどった
冠飾りをつける

  • X