本展の見どころ
- 鎌倉仏教の一大宗派である浄土宗の美術と歴史を、鎌倉時代から江戸時代まで通覧する史上初の展覧会です。
- 開宗850年の大きな節目を契機に、浄土宗各派の協力を得て至宝が集まる決定的な展覧会です。
- 重要文化財「選択本願念仏集(廬山寺本)」「七箇条制誡」など宗祖・法然にちなむ貴重な資料をはじめとする、国宝・重要文化財を多数含む文化財が一堂に集結します。
- 国宝「綴織當麻曼陀羅」「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」をはじめとする浄土教美術の名品や、「仏涅槃群像」などスケールの大きな優品など、浄土宗ゆかりの多彩な文化財をご覧いただけます。
- 戦争、天災、疫病などと向き合い、人々の救済を目指した法然やその継承者たちの姿は、現代の転換期を生きる私たちに生きるヒントを与えてくれることでしょう。
部分
国宝法然上人絵伝 巻第三十七
鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵
- ※会期中場面替えがあります。
- ※会場により展示部分が変わります。
京九
- ※作品が展示される会場は、東東京国立博物館、京京都国立博物館、九九州国立博物館で示しています。
- ※東京国立博物館、京都国立博物館での展示は終了しました。
- ※九州国立博物館での展示期間の詳細は後日、当サイトで発表します。
- ※展示作品、展示期間、会期等については、今後の諸事情により変更する場合があります。
各会場の
特色と見どころ
関東には、法然、聖光に続く浄土宗第三祖・良忠が鎌倉時代中期に興した鎌倉光明寺や、室町時代に浄土宗中興の祖・聖冏が浄土宗の教義をまとめた常福寺(茨城県)など、中世にさかのぼる重要寺院が所在しています。また、聖冏の弟子聖聡が関東浄土宗の拠点とした増上寺は、のちに徳川将軍家の篤い帰依を受けてその菩提寺として大いに興隆しました。東京会場では全国のゆかりの名宝とともに、浄土宗850年の歴史で度々重要な舞台となった関東の浄土宗寺院の宝物にも重点をおいてご紹介します。
法然がその生涯の多くを過ごしたのは、平安京すなわち京都でした。今日、この地には、浄土宗総本山知恩院をはじめ、これに金戒光明寺、百萬遍知恩寺、清浄華院を加えた四ヶ本山や、また西山各派総本山の禅林寺、誓願寺、光明寺といった、重要な寺院が集中しています。京都会場は3会場中最多の出品数で、これらの寺院に伝わる名宝の数々をご紹介します。展覧会とともに、ぜひ秋の京都で浄土宗の各寺院をお巡りください。
九州国立博物館では初めてとなる浄土宗をテーマにした特別展であり、会期中の2025年10月にはちょうど開館20周年を迎えます。福岡は、浄土宗第二祖にして鎮西派の祖となる聖光の出身地です。聖光は比叡山で学んだのち36歳で法然の門弟となり、やがて都における法然教団への弾圧が迫るなか鎮西(九州)に戻り、久留米に開いた善導寺を拠点に師の遺志を継いで称名念仏を広めました。鎮西派の発祥の地ともいえる福岡において、浄土宗の歴史を彩る優品の数々をご覧いただきます。
法然関連年表
法然上人像(隆信御影)
鎌倉時代・14世紀 京都・知恩院蔵
東京九
長承2年 |
法然(幼名勢至丸)、美作国久米南条稲岡庄(岡山県久米郡久米南町)に生誕。 |
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保延7年 |
9歳 |
夜討を受け父を亡くす。 |
久安元年 |
13歳 |
比叡山に上る。 |
久安3年 |
15歳 |
出家受戒。 |
久安6年 |
18歳 |
比叡山黒谷に移り、法然房源空を称する。 |
承安5年 |
43歳 |
唐・善導の著作の一節に導かれ、専修念仏の教えを確立する。立教開宗。 |
文治2年 |
54歳 |
大原で他宗の学僧と問答をおこなう(大原談義)。 |
建久元年 |
58歳 |
のちの西山派祖・証空が門弟となる。 |
建久6年 |
63歳 |
源智、門弟となる。 |
建久8年 |
65歳 |
のちの鎮西派祖・聖光が門弟となる。 |
建久9年 |
66歳 |
九条兼実の求めに応じて『選択本願念仏集(廬山寺本)』を著す。 |
正治2年 |
68歳 |
鎌倉幕府、専修念仏を禁じる。 |
建仁元年 |
69歳 |
のちの浄土真宗祖・親鸞が門弟となる。 |
元久元年 |
72歳 |
延暦寺僧徒、専修念仏停止を訴える。『七箇条制誡』を作成する。 |
元久2年 |
73歳 |
興福寺、念仏停止を奏上する。 |
建永2年・ |
75歳 |
流罪となり、讃岐国(香川県)に留められる。 |
建暦元年 |
79歳 |
帰京し、東山大谷に住する。 |
建暦2年 |
80歳 |
入滅。 |
嘉禄3年 |
延暦寺僧徒、法然墓を破却。遺骸は翌年粟生野に移され荼毘に付された。 |
法然を読み解く
キーワード
極楽浄土と阿弥陀如来
浄土宗でもっとも中心的に信仰される仏(本尊)は、極楽浄土に住む阿弥陀如来(阿弥陀仏)です。阿弥陀如来はすべての衆生を救うために立てた48の誓願を達成し、極楽浄土を建立しました。西方にあるといわれるその世界は、美しい七宝や花、妙なる音楽に満ち、一切の苦がありません。念仏を称える人が現世で臨終の際、阿弥陀如来は聖衆とともに来迎し、極楽浄土への往生に導いてくれると考えられています。
浄土教と浄土宗
もともとインド・中国で発展した極楽浄土への往生を願う信仰は、日本では天台宗の比叡山延暦寺や平安貴族を中心に取り入れられました。一般にこれらを「浄土教」「浄土信仰」と呼びます。源信の『往生要集』は平安時代におけるその代表的な著作です。法然はこのように浄土教が盛んであった比叡山で学び、とくに中国の善導から大きな影響を受け、独自の教義を確立し教団を形成するに至りました。これが今に続く「浄土宗」で、親鸞の浄土真宗や一遍の時宗が成立する土台ともなりました。
南無阿弥陀仏と専修念仏
「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀如来に帰依します」という意味です。浄土宗では、六字名号ともいわれるこのフレーズを、念じるだけでなく声に出すこと(称名念仏、口称念仏)が、極楽往生を遂げるために必要な行法とされます。他の行を排してひたすら念仏を称えれば極楽往生できるという「専修念仏」の教えは、立場の異なる教団から批判を浴びましたが、その容易さから多くの支持を得ました。