2021.7.15

モノクロームの貴重な文化財「拓本」 東大寺・筒井長老が語る余白の魅力―奈良大学博物館「東大寺龍松院 筒井家所蔵の拓本展」

東大寺盧舎那大仏台座蓮弁の拓本は、目を見張る大きさ

小さい頃、10円玉の上に薄い紙を置いて、上から鉛筆でなぞり、模様を浮き上がらせた経験はありませんか? 模様が浮き出てきた時、「あれ? こんなに細かい箇所があったんだ」と、今まで気づいていない新たな発見をしたことがあるかもしれません。

その文化財バージョンが「拓本たくほん」です。聞きなれない言葉かもしれませんが、先ほどの10円玉の写しと同じ原理で、凹凸のある文化財の上に、一般的には水で湿らせた紙や布を密着させ※、その上から墨を「タンポ(打包)」と呼ばれる専用の道具で打ち、立体的な対象物を写し採ったものを指します(採った作品は拓影ともいう)。ちなみに拓本を採ることを「採拓(さいたく)」と言い、文化財修理や研究資料として活用されてきた歴史があります。(※湿拓しったくと水を使用しない乾拓かんたくがある。)

一見すると、「魚拓っぽいな」と思いますが、魚拓は裏表が逆になる上、拓本では直に墨を付けないので異なります。写真が無い時代には、絵を描くよりも採拓することで、模様などを間違えることなく記録保存することができました。

近年では、3次元計測や高解像度のデジタル撮影の技術が発達したため、あまり採る機会がなくなりましたが、主に考古学や金石文(刀剣、銅鏡、墓碑、仏像といった金属や石に、刻出・鋳出・象嵌ぞうがんなどの方法で記された文字資料)研究の世界で、重要な資料として扱われました。

拓本の特徴とは?
法隆寺押出仏阿弥陀三尊及び僧形像 (法隆寺献納宝物)画像提供:筒井家

拓本の特徴は、「実物大」であること。白黒の対比によって、対象物の凹凸が強調され「細部の特徴が際立って見えること」。写真画像では全体を漠然と見てしまいがちなりますが、「細部の特徴的な線や形に気づく場合があること」 があげられます。

例えば、レリーフ形式の仏像(塼仏せんぶつ)の拓本なら、実物大なので「こんなサイズなんだ!」と改めて実感でき、光背や宝冠、台座等に見られる非常に細かな文様まで楽しめるのです。

二度と採拓不可能なものばかり 筒井家所蔵の貴重な拓本

そんな拓本ですが、 大変貴重なものも。現在、奈良大学博物館(奈良市山陵町)で開催中の「東大寺龍松院 筒井家所蔵拓本展」では、東大寺の長老・筒井寛昭かんしょう師、その父である寛秀かんしゅう師、祖父の英俊えいしゅん師が3代にわたり、採拓・収集した飛鳥~平安時代までの秘蔵の品がまとまって公開されています。奈良・東大寺の塔頭たっちゅうである龍松院・筒井家が所蔵している拓本は、今では文化財保護法によって採拓が厳重に制限される国宝や重要文化財から採られたものばかり。

例えば、今年110年ぶりの全面解体修理を終えた薬師寺(奈良市西ノ京町)に創建当初から唯一残る建造物、国宝の「東塔」。その頂上を飾る火炎状の装飾金具「水煙すいえん」の拓本は、塔から降ろさない限り採拓するこができません。

手前が創建当初の薬師寺・東塔(国宝)の水煙の拓本。12年かけた東塔の全面解体修理で当時の水煙は保護の観点から役目を終え、新たに平成の水煙が付けられた。この水煙の拓本は、大正~昭和の時代の修理の際に採られたもの

ほかにも、同展を担当する奈良大学の岡田健教授は「法隆寺献納宝物として、明治期に皇室へ献納され、現在、東京国立博物館所蔵になっている 金銅仏の光背の拓本もあり、おそらく明治11年まででなければ採拓できなかった非常に貴重なものが多い」と見どころを語ります。

そもそも、拓本は水を含ませた紙を対象物に貼り、墨を付けておこなうものなので、現在、国宝や重文に指定されている文化財に対しては、文化財保護の観点からおこなわれていません。筒井家所蔵の拓本が、いかに貴重であるといえるか、もうお分かりでしょう。

東大寺・筒井長老が語る拓本の魅力 「拓本には余白の美がある」
奈良大学の岡田健教授(左)と東大寺の別当(べっとう)を務めた筒井寛昭長老(右)

小さい頃から親(筒井寛秀師)の採拓の手伝いをしてきたという筒井長老。拓本には「余白の美」があり「その余白の美こそ、日本文化そのもの」と語ります。

「日本画に余白があるように、ものが存在するということには、すべてが写し出されているのではなく、無感知の部分も存在している」と説明します。「拓本も実物には無い余白があることにより、逆に対象物の特徴がより引き出されるのです。余白は見る者が想像できる良さもあります。これは、イエスかノーかを明確にせず、その間にそれぞれが考える時間を持つことができ、多様性も生まれる日本の在り方と同じですね」

聖林寺十一面観音菩薩像(国宝)光背の拓本。左右の大部分が失われた残欠だが、立体感がある宝相華唐草文デザインなど優れた造形美が特徴。鑑賞していた奈良大学文化財学科美術ゼミの院生は、「博物館学芸員の資格取得の授業では今でも拓本を採る授業があります」と話す

東京国立博物館で開催中の特別展「国宝 聖林寺十一面観音-三輪山信仰のみほとけ」で展示されている国宝・十一面観音菩薩立像。「天平彫刻の最高傑作」とも称されるこの十一面観音像の壊れた光背こうはいの一部を採拓したものも並んでいます。

長老は、「(光背の)半分は残っていないので、(拓本から)実際はどんなんであったのかな?と、自分で想像できる。余白を自分の知識で埋めていく楽しみ方ができるのです」と笑います。

文化財の歴史も伝える拓本
東大寺法華堂 不空羂索観音像宝冠化仏(正面・背面) 画像提供:筒井家

東大寺のなかでも一番古い法華堂(三月堂)のご本尊・不空羂索ふくうけんさく観音立像かんのんりゅうぞう(国宝/奈良時代)は、頭上に宝冠を頂いた姿。像高は23・6センチメートルもありますが、その宝冠の化仏けぶつ阿弥陀如来像の表裏と、如来像に付属する唐草の透彫光背の表裏の拓本も。どうやって採拓したのだろうと不思議に思いますが、戦前に宝冠の一部が盗難にあい、幸いにも戻ってきた時に長老の父・寛秀師が採拓したという経緯があります。

「東大寺盧舎那るしゃな大仏台座蓮弁」
東大寺盧舎那大仏台座蓮弁の一部。実物を肉眼で見た時にはわかりにくい蓮華蔵世界を表した線刻の図様が拓本だとはっきりわかる。東大寺の盧舎那大仏は、ほとんどが後世の復興時の造形だが、この台座蓮弁は、奈良時代の創建当初のもの

採拓で一番難しいのは、「隙間をいかに埋めるか」という点。立体のものを平面にする難しさがあります。「やるのは簡単ですが、テクニックを会得するには3年くらいはかかります。今では油の入った拓本用の墨がありますが、昔の墨はすぐ乾くので難しい。ファンデーションのように濃い墨を薄く薄くつけていきます。紙が伸びるのでそろえて貼るのも大変」(筒井長老)

かつては東大寺の僧侶で採拓している方は何人かいたものの、現在では誰もしていないそうです。

貴重な一次資料として
法隆寺金堂薬師如来坐像光背銘 画像提供:筒井家
法隆寺金堂の薬師如来坐像(国宝) は、9月5日まで東京国立博物館で開催中の聖徳太子1400年遠忌記念 特別展「聖徳太子と法隆寺」で出陳されている。光背裏に刻まれた、法隆寺創建に関わる銘文の拓本も

これら文化財に関しては、今後ほとんど採拓されることは無いであろうと言われています。岡田教授は、「これらは現代においては歴史資料と呼ぶべきものです。拓本を採っていた時代があったという歴史的事実と拓本によって当時の様々なできごとを確認することができます」と、その存在意義を説明してくれました。

作品に刻まれた銘文は、ライトを当てる位置で見え方が異なることもあります。「銘文調査では、なるべく目に見えた通りに文字を手書きしてノートに取りますが、その場で解釈しないようにしています。その意味では、拓本として記録された文字は、正しく形を伝えていますから、どんな文字なのか確認できる資料的価値が高いのです」(岡田教授)。美術作品としても楽しめる拓本は、しっかりとした一次資料でもあるのです。

◆東大寺龍松院 筒井家所蔵拓本展―大和古寺の国宝・重要文化財―

会場:奈良大学博物館(奈良市山陵町1500)
TEL:0742-44-1251
入館無料
開催期間:2021年6月26日(土) ~ 8月31日(火)
前期 6月26日(土) ~ 7月21日(水)
後期 7月24日(土) ~ 8月31日(火)
※期間中、一部展示替えがおこなわれます
開館時間:平日9時~16時半
土曜日9時~12時
休館日:日曜日、祝日
※臨時休館日 8月13日(金)~8月18日(水)
※学校行事等により、開館時間の変更や臨時休館する場合があります。奈良大学博物館HPの開館カレンダーをご確認ください。
URL: http://www.nara-u.ac.jp/museum/exhibition/

いずみゆか

プロフィール

ライター

いずみゆか

奈良大学文化財学科保存科学専攻卒。航空会社から美術館勤務を経て、フリーランスライターに。関西のニュースサイトで主に奈良エリアを担当し、展覧会レポートや寺社、文化財関連のニュースなど幅広く取材を行っている。旅行ガイド制作にも携わる。最近気になるテーマは日本文化を裏で支える文化財保存業界や、近年復興を遂げた奈良県内の寺院で、地道に取材を継続中。

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