日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2021.12.27

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 20-下  奥田敦子さん(すみだ北斎美術館学芸員)

葛飾北斎「南瓜花群虫図」

すみだ北斎美術館(東京都墨田区)の奥田敦子・主任学芸員へのインタビュー。今回は、子どもの頃から日本美術に魅了されて学芸員になるまでの道のり、そして、美術館の設計プランに関わったご苦労やさまざまな同館企画展の魅力をうかがいました。

すみだ北斎美術館の「北斎のアトリエ」で見られる北斎と娘・阿栄おえい応為おうい)の再現模型
「昔の雰囲気」が大好き

―子どもの頃から美術が好きでしたか?

絵を描くのは好きでしたね。また、地元は神奈川県ですが、小さい頃からお墓参りで祖母の故郷の奈良に行き、興福寺などに連れて行ってもらっていました。物心ついた5歳頃には、すでにそうした昔の雰囲気が大好きで、五重塔の前から動かなかったそうです(笑)。母は子供服のデザイナーで、アートの話もよくしていたのですが、父は大学時代を京都で過ごしたのに、金閣寺周辺はラーメン屋さんにしか行ったことがないというほど美術に関心がなくて(笑)。それでも両親で博物館などに連れて行ってくれていました。特に覚えているのは、俵屋宗達たわらやそうたつの「風神雷神図」です。一度見たら忘れられない造形や、背景の金箔きんぱくの神秘的な雰囲気に引き込まれました。

将来は日本の古いものに関わっていきたいと思い、高校生の時に文化財修復や仏師の仕事を知って、文化財修復を学べる東京学芸大学に入りました。まずは、放射性炭素年代測定法などの科学分析、考古学の発掘、近世史、美術史など、幅広く学びました。江戸時代の時代考証がご専門の竹内誠先生や大石学先生、美術史の小川知二ともじ先生などがいらして、大学を出た後も仕事上で助けていただきました。

研究分野を絞るにあたって、やはり小さい頃にお寺や美術館で見た「視覚的に美しいもの」から離れがたくて。科学的な調査や歴史学の文献研究だけではなく、「美しさ」というのは一体どこから来ているのか、その良さを伝える仕事をしたいと思い、美術史に進みました。文化財修復の授業の一環で日本画家の伊藤彬先生から、原画に薄い和紙を載せて絵を写し取る「上げ写し」の技法を学び、画家の筆づかいの面白さを感じたのですが、美術史というのは、そうした要素がすべて詰まった複合的な学問なのかなとも思いました。

大学の卒論では、歴史と美術が融合している関ヶ原合戦図屏風びょうぶを取り上げ、さらに昔の人々の暮らしをのぞいてみたいという興味もあって、大学院では洛中洛外図らくちゅうらくがいず屏風を取り上げました。

洛中洛外図屏風は、室町時代から江戸時代まで100例以上が残っています。多くの研究では、権力の移り変わりにともなって描かれる建物が変わることに注目しますが、私が注目したのは田んぼと畑でした。先行研究もあったのですが、田んぼと畑は建物の間を埋めるためではなく、ある程度、当時の実景を反映して描かれているのです。時代ごとの洛中洛外図屏風を比べると、応仁の乱以来、荒廃していた京都の町が、豊臣秀吉の時代に復興されたことで、建物のエリアが広がり、田畑のエリアがどんどん減っていきます。研究発表にあたって、美術史の先生方からは「変わった研究だね」「よりによって田畑に注目するのか」と笑われて。いまだに「デンパタの奥田」と言われます(笑)。

世紀の発見に立ち会う

-大学院のあと、学芸員になられたのですか?

学芸員はなかなか募集がない職業のため、卒業後は美術専門の出版社に勤めました。少人数体制で、短期間で取材して記事を書いたり、現代作家の画集作りで印刷の色味を調整したりした経験が、今、展覧会図録を作るときなどにすごく役立っています。

その後、浮世絵のコレクションで知られる太田記念美術館(東京都渋谷区)に転職しました。所蔵品には、洛中洛外図屏風など近世初期の風俗画が数点あり、大学院での勉強も生かせましたが、これを機に浮世絵に本格的に取り組むことになりました。

特に印象深かったのは、「特別展 ギメ東洋美術館所蔵 浮世絵名品展」(2007年)の担当をした時です。当時、副館長だった北斎研究の第一人者・永田生慈せいじ先生が、フランス国立ギメ東洋美術館に調査に行き、そこで太田記念美術館所蔵「雨中の虎図」と、ギメ美術館所蔵の北斎の「龍図」が一対の作品だと発見したのです。この展覧会が両図を並べる初めての機会となり、鳥肌が立つ思いでしたね。

すみだ北斎美術館・常設展示室(同館提供)
美術館の設計から考える

―その後、すみだ北斎美術館に、開館準備段階から入られたのですね。

当館は構想から開館まで長期間かかっており、私が入ってから8年ほどのちの2016年に開館しました。 私は美術館の設計プランに関わり、部屋の配置や搬入物の動線の調整にも関わりました。非常にたいへんな作業で、文化財保護について改めて考える貴重な経験になりました。

人間の体も、急に暑くなったり寒くなったりすると、ストレスがかかりますよね。文化財も同じなので、温度や湿度をできるだけ一定に保つことが大切です。収蔵庫や展示室の温湿度の管理はもちろんですが、他の搬入物と鉢合わせることがないよう、搬入口から収蔵庫、展示室へのルートを短くシンプルにする必要もあります。

また、浮世絵は紙に主に天然染料でられているため退色しやすく、照明選びも重要です。昔の照明に比べれば、現在のLEDは熱を持ちにくく、紫外線のカットがかなり進んでいるため、紙へのダメージを抑えつつ、明るくできるようになっていますが、そのなかでも最適な照明を考えました。また、浮世絵ならではの中間色の微妙な色合いを来館者に見ていただくために、照明で赤みや青みが強くなりすぎないよう調整することも大切です。

常設展示室の構成は、「北斎はどのような生涯をたどったのか」「どんな仕事をしたのか」「浮世絵とは何か」という情報を伝える三つのミッションに基づいています。お子さんでも楽しめる情報コーナーや、弟子が描いた、制作中の北斎の姿を再現した立体展示も作りました。

現代マンガにも影響

―企画展では、北斎を軸にさまざまな面白い展示をされていますね。

北斎は、長い画業の間に描き方が変化し、テーマも多様なので、さまざまな切り口の展示ができます。現代のアーティストにも影響を与えており、すみだ北斎美術館でも「ますむらひろしの北斎展 ATAGOAL×HOKUSAI」(2018年)や「しりあがりサン北斎サン ―クスッと笑えるSHOW TIME!―」(21年)の企画展を行いました。ちなみに、人気アニメ「鬼滅の刃」の「水の呼吸」のシーンも、少なからず北斎の「神奈川沖浪裏なみうら」の影響を受けているそうです。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
大判錦絵 天保2年(1831年)頃

また、「筆魂 線の引力・色の魔力 ―又兵衛から北斎・国芳まで―」(21年)では、浮世絵師の肉筆画だけ集めて展示しました。もちろんどの浮世絵師も素晴らしいのですが、最後の展示室に北斎の絵をまとめて展示したら、来館者の方が「最後に大トリ登場!」「やっぱり北斎は迫力がすごい!」と喜んでくださってうれしかったですね。

すみだ北斎美術館では、これからも北斎の面白さを追求していきます。現在は、2022年に向けて、北斎や弟子たちが描いた鬼の絵を特集する、これまでにない企画展を準備しています。異世界を描いた北斎の作品は、パワフルで引き込まれそうな力があり、その発想のユニークさや豊かさを紹介したいと思っています。

◇ ◇ ◇

奥田敦子・すみだ北斎美術館主任学芸員(鮫島圭代筆)

美術館の部屋の配置や照明のお話は、バックヤードを垣間見させていただいた思いでした。そうした知識を踏まえてあらためて美術館に行くと、より深く楽しめそうです。すみだ北斎美術館では、常に北斎を軸としたさまざまな切り口の展覧会を開催しており、今後の企画も楽しみですね。

【奥田敦子(おくだ・あつこ)】東京学芸大学教育学部情報環境科学課程(文化財科学専攻)卒、同大学院教育学研究科(美術教育専攻美術教育講座造形芸術分野)修了。美術専門の出版社勤務、太田記念美術館主任学芸員を経て、すみだ北斎美術館の開設に準備段階から関わる。現在、すみだ北斎美術館主任学芸員として、開館記念展ほか多数の展覧会を企画開催。国際浮世絵学会理事。著書に「広重の団扇絵 知られざる浮世絵」(芸艸堂)、「THE 北斎 冨嶽三十六景 ARTBOX」(講談社)のほか、葛飾北斎・妖怪・花火などに関する論文・解説多数。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

Share

0%

関連記事