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重要文化財「蔦の細道図屏風」
烏丸光広賛 俵屋宗達筆(相国寺蔵)
※企画展「王朝文化への憧れ―雅の系譜」Ⅱ期(2022年5月22日〜7月18日)に出陳予定

2021.12.7

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 17-上 本多潤子さん(相国寺承天閣美術館学芸員)

重要文化財「蔦の細道図屏風」

「わたしの偏愛美術手帳」では、各地の美術館の学芸員さんたちに、とびきり好きな「推し」の日本美術をうかがいます。美術館の楽しみ方といった、興味深いお話が盛りだくさん。このシリーズを通じて、ぜひ日本美術の面白さを再発見してください!

今回お話をうかがったのは、相国寺承天閣しょうこくじじょうてんかく美術館(京都市上京区)の本多潤子・学芸員です。紹介してくださるのは、重要文化財「つたの細道図屏風びょうぶ」(相国寺蔵)。歌人・烏丸光広からすまるみつひろと絵師・俵屋宗達たわらやそうたつのコラボレーションで、作品の中に織り込まれた奥深い構造に驚かされます。

※本多学芸員には、相国寺境内の夢中庵むちゅうあんから、オンラインで取材に応じていただきました。床の間には、臨済宗相国寺派管長で相国寺承天閣美術館名誉館長の有馬賴底ありまらいていが描いた達磨だるま図がかかり、柱には、1950年(昭和25年)に炎上した金閣寺の焼材が使われている由緒ある和室です。本多さんは、お寺の美術館らしく、作務衣さむえの制服をお召しでした。静穏な禅寺の雰囲気を想像しながら、本編をお楽しみください。

―「蔦の細道図屏風」には何が表されているのですか。

江戸時代初めに作られたこの屏風のテーマは、平安時代に成立した「伊勢物語」の第9段「東下り」の一節です。主人公の在原業平ありわらのなりひらが、都落ちをして東国に行く途中、「宇津うつ」の山中で都へ帰る人と行き会ったため、都にいる恋人に向けて和歌を詠み、その人に託すという場面です。

行き行きて、駿河するがの国に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦、かえではしげり、物心細く、すずろなる目を見ることと思ふに、修行者ひたり。「かかる道は、いかでかいまする」と言ふを見れば、見し人なりけり。「京に、その人の御もとに」とて、ふみ書きてつく。

駿河なる宇津の山辺のうつつにも 夢にも人に逢はぬなりけり

富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。

「伊勢物語」第9段より抜粋

とはいえ、この屏風に書いてあるのは、伊勢物語の文章ではなく、江戸時代初期の貴族で歌人の、烏丸光広がこの場面をもとに詠んだ和歌です。中世から近世にかけて、このように伊勢物語に出てくる和歌にならって、新たな和歌を詠む伝統がありました。

行さきもつたのした道しけるより

花は昨日のあとのやまふみ

夏山のしつくを見えは青葉もや

一入ひとしおのつたのしたみち

宇津の山蔦の青葉のしけりつゝ

ゆめにもうとき花の面影

書もあへすみやこに送る玉章たまずさ

いてことつてむひとはいつらは

あとつけていくらの人のかよふらん

ちよもかはらぬ蔦の細道

「蔦の細道図屏風」右隻・烏丸光広の和歌
歌人・光広の演出にしびれる

この和歌の冒頭には、伊勢物語で業平が歩いたのと同じく、蔦が生い茂る道が出てきます。ですから、伊勢物語を知っている人なら、「光広はこの和歌で、業平の東下りを追体験しているのだな」とわかります。また、伊勢物語には「五月のつごもり」とあり、昔の暦でいうと、夏なので、光広はそれを受けて「夏山」と記しています。続く「宇津の山……」の2行は、伊勢物語で業平が詠む和歌「駿河なる……」に重ねたもので、「花の面影」は、都にいる業平の恋人を連想させます。

こうして光広は、伊勢物語を彷彿ほうふつとさせる言葉をちりばめて、鑑賞者をその物語世界にどんどん引き込んでいきます。ついには、「書もあへすみやこに送る玉章よ」の箇所で、恋人への手紙を都に帰る人に託した業平になりきって詠んでいます。最後の2行は「このあと、どのくらいの人がこの蔦の細道を通うのだろう」と、光広も、光広に導かれて今この屏風を見ている私たちも、業平と同じ道をたどっていることに気づかせる仕掛けになっています。

続いて、左隻の和歌を見ていきましょう。

茂りてそむかしの跡も残りける

たとらはたとれ蔦のほそ道

ゆかて見る宇津の山辺はうつしゑの

まことわすれて夢かとそおもふ    

「蔦の細道図屏風」左隻・烏丸光広の和歌

こちらでは「むかしの跡」と、業平の時代を昔のこととして詠んでいます。そして、「たとらはたとれ蔦のほそ道」と、この道をたどるのは光広であり、この絵を見ている私たちでもあるという視点になっています。末尾では、「この宇津の山を見ていると、描かれた絵であることを忘れてしまう」と、それまで没入していた物語世界のなかから、今、この絵を見ている現実の自分へと急に引き戻されます。

このように、右隻から左隻へと、業平、その追体験をする光広、そして、この屏風を見ている現在の自分自身へと視点が動いていくのです。光広のこの重層的な演出には本当にしびれますね。しかも、まるで山道を歩いているようなリズムで強弱をつけて書いています。右隻の緑色の土坡どはの上に記された光広の署名は、歩く人に見えるとも言われます。

相国寺承天閣美術館の外観(同館提供)
研ぎ澄まされたデザイン

絵の要素はシンプルで、蔦、緑の土坡、そして、道だけです。絵師の俵屋宗達は、文字を書く紙に豪華な装飾を施す「料紙装飾」を多く手がけていたため、その経験がこの研ぎ澄まされたデザインに発揮されたのでしょう。実は、右隻と左隻を入れ替えても、土坡がぴったりとつながります。蔦の細道がエンドレスに続くこの構図には、まさに「ちよもかはらぬ蔦の細道」が再現されているのです。

この作品のように、登場人物の姿を描かない絵を「留守模様」といいます。物語のなかの何を描いて、何を描かないかという取捨選択をしているのですね。もし人物が描かれていたら、ここまでこの絵のなかに没入できるだろうか、と思います。業平、光広、そして、この絵を見ている私たちまでが交錯する世界に、この宗達の絵がとても効いています。

―この屏風はどんな経緯で作られたのでしょうか?

それはわかりませんが、留守模様で描かれたことには、発注者の意思が感じられます。光広が貴族で、宗達は町人ですから、2人の間では、光広が主導的だったと思います。宗達が絵を描き、それが光広のもとに運ばれて、絵を見ながら和歌を練り上げたのでしょう。見事なコラボレーションなので、2人はそれほど離れた関係ではなかったと思います。

出版文化の発展で広まった伊勢物語

この作品はあくまでも、伊勢物語の第9段を鑑賞者が知っていることで成り立ちます。当時、伊勢物語のエピソードが、実際に読んだことがない庶民を含めて、文化コードとして広く世の中に定着していたのです。それを可能にしたのは、官民両方で盛んになった出版文化でした。昔から公家文化では、伊勢物語は源氏物語と並ぶ重要な教養でしたが、書写するだけでは、読者が限られます。そうした貴族が抱え込んでいた文化が、出版によってさまざまな階層へと広まったのです。それまでは複数のストーリー展開が伝わっていたのですが、そのなかで最良のバージョンを見極める研究が進み、それを経て出版されたことで、多くの人が同じテキストを読むことになりました。

こうして、蔦が茂る山道の絵を見れば、多くの人が伊勢物語だとわかる土壌が育まれたのです。俵屋宗達でいえば、パトロンでプロデューサーの角倉素庵すみのくらそあんとディレクターの本阿弥光悦ほんあみこうえつのもと、宗達が版下絵を描いた豪華本「嵯峨本」も知られています。

相国寺承天閣美術館・展示室(同館提供)
「いと暗う細きに」を体感する

―この屏風を初めてご覧になったのはいつですか。

大学院生だった2007年に、和泉市久保惣記念美術館(大阪府)で企画展「伊勢物語 -みやびと恋のかたち-」が開催された時です。私は高校時代にお能を習い、伊勢物語の演目を舞って以来、その世界に魅力されました。伊勢物語づくしの展覧会だと聞いて、「これは行かねば」と思って。会場では、伊勢物語の冊子やカルタが並ぶなか、この屏風は大きく、きらびやかでシンプルな構図なので、強いメッセージが飛び込んでくるように感じました。

その時は、のちに所蔵寺院である相国寺に勤めることになるとは、夢にも思っていなかったですね(笑)。就職してから、作品点検のために、右隻と左隻を向かい合わせてその間に立つという、すごく贅沢ぜいたくな経験をしました。本当に蔦の細道にいるように感じて。屏風は本来、和室に立てて座って見るものなので、少しの間、正座させていただいたら、蔦が茂って覆いかぶさってくるようでした。江戸時代のように、天井の照明なしで下からのろうそくの明かりだけで見たら、きっと土坡の緑色が沈み、金箔きんぱくはかなり映えて、まさに「いと暗う細きに」と、伊勢物語に記される感覚を味わえると思います。

◇ ◇ ◇

本多潤子・相国寺承天閣美術館学芸員(鮫島圭代筆)

本多さんはそうした鑑賞体験を経て、売店に置くグッズとして、この屏風のデザインのマスキングテープを作ることを思いついたとか。右隻、左隻、右隻……と、永遠に土坡がつながるので、エンドレスに蔦の細道が続くことを実感できるそうです。次回は、お能のお稽古を通して、伊勢物語に導かれた学生時代の思い出や、和漢の文化を紡いできた相国寺の魅力をうかがいます。

わたしの偏愛美術手帳 vol. 17-下に続く

【本多潤子(ほんだ・じゅんこ)】立命館大学文学研究科博士後期課程を修了、博士(文学)号取得。専門は和歌文学。立命館大学、嵯峨美術大学などの非常勤講師を経て、2014 年に相国寺承天閣美術館に就職。現在は、同館学芸員として、相国寺と相国寺派の寺院に伝来する寺宝の調査、展示に取り組む。「言祝ことほぎの美」「茶の湯――禅と数寄」「いのりの四季」展などを担当。「茶道雑誌」に「相国寺と茶の湯」を連載。立命館大学授業担当講師として、京都学、日本文学の教育にも携わる。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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