2021.11.19

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 16-下 榎村寛之さん(斎宮歴史博物館学芸員)

「伊勢物語図屏風」

三重県指定文化財「源氏物語色紙貼交屏風」
17世紀前半(斎宮歴史博物館)

斎宮さいくう歴史博物館(三重県明和町)の榎村寛之・学芸員へのインタビュー。今回は、斎宮の研究に導かれた経緯から、源氏物語に登場する斎王のお話、さらには、マンガや宝塚歌劇でも親しまれるその魅力をうかがいます。

絵巻をもとにした再現展示

―斎宮歴史博物館に採用されたのは、 大学院を卒業してからですか。

ええ。大学から日本古代史を専攻して、奈良時代の文献を研究し、修士論文では、伊勢神宮の経済史を取り上げました。それで、伊勢神宮つながりということで、1987年に開館準備中だった斎宮歴史博物館に唯一の学芸員として採用されました。斎宮跡の発掘調査の成果を公開する博物館として計画され、土器などの出土品だけでは平安時代のイメージが伝わらないため、模型や人形などの再現展示をしようという方針でした。当時はちょうど、そうした新しい展示スタイルの博物館が全国的に増えていたのです。

最初の仕事は、中央公論社から刊行されたばかりのオールカラーの「日本の絵巻」の全集から、再現展示に使えそうな平安時代の衣装、調度品、儀式などの絵をコピーして、カードに貼り、説明を書くというものでした。当時はパソコンなどなかったですから。

祈る斎王イメージ人形(斎宮歴史博物館)

今なら、インターネットで簡単にカラー画像が見られますが、当時は、展覧会図録でも、冒頭の十数ページがカラーだとすごいなという感じでした。高校時代、図書室にあった「日本絵巻物全集」を眺めるのが好きでしたが、全てモノクロだったので、動きの少ない源氏物語絵巻はあまり楽しめませんでした。そのため、オールカラー版の全集の登場は、色彩の素晴らしさがわかるのですごく画期的でしたね。当館の「斎王居室」は、そのようにして平安時代の絵巻をもとに作った再現展示です。

斎王居室(斎宮歴史博物館)
斎宮発展の背景

―斎宮歴史博物館に入られて、研究対象が奈良時代から平安時代に広がったのですね。

奈良時代は約80年間ですが、平安時代は約400年間もあります。しかし、当時は、研究者の数が同程度でした。そのうえ、平安時代は中世史の範囲という認識が強かったので、私のように奈良時代から通して研究する人はほとんどいませんでした。

奈良から京都へ都が移ったことで、港も難波津なにわづ(大阪)から琵琶湖へと移り、経済体制や文化、ひいては、国のかたちが大きく変わるなか、斎宮のありようも、かなり変化しました。奈良時代には百数十人ほどの規模でしたが、平安時代には平安京にならった碁盤の目の区画になり、500人以上が働くようになったのです。

そうした体制を作ったのは、桓武かんむ天皇です。というのも、天皇は伊勢神宮に対して負い目が二つあり、伊勢神宮を大事にしていることを政策でアピールする必要があったのです。その負い目とは、祖父の施基皇子しきのおうじが壬申の乱で天照大神に願をかけて勝った大海人皇子おおあまのおうじ(のちの天武天皇)に滅ぼされた大友皇子おおとものおうじ(天智天皇の子)の弟で、天武系ではなく天智系の天皇だったこと。もう一つは、父・光仁こうにん天皇が、もと斎王だった義理の母・井上いのえ内親王に、自分を呪い殺そうとしたという疑いをかけて廃位させてしまったことです。

そうしたわけで、桓武天皇は斎宮を立派に整え、酒人さかひと内親王(井上内親王の娘)を斎王に立てて、のちには、酒人内親王と結婚して、その間の娘も斎王にしました。それと同時に、伊勢神宮の組織や運営に関する詳しいレポート「儀式帳」を作らせました。後年、それをもとに「延喜式えんぎしき」の斎宮式が作られ、こうして伊勢神宮は、国の法律で支配される唯一の神社になったのです。

日本最古のいろは歌の筆跡

10年程前に、土師器はじきという種類の素焼きの土器の表面に、「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむ……」のうちの「ぬるをわか」の文字が書いてあることが分かりました。これは、いろは歌を書いた日本最古の筆跡で、しかも、当時の能書家・藤原行成ふじわらのこうぜいの系統ともいわれる美しい字体です。宮廷文化の一級品の文字資料が、斎王が住んだ周辺から見つかったのです。

平安時代、紙は貴重品でしたが、土師器は当時「かはらけ」と呼ばれ、枕草子に「清いと見えるもの」と書かれているように、清いものであり、高貴な人々は食事のあと、毎回使い捨てていました。ですから、気軽に使えて、紙とあまり変わらない感触で筆が運べる土器を、斎宮の女官が書のお稽古に使っていた可能性があります。当時の筆は手作りで、筆ごとに書き味が違うため、筆ならしをする必要がありました。しかも、焼き物なので、今に残ったのですね。斎王の周りに、そうした形でキャリアを高めていく女性たちが数多くいたものと想像されます。

伊勢物語の第69段「狩の使」では、斎王がさかずきの底に別れの歌を書いて業平に贈ります。当時のお酒は白いどぶろくですから、飲み干してから歌に気づいたのでしょう。業平は盃の裏側に下の句をつけて返します。この土器を見ていると、その場面がよりいきいきと想像できると思います。

「いろは歌」ひらがな墨書土器(表面・裏面)
平安時代後期・11世紀末頃
斎宮跡出土(斎宮歴史博物館)
源氏物語に登場する斎王

―「源氏物語色紙貼交はりまぜ屏風びょうぶ」についてもお聞かせください。

江戸時代初期の土佐派の絵師による古風な源氏物語絵は、全国に数点しかなく、古美術商にこの屏風を見せてもらったときには息をのみました。当初は源氏物語54じょうの絵と詞書ことばがきの色紙が作られ、のちに何らかの理由で18帖が失われて、残った36帖を屏風として仕立て直したのでしょう。保存状態が良く、絵も華やかで、詞書は後陽成ごようぜい天皇や烏丸光広からすまるみつひろといった当時の能筆家を思わせる美しさです。

源氏物語に登場する斎宮といえば、秋好中宮あきこのむちゅうぐうですね。幼い頃、斎王に選ばれて母・六条御息所ろくじょうのみやすどころとともに伊勢に下り、やがて天皇が代わったために都に戻り、その後、源氏の隠し子である冷泉院れいぜんいん入内じゅだいして秋好中宮となります。

「源氏物語色紙貼交屏風」(左隻)の野分絵

第28帖の「野分のわき」の場面の、拡大画像をご覧ください。20センチ弱の色紙に密に描き込まれ、銀箔ぎんぱくは年を経て黒く変色していますが、本来は金銀の箔がきらめく華やかな絵です。

源氏は、春夏秋冬の四つの町(ブロック)からなる邸宅、六条院を造り、そのうち、秋の町を秋好中宮が里帰りするときの屋敷として用意しました。庭には菊やススキ、ナデシコなど秋の花々が植えられ、この絵では、野分(台風)明けに、その花盛りの庭で少女たちが虫かごを持ち、朝露がついた葉を集めています。秋好中宮は、おそらく左上のお顔が見えている女性、あるいは、左側の部屋の奥にいらっしゃるイメージかもしれません。

源氏物語の作者・紫式部は、斎宮と秋に共通する、美しくてどこか寂しいイメージを重ねあわせ、秋好中宮を秋の町に配したのだと思います。秋好中宮には実在のモデルがいます。重明しげあきら親王の娘で、もと斎王であったため、「斎宮女御にょうご」と呼ばれ、村上天皇のきさきになった徽子女王よしこじょおうです。三十六歌仙さんじゅうろっかせんのひとりで、優れた秋の歌を数多く詠みました。

秋好中宮は比較的地味な役どころですが、そんな彼女のストーリー上の役割は、実は、むらさきうえに負けることではないかと思います。身分は秋好中宮のほうがはるかに上で、教養や芸術性にも秀でていますが、歌などをやりとりするうちに、秋好中宮が紫の上のセンスに感心するのです。秋好中宮が優雅であればあるほど、紫の上の良さが引き立つ構造になっていて、紫式部がそうした役どころをもとに、斎王として設定したのもすごいなと思います。

古代の物語への扉

―最後に、斎宮歴史博物館の魅力をお聞かせください。

斎宮周辺の自然は平安時代からほとんど変わらず、青い空や山の夕焼けのもと、伊勢物語や源氏物語の登場人物に思いをせることができます。今風に言えば、ドラマの「聖地」といったところでしょうか。

最近は、斎宮を舞台にしたコミックやライトノベルも増えています。有名なところでは、大和和紀やまとわきさんの「あさきゆめみし」に源氏物語の秋好中宮が出てきますし、最近では、灰原薬はいばらやくさんの「応天の門」にも斎王が登場します。

また、私は30年来の宝塚ファンなのですが、2001年に伊勢物語を題材にした「花の業平」が上演されることを知り、斎王を演じる娘役スターの琴まりえさんに資料とファンレターをお送りしました。すると、1週間後に突然、ご本人が当館にいらして。展示室を案内したり、業平の時代の土器をガラス越しではなく見ていただいたり、近くの「いつきのみや歴史体験館」で十二単じゅうにひとえを着ていただいたりしました。役作りに役立ったと非常に喜んでいただき、私もその舞台を何度も見に行きました。今でもCSのタカラヅカ・スカイ・ステージで放送される名作で、ファンとしても研究者としてもうれしいです。

◇ ◇ ◇

榎村寛之・斎宮歴史博物館学芸員(鮫島圭代筆)

ミステリアスで、ロマンあふれる斎宮のお話はいかがでしたか。榎村さんが「物語と歴史と発掘調査がシンクロして、斎宮という形になっている」と話すその魅力を、現地でかみしめてみたいですね。斎宮が登場するマンガや劇を見てから訪れるのも楽しそうです。

【榎村寛之(えむら・ひろゆき)】1959年、大阪府生まれ。大阪市立大学文学部、岡山大学大学院文学研究科前期博士課程を経て、88年、関西大学大学院文学研究科後期課程単位取得退学。現在、三重県立斎宮歴史博物館学芸普及課長。著書に「律令天皇制祭祀の研究」(塙書房、96年)、「伊勢斎宮と斎王―祈りをささげた皇女たち」(塙書房、2004年)、「古代の都と神々 ―怪異を吸いとる神社」(吉川弘文館、08年)、「伊勢斎宮の歴史と文化」(塙書房、09年)、「伊勢斎宮の祭祀と制度」(塙書房、10年)、「伊勢神宮と古代王権―神宮・斎宮・天皇がおりな した六百年」(筑摩書房、12年)、「斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史」(中央公論社、17年)、「律令天皇制祭祀と古代王権」(塙書房、20年)など。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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