2021.10.22

青い日記帳「円仁、相応、源信、慈円、天海 ― 押さえておきたい 天台宗5人の高僧」

伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」

特別展開幕前日の報道内覧会でも注目された東京・深大寺の「慈恵大師(良源)坐像」

当たるも八卦はっけ、当たらぬも八卦――。

お寺に参拝したあと、おみくじを引くのはちょっとした楽しみのひとつです。そのおみくじを考案したのが、平安時代に比叡山の発展に努めた慈恵大師じえだいし良源りょうげん(912~985年)です。良源は正月の3日に入滅したことから、元三がんざん大師の通称で広く知られています。東京国立博物館(東京・上野)の平成館で開かれている特別展「最澄と天台宗のすべて」には、東京・深大寺の秘仏「慈恵大師(良源)坐像」(鎌倉時代、トップ写真)が205年ぶりにお出ましになり、公開されています。坐像ですが、その高さは約2メートル! 日本最大の僧形の古像に圧倒されつつ、左右それぞれから見ると、形相が違って見えたりと、得も言われぬありがたさがあるお像です。

天台宗を日本で広めた、伝教大師・最澄(767~822年)が創建した比叡山延暦寺は、多くの高僧を輩出した、今の大学院のような教育機関としての働きも担っていました。浄土宗の祖・法然、浄土真宗の祖・親鸞、臨済宗の祖・栄西、曹洞宗の祖・道元、日蓮宗の祖・日蓮たちはみな、比叡山で学んだ後に各宗派を開きました。最澄のよき友であり、ライバルでもあった弘法大師・空海(詳しくは、おかざき真里さんの漫画「うん」を読みましょう)が開いた真言宗や、南都七大寺以外の多くの宗派が延暦寺を基にしているのです。

「最澄と天台宗のすべて」をご覧になる前に押さえておきたい、延暦寺が輩出した天台宗の5人の高僧を紹介してまいりましょう。最澄は苦労の末、「法華経」を根本経典とする天台の教えを切り開いたのですが、それを比叡山で学んだ人たちが、体系化しつつ全国へ広めていった結果、冒頭のおみくじや降魔札ごうまふだ(お札)、厄除やくよけ大師などが、現在の我々の生活の中にも深く根付いているのです。

展覧会場で最初に出迎えてくれるお像はほかでもない重要文化財「伝教大師(最澄)坐像」(滋賀・観音寺)だ。向こう側の展示は、国宝の「聖徳太子及び天台高僧像」(兵庫・一乗寺)

今回は、仏像やお経、書といった美術品にはあえて触れず、天台宗の僧侶たちに焦点を絞って、本展を紹介してみました。「人物だけ」に注目しても、十分に興味が湧くはずです。会場には、全国各地から、寺宝である秘仏が大集結しています。消化不良を起こしかねないほどの物量で、見る者を圧倒する特別展「最澄と天台宗のすべて」。1200年もの長きにわたり、「不滅の法灯ほうとう」をともし続けてきた結果、その教えは、まるで空気のように我々の普段の生活の中にあります。最澄の教えの深さと広がりを改めて知る好機と言える展覧会が、「最澄と天台宗のすべて」なのです。

慈覚大師じかくだいし円仁えんにん(794~864年)

最澄亡きあと、天台宗の基盤を盤石なものにしたのが、第三代天台座主の円仁です。教化のため、現在の関東・東北地方を巡るだけでなく、「最後の遣唐使」として中国へ渡るなど、入滅するまで、天台のみならず、日本仏教の発展に大きく寄与しました。最も大きな功績は、天台密教を確立させたことでしょう。四天王寺(大阪市)が所蔵する現存最古の台密たいみつ(天台宗に伝わる密教)系両界曼荼羅図まんだらずである重要文化財「両界曼荼羅図」(12~13世紀)は必見です。866年には、最澄ととともに日本最初の「大師」として、慈覚大師の号が与えられました。

現存最古の台密系界曼荼羅図である重要文化財「両界曼荼羅図」(大阪・四天王寺)
円仁ゆかりの「摩多羅神またらじん二童子像」(右)と「熾盛光しじょうこう曼荼羅図」(いずれも栃木・輪王寺)

建立大師こんりゅうだいし相応そうおう(831~918年)

延暦寺で行われている修行の中でも、最も苛烈を極めるのが、「千日回峰行せんにちかいほうぎょう」です。7年間に「1000日」(実際には975日)、白装束で神仏に祈りを捧げながら、比叡山の峰々を 巡礼する行。7年間の総歩行距離は4万キロ! 地球1周分にも相当します。2017年に千日回峰行を見事達成し、戦後14人目の「大行満だいぎょうまん」になった釜堀浩元かまほりこうげん氏に以前、お話をうかがう機会があったのですが、想像を絶する荒行で頭が真っ白になったそうです。この回峰行を始めたのが、相応です。展覧会に出ている肖像画はとても穏やかなお顔をしており、「天台回峰行の祖」のイメージとは違った印象を受けます。

鎌倉時代(13世紀)の作品である重要文化財「相応和尚像」(滋賀・延暦寺)

恵心僧都えしんそうず源信げんしん(942~1017年)

源信の名は高校の日本史や古典の教科書に、「往生要集おうじょうようしゅう」を著した人物として載せられています。「往生要集」は、その後の日本の文化(思想や文学、美術)に多大な影響を与えただけでなく、中国(宋)にも逆輸入され、中国仏教界でも知られた学僧です。「一乗要決いちじょうようけつ」「観心略要集かんじんりゃくようしゅう」といった書も残しました。源信なくして、法然、親鸞の誕生はなかったことを思うと、いかに「往生要集」が重要な書物か、分かるはずです。展覧会には、書写年代の判明する中で完存する最古の写本、重要文化財「往生要集」(1171年)や、「往生要集」の世界を視覚化した国宝「六道絵ろくどうえ」(13世紀)が出ています。

日本文化に多大な影響を与えた「往生要集」(重要文化財、京都・青蓮院)
「往生要集」の世界を視覚化した国宝「六道絵」(滋賀・聖衆来迎寺)

慈鎮和尚じちんかしょう慈円じえん(1155~1225年)

おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つそまに墨染の袖

小倉百人一首の中のこの和歌を詠んだのが慈円です。関白・藤原忠通ふじわらのただみちを父、兄に九条家の祖・兼実かねざねを持つ貴族に生まれた慈円は、4度も天台座主を務め、「新古今和歌集」や「千載せんざい集」にも多くの和歌が収録されるほどの歌の名手でした。学校の教科書にも出てくる歴史書「愚管抄ぐかんしょう」を著したのも慈円です。仏教界だけでなく、日本の中世文学に多大な影響と足跡を残しました。本展の「教学の深まり―天台思想が生んだ多様な文化」のセクションは派手さこそありませんが、天台宗の奥深さを実感でき、大事です。

慈円筆の重要文化財「消息」(京都・曼殊院)

慈眼大師じげんだいし天海てんかい(1536?~1643年)

延暦寺の歴史を語るうえで、どうしても外せないのが、織田信長による焼き討ちです。壊滅的な被害を受けた比叡山の復興に大きな役割を果たしたのが、慈眼大師・天海です。江戸時代となり、徳川家康、秀忠、家光の3代から信頼され、幕政に参画するまでになりますが、その出自は謎に包まれており、「明智光秀と同一人物」説まで流布されるほどです。家康の没後、日光東照宮や輪王寺を整備しつつ、江戸に「東の比叡山」寛永寺(東京国立博物館の敷地もかつては寛永寺の一部でした)を創建するなど、関東地方における天台宗の発展に大きく貢献しました。108歳まで長生きしたとされる傑僧けっそうです。展示されている重要文化財「慈眼大師(天海)坐像」(1640年)は、生前に作られたものです。

江戸時代(寛永17年)の作品である重要文化財「慈眼大師(天海)坐像」(栃木・輪王寺 )
「慈眼大師縁起絵巻」(東京・寛永寺)
東京・寛永寺の境内が描かれている「東叡山之図」

(写真は中村剛士さん提供)

中村剛士

プロフィール

ライター、ブロガー

中村剛士

15年以上にわたりブログ「青い日記帳」にてアートを身近に感じてもらえるよう毎日様々な観点から情報を発信し続けている。ウェブや紙面でのコラムや講演会なども行っている。著書に『いちばんやさしい美術鑑賞』『失われたアートの謎を解く』(以上、筑摩書房)、『カフェのある美術館』(世界文化社)、『美術展の手帖』(小学館)、『フェルメール会議』(双葉社)など。 http://bluediary2.jugem.jp/

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