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2020.3.6

【音月桂の和文化ことはじめvol.4】700年前の宝塚? 神秘的で厳粛な能の世界に驚きの連続

今回の講師は、観世流能楽師の山階彌右衛門さんと武田宗典さんです(右から)

寒さの中にも、春の気配が少しずつ感じられるシーズンになりましたね。今回、女優の音月桂さんが訪ねたのは、東京・千駄ヶ谷にある国立能楽堂です。ミュージカル公演を終えたばかりの音月さん。舞台を“洋”から“和”に変えて、日本の伝統芸能の中でも約700年の歴史を持つ「能」を体験します。「舞台人である私たちの原点となる芸能で、一度は勉強をしたいなと思っていたんです」と緊張気味の音月さんに、「能は700年前の宝塚ですよ」とにこやかに話してくれたのは観世流能楽師、山階やましな彌右衛門やえもんさん。時折ユーモアも交えながら、能の世界へといざなってくれました。

まずは歴史から…失敗すれば切腹? 信長や秀吉も自ら舞った

まずは、能の歴史と概要を学びます。

日本には奈良時代、大陸から曲芸などが伝わり、平安時代には「猿楽」となって庶民に親しまれました。豊作を祈る儀式「田楽」に歌劇的要素が加わった「田楽能」も生まれ、芸を競い合うグループができて、能が成長していきました。

「室町時代に入り、私の26代前の祖先の観阿弥とその息子の世阿弥によって大成されました。歌と踊りに物語性も付け加えた、いわば日本のミュージカルです」と山階さん。2001年にはユネスコの無形文化遺産にも登録された、我が国で最も古い芸能の一つです。

能には神様や侍、女性が出る恋愛ものなどいくつかの種類の演目がありますが、「化け物や鬼を退治する演目が、初心者にはわかりやすくておすすめです」と山階さん。織田信長や豊臣秀吉も、源義経が主役の能を一節だけ自ら謡い、舞い、戦勝を願ったと伝えられています。

200を超える演目があり、うち100曲がよく演じられるそうです。「江戸時代には、その100曲のうちから『これをやりなさい』とお殿様に言われて、その場でできなければ、能楽師は切腹でした」という山階さんの言葉に、「切腹?!」と音月さんは目を白黒させます。

能の稽古とは…舞台稽古1回のみ 汗も止める能楽師の技

「能楽師は男性だけですか」と尋ねる音月さんに、「戦前までは。今は女性もいます」と山階さん。山階さんはシテ方(主役)の能楽師として、男の役も女の役も演じます。「劇中で女性が亡くなった夫の形見の装束を着て舞うという演目もあります。宝塚と同じ男装が昔からあったんですね。性別を変えて演じる芸能というのは、日本独特の発想かもしれません」と話すと、音月さんも興味深そうにうなずきます。

音月さんが気になるのはお稽古のこと。「能では、舞台全体での稽古は本番2日前くらいに、1回だけです。それまでおのおので稽古をします」「ええ~! ミュージカルだと、1か月前後はやりますよ。1回で(共演者に)気持ちが伝わるんですか」。音月さんも興味津々です。「この気持ちでやりましょうと話す場合もあれば、以心伝心で感じなさいと言う場合もありますね」「すごい!」。

人気作品になると数か月や数年にわたるロングランとなるミュージカルとは異なり、能の公演は、基本的に1回きりなのだそうです。「逆に毎日されるのは、大変じゃないですか」と山階さんが尋ねると、「たしかに、同じ時間に同じセリフを毎日、というのは、慣れも出てくるし忍耐も必要ですね」と音月さん。

能ではマイクを使わず、地声です。「季節によって、喉の調子も気を使われますよね」と音月さん。「実は私、花粉症なんです。でも不思議と舞台に上がると止まる。汗も止まります」。山階さんの涼しい顔に、音月さんは「どうするんですか」と前のめりに尋ねます。「気を止めるというか、細胞を締める。だから、楽屋に戻ってすべてを取ると、どっと汗が出ます。面も装束も貴重なものですから、汚したら師匠に本当に怒られます。何百年も使い続けるものですから」

能面のひみつ…「裏」は役者の顔

ここで、同じ観世流能楽師の武田宗典さんが、4種類の能面を持ってきてくれました。能面と能装束に話が移ります。

音月さん、般若はんにゃの面を怖がりながらも「能面は、実は表情が豊かなんですね」とじっくり眺めます。「私たちはめんとは言わず、おもてと呼びます。そして『裏』は役者の顔です。面と顔が『表裏一体』になると能面に魂がこもるんです」と山階さん。

般若の面に、「こわい! ゾクゾクしますね」と音月さん

能面は老若男女、神、鬼など50種類くらいあり、主役を演じるシテ方は面をかけますが、相手役となるワキ方はかけません。「面をかけなくても、口と目以外は動かさず、表情を出してはいけないんです」「私たちは自分の表情で演技をしますね。感情が自分の中にあるのに、顔に出してはいけないというのは難しそうです」と音月さん。

今回見せてもらった能面。左から般若、小飛出(ことびで)、中将、小面(こおもて)
面を一つ一つじっくり見て……
般若をつけていただきました
豪華な能装束を体験

続いて、能装束について。

能の舞台衣装は、色や模様を織りや刺繍ししゅう金箔きんぱく・銀箔などで表現した華やかさで知られています。「ここには秋草の菊、とま屋と呼ばれる民家が描かれていますね。これは高貴なお姫様というよりは、庶民の女性が着る装束です」と山階さんが紹介します。装束は、役柄の性別や年齢、身分などで色や柄が異なります。着付けは通常3人がかりで行うそうです。

能衣装をまとった音月さん。「心地よい重さですね」

能では、着付けも大道具・小道具の組み立ても、専門スタッフではなく能楽師が自ら行います。さらには、地謡じうたいもシテ方が担当するとか。「(やり方を書いた)本はなく、全部覚えないといけません」という山階さんに、「オールマイティーに何でもこなせないといけない。忙しいですね」と音月さんが感心します。

いよいよ舞台へ…静かな動きで喜怒哀楽を表現

いよいよ能舞台で、動きに挑戦します。能の本舞台は3げん(約6メートル)四方の正方形で、ひのきづくり。柱と屋根がついているのは、かつて能が屋外で上演されていた名残です。観客席は正面だけでなく斜め、横と舞台を囲むように設けられています。「お客様との距離が近くて緊張感がありますね。でも、声がほわっと中で響いて、とても気持ちの良い舞台ですね」。舞台に上がると、たちまち女優目線になる音月さんです。

装束は脱いで、すり足にチャレンジします

山階さんから、基本的な動作である「すり足」を学びます。

「足を出して、上げて、床につける。足を出すときには太ももから前に出すイメージで。つける時に前へ体重移動し、舞台をつかむように指に力をいれて」。「移動するのに時間がかかりますね」と音月さんは四苦八苦。それでもきれいに型が決まり、山階さんも「さすがですね」と驚きます。「女性の役では大股にならないように歩きます。装束も重く、能面も視野が狭いので、女性の役が一番大変です」と山階さん。「女性は繊細に動かないといけないんですね。私はぜひ鬼の役をやりたいです!」と音月さんが宣言すると、笑いが起こりました。

ここで武田さんが、能独特の動きを何種類も実演してくれました。表情を変えず、穏やかなしぐさで人間の喜怒哀楽を伝えます。「動きも表情も抑えないといけない。表現力がすごく難しいですね。見る人の想像力やイメージも必要なんですね」と、能の見方を学ぶことができました。

音月さんの体験の動画はこちらから(音声をオンにしてお楽しみください)

最後は、「サプライズのプレゼント」として、山階さんと武田さんが「高砂」を披露してくれました。「高砂の舞を見ると恋愛成就の御利益にあやかると言われています」と聞き、音月さんも熱心に鑑賞しました。山階さんは2020年6月3日に国立能楽堂で行われる能の公演で、「吉野天人 天人揃てんにんぞろえ」のシテ(主役)を演じます。武田さんも出演します。「宝塚でもおなじみの群舞ですよ」と紹介する山階さんに、「面白そうですね!」と興味津々の音月さんでした。

1階の資料展示室も必見

国立能楽堂の1階には、能に関する資料を集めた資料展示室があり、桃山時代の能の舞台の様子を描いた屏風びょうぶや、古い謡本うたいぼんなどが展示されています。職員の方に案内してもらいながら、「色合いがとてもきれい。大切に大切に保管されてきたんですね」と、一つ一つを熱心に見て回りました。

〈能ことはじめ〉伝統を受け継ぎ、次代へ伝える責任感に共感

今日のお話の中で、「新しい」とおっしゃる時代が20~30年前、古いというのは数百年。とてつもない時間の長さですよね。その途方もない長い歴史を、先人から受け継いで現在まで伝えてこられたという伝統の重みを感じました。

演劇ですから、お客様も大切ですよね。能は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら、歴史上の有名人がパトロンとして支えられたと伺いました。幕府や大名お抱えであった能楽師が、明治維新で一度は職を失ったともおっしゃっていましたが、それでも今まで続けてこられた。私もファンの方がいらっしゃるから、今舞台に立てています。

山階さんは、能楽界は上下の序列が厳しいとおっしゃっていましたが、宝塚歌劇も同じ。宝塚も先輩、後輩の関係はきっちりあり、先輩が、舞台のマナーや男役としてのしぐさ、動き方を後輩に教えてくださいます。私たちはそれを受け継ぎ、次の代にきちんと伝えないといけない。受け継ぐ方も、受け取る方にも大きな責任が生じます。そうやって役者のDNAが紡がれていくのでしょうが、それも能の世界から派生したものなのだ、ということがよくわかりました。

山階さんはレクチャーの時はとてもニコニコされておられましたが、ひとたび舞台に立たれるとビシッと空気がはりつめて、とてもかっこよくて。一瞬でスイッチが切り替わり、大きなエネルギーを感じました。2、3歳で初舞台を踏まれたと伺いました。本当にとても長い時間をかけて、お稽古をたくさんされて、積み重ねてこられたんだと感じます。

同じ芸能というジャンルでありながら、能はすごく神秘的で、厳粛で……。動きや表情など、表現の仕方に想像以上に制約があるんですね。静かな動きの中で、大切なものだけを表現されていると知り、驚きました。でも、その中で、役者としての自分らしい表現方法はどうやって見せておられるんでしょう。そういった点も、また機会があればお話を伺ってみたいです。能は我々の芸事の始まりですから、ずっと知りたいと思っていました。今、このタイミングで能の世界に出会えてとても良かったと感じています。(談)

●国立能楽堂

東京都渋谷区千駄ヶ谷4-18-1
公演情報などは公式サイトへ

https://www.ntj.jac.go.jp/nou.html

(企画・取材 読売新聞紡ぐプロジェクト事務局 沢野未来、撮影 今利幸)

音月桂

プロフィール

女優

音月桂

1996年宝塚音楽学校入学。98年宝塚歌劇団に第84期生として入団。宙組公演「シトラスの風」で初舞台を踏み、雪組に配属される。入団3年目で新人公演の主演に抜擢されて以来、雪組若手スターとして着実にキャリアを積む。2010年、雪組トップスターに就任。華やかな容姿に加え、歌、ダンス、芝居と三拍子揃った実力派トップスターと称される。12年12月、「JIN-仁/GOLD SPARK!」で惜しまれながら退団。現在は女優として、ドラマ、映画、舞台などに出演している。

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