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2020.5.19

修復の技 慈しみの心~静嘉堂「付藻茄子」陶器の破片、漆でつなぐ

日本美術の名品は、傷んだ後も手が加えられ、慈しみの心で守り伝えられてきた。陶磁器などでは、造形的な綻びについても卓抜なセンスで繕われることがあり、その芸術性がでられてきた。美術品の修復や繕いに関する奥深い世界を河野元昭・静嘉堂文庫美術館館長に聞いた。

日本美術品は優しくか弱い。日本画と油絵を比べてみるとよく分かる。つねに修復を繰り返していないと、すぐに傷んでしまう。しかし不思議なことに、修復によって新しい美が生まれ、歴史的な物語が付加され、また未知の発見がもたらされ、その作品の美的価値が高まることがある。

「大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子」(南宋~元時代・12~13世紀 静嘉堂文庫美術館蔵)

静嘉堂文庫美術館に「付藻茄子つくもなす」と呼ばれる茶入ちゃいれがある。付藻(九十九つくも)銘は、室町時代の茶人である村田珠光の購入額九十九貫にちなむという説もある。中国・南宋~元時代の茶陶で、はじめ足利義満の愛蔵から、所有者を次々に変え、ついに織田信長、豊臣秀吉らの天下人の手から手に渡ったが、大坂夏の陣で大坂城と運命を共にする。

徳川家康が、奈良の塗師である藤重ふじしげ藤元とうげん藤巖とうがん父子に焼け跡の探索を命じ首尾よく発見されたが、粉々に割れていた。家康の命に従い、父子が修復を施して差し出すと、余りにみごとな復元振りに、「付藻茄子」は藤元に下賜されたという。確かに表面は完全に漆なのだが、まるで陶器のように見えるだけでなく、その地肌の美しさに誰しもが魅了されるのだ。

X線調査で詳細判明
「付藻茄子」の側面からのX線写真

1994年、静嘉堂による透過X線調査が行われ、「付藻茄子」は陶器の破片をつなぎ合わせ、漆で補修復元されていることが明らかとなった。

審美眼をそなえた武将や数寄者に愛され続けてきたこの茶入が、それ自体すぐれた美質をそなえていたことはいうまでもない。しかし、損壊と修復によってオリジナルの美質が変質したにもかかわらず、いや、それ故にこそ新しい価値が生み出されているという事実に、興味尽きないものがある。静嘉堂文庫創設者で、後の三菱第二代社長・岩崎彌之助が、兄彌太郎から給与を前借りしてまで手に入れたという逸話も納得が行く。

俵屋宗達の屏風を修理
国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」関屋図 俵屋宗達筆 江戸時代・1631年 静嘉堂文庫美術館蔵

静嘉堂文庫美術館における修理事業として、俵屋宗達の彩管になる国宝「源氏物語関屋せきや澪標図みおつくしず屏風」の抜本的修理についても触れておきたい。

亀裂など損傷箇所が改善されたことはもちろんだが、「関屋図」隻左下の表装に隠れていた紅葉した落ち葉が発見されたことで、秋の物語との齟齬そごを指摘されていた緑青の山は、宗達独自の美意識によることが明らかになった。2019年、米国・メトロポリタン美術館で開催された「The Tale of Genji」展に修復後の完璧な姿で出品し、海外でも宗達芸術を堪能してもらえたのだった。

静嘉堂文庫美術館は2022年、東京・丸の内の明治生命館に新しいギャラリーを開館する。明治生命館は、1934年、岡田信一郎・捷五郎兄弟の設計による古典主義様式の建築で、昭和の建造物で初の重要文化財に指定されているが、2005年竣工しゅんこうのリニューアル工事は将来の活用を視野に入れながら保存するという画期的な手法であった。この名建築の素晴らしさを充分に生かしながら、来館者に見やすい展示会場となるよう計画している。

保存から活用へ。これも一種の修復事業だが、むしろ積極的な修復事業だといってよいであろう。(寄稿)

河野元昭 静嘉堂文庫美術館館長  

こうの・もとあき 1943年生まれ。美術史家(日本近世絵画史)。静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区)館長、東京大名誉教授。美術専門誌「國華」前主幹。

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