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2020.10.9

【おちこち刀剣余話vol.1】 歴史小説家がときめく国宝の名刀・三日月宗近 その数奇な物語

昨今、日本美術界で人気を集めている「刀剣」。「刀剣に興味はあるけれど、まだまだ初心者」を自認する歴史小説家の永井紗耶子さんと一緒に、一見難しそうで、はまると深いという日本刀の世界を冒険してみませんか。刀剣にまつわる様々な物語をひもとく「おちこち刀剣余話」、初回は大人気の名刀、国宝「太刀 三条宗近(名物 三日月宗近)」の物語。

(イラスト 永井紗耶子)
刀剣乱舞から派生した刀剣ブーム

美しい刃文と、静かなたたずまい。
日本刀の美しさに心引かれる方は多いのではないでしょうか。

本来、武器として使われてきた物であるにもかかわらず、その魅力はただの「武器」としてだけではなく、美術として、また神の器として、長い歴史の中で愛されてきました。「古事記」に出てくる草薙くさなぎの剣をはじめ、現在も日本各地の神社において「御神体」としてまつられる刀や「宝物」とされるもの。また、古典芸能では、説話や能、文楽、歌舞伎などに、刀をテーマとした作品は数多くあります。現在においては、漫画やゲームなどでもその存在は大きな役割を果たしています。

とりわけ、ゲーム「刀剣乱舞」から派生した「刀剣ブーム」は一時のブームに終わることなく、そのファンの方たちの熱量はゲームやサブカルチャーの枠を飛び越え、深い造詣と理解を持って、刀剣に関わる文化の大きな基盤となりつつあります。

この「刀剣」の魅力は果たして何なのでしょう。かつて刀剣に関心を持った私に、さるコレクターの方が、「一歩、足を踏み入れたら、なかなか抜け出せないくらい深いよ」と、おっしゃいました。

実際、刀剣の魅力の入り口は様々です。
刃文や刃そのものの美しさ。また、つばさやといったこしらえの美術的な造形美。誰が造り、誰が使ってきたのかという来歴に見る歴史。またそこには、虚実入り交じる伝説の物語の数々……。現在、刀剣の展覧会などで展示される、国宝級の逸品は、いずれも名工の作であり、歴史の証人であるのはもちろんのこと、そこにまつわる物語もまた、人の心を引き付けてやみません。

一小説家として最も興味があるのは、こうした刀剣が、どういった歴史や物語と共に語り継がれて来たものであるのか。また、それらはどうしてその物語に登場したのかということ。

そこで、今回から数回にわたり、刀剣とそれにまつわる物語について書かせていただきたいと思います。お気楽に、お付き合いくださいませ。

国宝「三日月宗近」をめぐる余話
国宝 太刀 三条宗近(名物 三日月宗近) 平安時代 10~12世紀 渡邊誠一郎氏寄贈 東京国立博物館蔵(こちらの記事より

「三日月宗近」という刀があります。室町時代からの名刀五振「天下五剣」の一つとして名高く、現在は東京国立博物館所蔵の国宝でもあります。

数年前から大ブームとなった「刀剣乱舞」で擬人化されたキャラクターは、実に美しい青年の姿として描かれており、刀身そのものの姿以上に、あちこちで目にしている方も多いのではないでしょうか。

この刀は12世紀頃、つまりは平安末期の作と言われています。そして、室町時代には将軍・足利義輝が所有していました。現在放映中のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場する義輝は、室町幕府の第13代将軍でありました。しかしながら時は乱世の真っただ中。室町幕府の頂点であるはずの将軍であっても、政治的な権力は非常に弱かった。

義輝は武士として、自らも剣の腕を磨いていました。その愛刀であったのが、名工として名高い三条小鍛冶こかじ宗近の手によるこの「三日月宗近」。「三日月」というのは、刃文が峰から刃にかけて三日月のように見えることからついたとか。「宗近」は刀工の名からとられています。

しかしその義輝を悲劇が襲います。1565年に松永久秀と三好三人衆に襲われ、暗殺されてしまうのです。この際、自ら三日月宗近を手にして奮戦しますが、残念ながら命を落としてしまいます。

秀吉、徳川家を経て、国宝に

主である義輝が亡くなった後も、この三日月宗近の物語は続きます。

その後、松永久秀と対立した三好政康から豊臣秀吉に献上され、やがて秀吉の正室・高台院の元に。

その高台院から山中鹿之助という武将に渡ったとの説もあります。この男、歌舞伎などでもおなじみの「尼子十勇士」の山中鹿之助なのか、或いは同姓同名の別人か、説は分かれるようです。しかし、山中鹿之助を巡る逸話の中に「三日月に尼子再興を祈る」というエピソードが登場します。この「三日月」は、空に浮かぶ三日月のことか、あるいは三日月宗近のことか…。三日月宗近を神格化し、祈りを捧げたのだとしても、納得できる気がします。

その後、三日月宗近は徳川秀忠に渡ります。それから長らく続く江戸時代以降、幕末を経て、明治、大正、昭和と、徳川家の家宝として守られてきました。

昭和4年に出版された書籍「日本名寶物語」には、「かつて世間に姿を見せたことのない業物」、徳川の秘宝として三日月宗近が紹介されています。その実物は「千年の歴史をもちながら、その瑠璃色の如き肌の上に一点の汚れと沁みもない」とたたえられています。当時、宮内大臣であった一木喜徳郎や、後に首相として五・一五事件で命を落とすことになる犬養毅らは、その三日月宗近の姿に圧倒されて「思わず頭を垂れた」と言われています。

時の権力者たちでさえ思わず頭を垂れずにはいられないその存在は、ただの「刀剣」という道具として以上の何かを、見る人に感じさせるのでしょう。1933年に重要文化財、51年に国宝に指定されました。

物語を思い描かせる美しさ

三日月宗近は91年度に東京国立博物館に寄贈され、現在、私たちも常設展などでその姿を目にすることができるようになりました。

私も実物を拝見して参りました。正直なところ、「刀の違いって、私のような初心者に分かるのかしら」と、不安に思っていたのです。しかし実物を見てみると、三日月宗近は、他の刀と比べて細身で繊細。人を殺めるために鍛えられた刀なのでしょうが、禍々しさはなくむしろ清冽で美しい。数々の逸話の中で「思わず拝む」「頭を垂れる」という言葉が使われていたその理由が、はっきりと分かります。そしてこれを見て「三日月」と名付けた方のその鋭敏な感性にも共感します。

これは「鑑賞する」というよりも「会いに行く」という表現が正しいかもしれません。そして、その存在がゲームという媒体を通して、現在の私たちに再び広く知られるようになったこともまた、あるいは三日月宗近の思惑の賜物なのかもしれない……と、小説家のサガとして、新たな物語を思い描いてしまうのです。

東京国立博物館の研究員が紹介する「三日月宗近」の記事はこちら

「三日月宗近」の東京国立博物館での展示情報はこちら

永井 紗耶子

プロフィール

小説家

永井 紗耶子

慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーランスライターとなり、新聞、雑誌などで執筆。日本画も手掛ける。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。著書に『商う狼』『大奥づとめ』(新潮社)『横濱王』(小学館)、歌舞伎を題材とした『木挽町のあだ討ち』(小説新潮)など。近著は『商う狼-江戸商人 杉本茂十郎』(新潮社)。第三回細谷正充賞、第十回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。

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