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2019.11.29

【大人の教養・日本美術の時間】浮世絵版画はどうやって生まれた?

「富士、美人画」(鮫島圭代筆)

日本には各地に浮世絵専門の美術館があり、浮世絵をテーマにした展覧会も毎年開かれています。CMや切手などのデザインにも使われ、誰もが見たことのある「浮世絵」。

ですが、その定義は?と聞かれると、答えられない方も多いでしょう。今回のコラムでは、「浮世絵」の簡単な基礎知識をお届けします。東京オリンピックを目前に控えた今、日本文化の代表選手である浮世絵を、自信をもって説明できるようにしておきましょう。

「浮世絵」という言葉が生まれたのは、江戸時代前半、1680年代頃といわれます。

浮世うきよ」は、もともと「憂世うきよ 」と書きました。中世まで、庶民はこの世をつらくてはかない「憂き世」ととらえ、死後に極楽浄土へ往生することを願いながら生きていたのです。

それが近世になると、「この世はつかの間に生きる仮の世なのだから、浮き浮きと楽しく暮らそう」というある種ポジティブな考え方が広まりました。そこで、「憂世」が「浮世」と書かれるようになったのです。

やがて「浮世」という言葉は、「いまふう」「当世風とうせいふう」という意味も持つようになりました。流行語となり、「浮世帽子」や「浮世傘」など、当時流行のアイテムにも使われたほどです。そんななか、同時代の暮らしや人々などを描いた絵が「浮世絵」と呼ばれるようになったのです。

浮世絵というと、版画のイメージが強いですよね。でも実は、手描きの浮世絵もたくさんあります。

手描きのものは「肉筆にくひつ浮世絵うきよえ」と呼ばれます。「肉筆」は「手描き」という意味で、絵師が注文を受け、筆を使って紙に直接描いた高価な一点もの。掛け軸、屏風びょうぶ絵、絵巻、扇絵、さらには社寺に奉納する絵馬などが描かれました。

一方、「浮世絵版画」は、同じ絵を何枚もることができるため、一枚の値段が手ごろで、かけそば一杯程度から買えたとか。庶民も気軽に楽しめたのですね。単独の版画のほか、本の挿絵、歌舞伎や相撲の宣伝、カレンダー、すごろくなど、さまざまな浮世絵版画が作られました。

美しさを追求 浮世絵版画に革命

浮世絵版画の始まりは、江戸時代前期のことです。

1657年、大火事で江戸の町の大半が灰と化しました。明暦の大火(めいれきのたいか)です。その復興を機に、京都の文化とは異なる、天真爛漫らんまんで明るい江戸独自の文化が芽生え始めました。

そんななか流行したのが、墨一色の浮世絵でした。本の挿絵から始まり、やがて一枚絵として独立した作品も販売されるようになったのです。

技法も徐々に発達しました。最初は墨一色の墨摺絵すみずりえでしたが、墨摺絵に筆で紅色を入れた紅絵べにえ、さらに緑色や黄色なども入れた丹絵たんえが生まれます。また、墨ににかわを加えることで、うるしのような光沢を出した漆絵うるしえも誕生しました。

さらには、墨の版のほかに、赤や緑など色の版も作って摺り重ねる、紅摺絵べにずりえが生まれました。

そして、1765年、浮世絵版画に革命が起きます。

それを後押ししたのは、絵暦えごよみ交換会の流行でした。絵暦とは、絵を主体としたカレンダーで、お金持ちの趣味人たちが、競うように趣向を凝らした絵暦を絵師に発注したのです。

「より美しい絵暦を!」という需要を受けて、浮世絵版画の技術がさらなる発展を遂げ、ついに、華やかな多色摺たしょくずりの技術が開発されたのです。西陣織にしじんおりの錦(豪華な絹織物)のように美しい、という意味で、「錦絵にしきえ」と呼ばれます。

浮世絵の名作である、歌麿うたまろの美人も、北斎ほくさいの富士も、広重ひろしげの東海道の風景も、みんな錦絵ですね。

描く、彫る、摺る 錦絵は技の結集

では錦絵は一体どのように作られたのでしょう。ここでその手順をご紹介します。

「彫師、摺師」(鮫島圭代筆)

おっとその前に、大前提をおさえておきましょう。浮世絵版画は、絵師個人の作品ではありません。版元はんもと(今でいう出版社)の商品です。版元、絵師、彫師、摺師の共同作業で作られました。

  1. 版元(出版社)が作品の企画を立てて、絵師に作画を依頼します。
  2. 絵師が、版木を彫るための原画を、筆で墨の線だけで描きます。これを「版下絵はんしたえ」といいます。
  3. 版元が版下絵を役人に提出して、出版を許可する印をしてもらいます。
  4. 彫師が版下絵(原画)を裏返しにして版木に貼り、版下絵の絵柄に沿って彫刻刀で版木を彫ります。そのため、この過程で版下絵は失われてしまうんですね。こうしてできた版木を、「主版おもはん」といいます。
  5. 摺師が主版を十数枚の紙に墨一色で摺ります。これを「校合摺きょうごうずり」といいます。これで版下絵のコピーが完成です。(現代なら、コピー機のボタンを押せばすぐですね…)
  6. 絵師が校合摺の一枚ごとに色指定を入れます。波は青、人物の着物は赤など、色の指示を書き込むのです。
  7. 彫師が色ごとに版木を彫ります。
  8. 摺師が試し摺りをします。
  9. 絵師のOKがでたら、版元と絵師の立ち会いのもと、摺師が200枚の完成品を摺ります。これを初摺しょずりといいます。ヒットが見込めれば、最初からもっとたくさん摺ります。(現代の出版社と変わりませんね!)
  10. いよいよ絵草紙屋えぞうしやで販売開始です。
  11. 好評だと再版します。2回目以降の摺りは、後摺のちずりといいます。

浮世絵の意味、歴史、制作方法を学んだところで、さあ、いよいよ本物の浮世絵を見たくなってきませんか? 東京都江戸東京博物館(東京都墨田区)では2020年1月19日(日)まで、浮世絵のスター絵師が勢ぞろいした、大変豪華な展覧会「大浮世絵展-歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」が開催されています。ぜひお見逃しなく!

【大浮世絵展-歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演】

東京都江戸東京博物館  2019年11月19日(火)〜2020年1月19日(日)

公式サイトはこちら

https://dai-ukiyoe.jp/

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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