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2021.2.8

【大人の教養・日本美術の時間】都会の美術館探訪 vol. 13 サントリー美術館

都会には、隠れ家のような美術館が点在しています。それは、慌ただしい日常から私たちを解き放ってくれるオアシスのような存在。

美術館の歴史は、美術を愛した人たちの歴史です。代々守り伝えた家宝、あるいはビジネスの傍ら私財を投じて集めた名宝を公開することで、芸術の恵みを広く分かち合おうとした人々。シリーズ「都会の美術館探訪」では、彼らの豊かな人生と美術館をご紹介します。

アートが深く根差した社会は豊かです。日本のビジネスパーソンに美術愛好家がもっと増えることを願って――。

外観(サントリー美術館提供 ©木奥恵三)
都心の安らぎ 六本木で堪能する日本美術

広々とした芝生で人々が憩い、最先端ファッションの店が並ぶ、東京・六本木の東京ミッドタウン。そのガレリア3階にあるサントリー美術館は、建築家・隈研吾が手がけた、木と和紙を用いた安らぎの空間。床材の随所に、ウイスキーの樽材たるざいが再利用されています。

サントリーの創業者、鳥井信治郎は明治12年(1879年)、大阪の両替商の次男として生まれました。大阪商業学校を経て、洋酒も扱う薬種問屋に奉公したのち、20歳で鳥井商店を開業。やがて、甘味をつけた輸入ワインを売り出し、店名を寿屋洋酒店と改めました。

29歳で結婚し、まもなく長男が誕生。11年後の大正8年(1919年)には、のちに社長を継ぐ、次男の敬三が生まれました。

敬三の回顧録によれば、父・信治郎はハイカラで、背広を着こなし、雲雀丘ひばりがおか(兵庫県宝塚市)の自宅は、一部が暖炉つきの洋風建築でした。仕事に生きた信治郎の口癖は「やってみなはれ」。正月の三が日が、貴重な一家団らんの機会だったとか。信心深く、毎朝欠かさず神仏に拝んだといいます。

製品の味と品質へのこだわりはもちろん、広告を重視したことも功を奏し、やがて「赤玉ポートワイン」がヒット。続いて、日本初の本格的なウイスキーづくりに乗り出しました。その物語は、2014年に放映されたNHKの朝ドラ「マッサン」でも知られます。

佐治敬三(鮫島圭代筆)

幾多の困難を経て、信治郎が50歳を迎えた昭和4年(1929年)、ついに「サントリーウイスキー白札」を発売。「サントリー」の名称は、ウイスキー誕生の資金源であった、主力商品「赤玉ポートワイン」の「赤玉」=太陽(サン)に、鳥井(トリイ)を合わせたものです。

信治郎はやがて、長男の吉太郎を副社長に据え、小学校を卒業したばかりの次男・敬三に、妻の縁者、佐治家の姓を継がせます。その後、妻が46歳の若さで逝去。第2次世界大戦下には、吉太郎が一男一女を残して早世しました。信治郎の悲しみは計り知れません。次男・敬三は大阪帝国大学を卒業後、軍務を経て、戦後まもなく、25歳で寿屋に入社しました。

寿屋のウイスキーは戦時下、海軍の軍需会社に指定され、戦後すぐに進駐軍との取引を開始。トリスウイスキーは大衆の人気を集め、宣伝部の開高健(のちに作家として芥川賞受賞)や山口瞳(のちに直木賞受賞)らが、洒落しゃれた広告を展開しました。

信治郎は驚くほど鋭敏な嗅覚を持ち、生涯、自らウイスキーをブレンドしたと伝わります。寿屋の揺るぎない成功を見届けたのち、82歳で社長職を敬三に譲り、翌年、世を去りました。孫たちの前では、好々爺こうこうやだったといいます。

事業利益を、社会貢献に

信治郎は創業以来、事業によって得た利益は、事業への再投資と得意先・取引先へのサービスだけでなく、社会への貢献にも役立てたいという「利益三分主義」を掲げ、さまざまな社会貢献活動に力を注ぎました。信心深かった母の「人に施しをするときには感謝を期待してはいけない」という教えから、学生への学資寄付は匿名で行ったといいます。

その遺志を継いだ息子・敬三も、社会福祉活動に加え、美術や音楽、学問の振興に取り組みました。そして、社長に就任した昭和36年(1961年)、東京の皇居前・丸の内のパレスビル9階に、サントリー美術館を設立します。

敬三は初代館長となり、「祖先の生んだ美しい生活文化の心を大切にすることを願い、日本の古美術を中心に現代的な視点からとらえた企画展を開催したい」と、「生活の中の美」を基本理念に掲げ、開館記念展の図録の表紙を、桃山陶器の名品「織部四方蓋物」が飾りました。

重要文化財 色絵五艘船文独楽形大鉢
磁器・色絵・金彩 江戸時代・18世紀後半
(サントリー美術館)

美術館としては所蔵品ゼロからのスタートでしたが、数々の名品との巡り会いを経て、現在は国宝1件、重要文化財15件、重要美術品21件を含む約3000件に及びます。

国宝「浮線綾螺鈿蒔絵手箱ふせんりょうらでんまきえてばこ」を収蔵したのは、開館の翌年のこと。当時としては破格の金額で、敬三は清水の舞台から飛び降りる覚悟だったとか。その後、この宝物に吸い寄せられるように、漆器の名品が集まったといいます。

藍色ちろり
江戸時代・18世紀
(サントリー美術館)

昭和52年(1977年)には、彫刻家・朝倉文夫が収集したガラスのコレクションを購入。和ガラスの酒器「藍色ちろり」の涼やかな美しさはつとに知られ、藍色は、のちに美術館のシンボルカラーとなりました。平成6年(1994年)には、医師の菊地保成が築き上げた、エミール・ガレの比類ないコレクションが加わりました。

そのほか、生活の中で間仕切りや風よけとして使われてきた屏風びょうぶ、奈良時代の奈良三彩から近世の茶道具まで網羅する陶磁器、そして小袖や能装束、津軽のこぎん、沖縄の紅型びんがたといった染織など、美術館のコンセプト「生活の中の美」と響き合う美しい名品がそろいます。

親しみやすく、懐深く

サントリー美術館は昭和50年(1975年)、赤坂見附に移転し、その後、平成19年(2007年)、東京ミッドタウンに再移転。以降、「美を結ぶ。美をひらく。」というミュージアムメッセージを掲げています。

「古来、世界各地で異なる文化が出会い、結びあわされることで、新たな作品が生みだされること、それこそが美術の本質である」という考えなどから、時代や地域、国や民族などの枠組みを超えた企画展を行っているのです。

観覧後は、ミュージアムショップで小物選びを楽しみ、「カフェ 加賀麩不室屋かがふふむろや」でスイーツに舌鼓、なんていかがでしょう。美術館やギャラリーが多い六本木のアート散策もおすすめです。

花色地瑞雲霞に鳳凰模様裂地 木綿・紅型
琉球王国第二尚氏時代・19世紀
(サントリー美術館)

※サントリー美術館では2月28日まで、「リニューアル・オープン記念展 Ⅲ 美を結ぶ。美をひらく。美の交流が生んだ6つの物語」が開催されています〔開催概要⇩〕。欧州でも愛された古伊万里、東アジア文化が溶け込んだ琉球の紅型など、異文化交流から生まれた名品を堪能できます。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

開催概要

日程

〜2021.2.28

リニューアル・オープン記念展 Ⅲ
「美を結ぶ。美をひらく。美の交流が生んだ6つの物語」

※最新情報は美術館の公式サイトでご確認ください。
サントリー美術館

会場

サントリー美術館

東京都港区赤坂9-7-4
東京ミッドタウン ガレリア3階

料金

一般:当日1500円
大学・高校生:当日1000円

※中学生以下無料
※障害者手帳提示者、介護者1人のみ無料

休館日

火曜

※2月23日(火)は 6:00p.m. まで開館

開館時間

10:00 a.m.-6:00 p.m.
(入館は 5:30 p.m. まで)

お問い合わせ

Tel. 03-3479-8600 

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