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2020.3.11

【大人の教養・日本美術の時間】埴輪は、なぜ円筒形なの?

「さまざまな埴輪」(鮫島圭代筆)

「おーい はに丸!」という懐かしい子供番組はご存じですか? 「はにゃ」が口ぐせの人物埴輪はにわと、「ふにゃ」が口ぐせの馬形埴輪のキャラクターが人気でした。

東京国立博物館のキャラクター「トーハクくん」も、人物埴輪がモデルです。

銅鐸どうたくや銅鏡などおごそかな雰囲気の古代の宝物の中で、埴輪だけはほのぼのとしていて親しみやすいですよね。

「埴輪と土偶はどう違うの?」と疑問に思う方もいるかもしれません。

土偶は、今から紀元前1万数千年前から紀元前3~2世紀頃の縄文時代に、主に女性をかたどって作った焼き物で、安産や豊穣などの祈りが込められたと考えられています。

一方、埴輪は、古墳時代の3世紀後半~6世紀頃に、古墳の上や周囲に置かれた焼き物です。土色のイメージですが、さまざまな色が塗られることもあったようです。風雨にさらされて色が落ちてしまったのですね。

弥生時代に稲作が広まって以降、身分の差が生まれ、各地域を大王や豪族が支配したことは、みなさんもご存じですよね。支配者たちは設計や土木工事の技術者を集め、多くの人を動員して、土を高く盛った巨大な墓、つまり古墳を築きました。

丸い円墳、四角い方墳、丸と四角を組み合わせた鍵穴形の前方後円墳などがあり、大和政権が強い勢力を誇った近畿地方では、特に大規模な前方後円墳が造られました。大和政権の古墳や埴輪の形式は、その勢力が及んだ他の地域にも伝播でんぱしたと考えられています。

ところで、埴輪の起源について「日本書紀」にはちょっとショッキングなお話が記されています。

いわく、古い習わしでは支配者の墳墓の周りには殉死者を生き埋めにしていたが、垂仁すいにん天皇は殉死者たちの泣きうめく声を聞いて心を痛め、皇后が世を去ったときに側近たちに相談した。すると野見宿禰のみのすくねが、出雲から100人もの職人を呼んで人や馬などの土器を作らせ、これを殉死者の代わりに墓に置くよう進言し、この案に天皇は大いに喜んだとか。

そして野見宿禰はこれを機に、土師臣はじのおみの姓を与えられ、その子孫は代々、天皇家の葬儀をつかさどったと伝わります。

しかし、この伝説はどうやら「日本書紀」が作られた奈良時代当時の想像らしく、考古学的にみると事実とは異なるようです。

実際には、弥生時代の終わりに岡山県周辺で、墓の副葬品としてささげられていた、大きな筒形の台とその上にのせるつぼが、埴輪の原型とされています。そうした台が変化して、円筒形の埴輪が生まれたと考えられているのです。

円筒埴輪には底がないため、地面に差し込んで自立させることができます。古墳の周囲をぐるりと囲むように並べることで聖域として区別したようです。隙間なく並べられるよう、左右に板のようなでっぱりをつけた埴輪も生み出されました。これらの埴輪には、古墳が崩れるのを防ぐ役割もあったといわれます。

それにしても、割れやすい焼き物をお墓に大量に並べるなんて、ちょっと不思議ですね。世界的にも珍しいそうです。でも実はこの特徴こそが、埴輪の存在理由を物語っています。というのも、古墳に埴輪を並べることは、死者の埋葬に関連する儀礼の一環だったのです。亡くなった権力者を弔うため、巨大な古墳を造って埋葬し、たくさんの埴輪を並べて、儀礼を行ったのです。

埴輪の種類は、古墳時代を通して増えていきました。

家の形の埴輪は死者の魂のよりどころとされ、盾や甲冑かっちゅうなどの武具をかたどった埴輪は死者を守る役割を持ち、船形の埴輪には魂を乗せて船出するという意味が込められたと考えられています。

家形埴輪には高床式や2階建てのものもあり、こうした埴輪のデザインから当時の社会や暮らしを知ることができます。

人をかたどった埴輪は、5世紀中頃に登場したようです。片手をあげて踊っているようなポーズ、盛装した身分の高い男性、髪飾りをつけた巫女みこよろいを着た武人の埴輪、ふんどしをした力士、赤ちゃんを抱くお母さんなど、バラエティー豊か。ほのぼのとした造形ですが、高さ1メートルを超えるものも多く、実物は意外に迫力がありますよ。

水をたたえたほりで囲まれた古墳が築かれるようになると、水鳥をかたどった埴輪が置かれました。動物埴輪にはほかにも、止まり木にとまる鶏、鈴で飾られた馬具をつけた馬、狩りの相棒であった犬、狩猟の獲物だった鹿やいのしし、さらには魚をくわえたまであります。どれも、ゆるキャラのようなかわいらしさです。

こうした様々な埴輪を、古墳周囲の区切られたエリアに群像で並べることもありました。複数の埴輪を組み合わせ、王位継承の儀式を行う様子や、埋葬者の生前の生活などを表したともいわれます。

古墳の上に埴輪を並べた光景を実際に見てみたいですよね。

長野県の森将軍塚もりしょうぐんづか古墳や、千葉県の龍角寺りゅうかくじ古墳群では、実際に復元した埴輪を並べています。機会があればぜひ訪ねてみてください。

各地の古墳ではお祭りやイベントも行われています。

かつて約500基もの古墳が点在していたという千葉県芝山町の「芝山はにわ祭」では、古代人にふんした人々が登場するメインイベントのほか、博物館の見学や勾玉まがたまづくり、火おこし体験などもできるそうです。

また、埼玉県のさきたま古墳公園で行われる「さきたま火祭り」では、およそ300人が古代衣装を着てたいまつをかかげながら登場し、日本神話のお話を演じるそうです。

古代にタイムスリップした気分が味わえそうですね。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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