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2021.6.21

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 6-上 高橋裕次さん(大倉集古館学芸部長)

国宝「古今和歌集序」

国宝「古今和歌集序」(部分)
藤原定実筆 平安時代・12世紀
(東京・大倉文化財団蔵)

「わたしの偏愛美術手帳」では、各地の美術館の学芸員さんたちに、とびきり好きな「推し」の日本美術をうかがいます。美術館の楽しみ方といった、興味深いお話が盛りだくさん。このシリーズを通じて、ぜひ日本美術の面白さを再発見してください!

今回お話をうかがったのは、大倉集古館の高橋裕次・学芸部長です。 国宝「古今和歌集序」(大倉文化財団蔵)は、一目見ただけで、華やかな色や文様、そして流麗な書に魅了されますが、さらにその奥にある豊かな世界、顕微鏡調査で解き明かされた高度な装飾技法を解説していただきました。

唯一無二の古筆

「古今和歌集序」は、平安時代12世紀はじめに書き写された『古今和歌集』の本編20巻に仮名序1巻を加えた全21巻からなる巻子本かんすぼんのうちの1巻です。けれども1巻まるごと残っているのは、33枚の料紙(書に用いる紙)をつなぎ合わせて仮名序を記した、この「古今和歌集序」だけです。ほかには、第13巻が半分くらいと、料紙1、2枚に切り分けられた断簡が数えるほどしか残っていません。そのため「巻子本古今和歌集」と総称されています。

筆者の藤原定実ふじわらのさだざねは、三蹟さんせきの1人・藤原行成ゆきなりの曽孫にあたる書の名手です。側筆そくひつといって、筆を少し傾けて書くのが特徴で、紙のデザインに合わせて文字の表現を自在に変え、料紙の色が濃い部分には太い文字で書くなど、その流麗な筆致は料紙と美しく調和しています。

「古今和歌集序」に使われている料紙は、中国の北宋時代(960~1127年)の後半に作られた唐紙からかみです。もともと中国製の紙を総称して「唐紙」とよびましたが、11世紀中頃からは型文様をった紙をさすようになります。

色とりどりの唐紙をつなぎ合わせて

―19紙目の赤い料紙の文様は何ですか?

中国の宮廷とみられる場所にいる王と重臣らの姿です。実は、これと対になる料紙があります。「古今和歌集巻九断簡(巻子本)」(個人蔵)という2枚を継いだうちの赤い料紙で、そこにはきさきと貴婦人らの姿が表されています。並べて見ると、背景の建物の線がいずれもつながり、両者が向かい合う構図になるのです。また「古今和歌集序」の第30紙と第14紙を合わせると、高貴な女性が侍女らを従えた図を構成しており、ともに北宋時代の宮廷の様子がうかがえます。また、孔雀くじゃく牡丹ぼたん唐草文の料紙は、これを日本で模倣した和製唐紙と比較すると、横長の紙を大胆にトリミングしていることがわかります。

このことから、古今和歌集を書き写すにあたり、赤、黄、青、アイボリーなど、さまざまな色の唐紙のそれぞれを半分あるいは文様の配置によりカットし、色の組み合わせを考えて横に継いで、21巻の巻物を作ったことが想像できます。横長の唐紙を2枚に切り分けて使用しており、巻物にして読み進めるときに、料紙の色と文様がどんどん変化して、貴族らも目を輝かせたことでしょう。

国宝「古今和歌集序(巻子本)」(部分)
藤原定実筆 平安時代・12世紀
(東京・大倉文化財団蔵)
顕微鏡で明らかになった制作手順

―紙の色には、植物染料が使われているのですか?

下塗りは白色顔料で、上に青色、黄色などの染料を塗っているのだと思います。例えば、孔雀くじゃくの文様の料紙は青色で塗られています。その料紙をよく見ると、表面に布目があります。これは紙を漉すいたあと、乾く前に麻や絹などの布地で紙を挟んでプレスし、布目を紙に付けたものです。さらにその表裏に白色顔料の胡粉ごふん(貝殻を焼いて粉末にしたもの、炭酸カルシウムが主成分)を塗ります。以前は胡粉に色を混ぜて紙に塗ったと考えていたのですが、顕微鏡で800倍に拡大して観察した結果、いずれも白い胡粉の上に色が塗られていることがわかりました。ただし、「胡粉」は鉛白と貝粉の双方の使用例が古くからあるので、唐紙を調査するときに、蛍光X線分析装置を使えば、鉛や炭酸カルシウムなどを正確に分析できるのですが、まだ実行できていません。最近の科学的研究では、紙の中に紛れ込んだ植物などをDNA解析することも始まっており、将来は原料の産地などもわかるようになると思います。

艶めくエンボス加工

―孔雀の文様は、どのようにつけたのですか?

実はこの唐紙は竹の繊維からできています。北宋、南宋時代の主な書物には竹紙で作られたものが多くみられます。若い竹をまとめて水の中に放り込み、1年ほどたつと発酵して軟らかくなるので、それを煮てから水にさらし、皮を取り除いてよく洗い、たたいて繊維を取り出して、紙に漉きます。竹紙は墨の発色がよいのが特徴で、江戸時代に中国から輸入されて文人らに広く愛用されました。

孔雀の料紙は、布目を付けた竹紙に胡粉を塗り着色した後、その下に孔雀の文様を彫り込んだ硬い版木を置き、上からイノシシの牙などの硬いものでこすります。そうすると、こすった部分の胡粉の色が濃くなって、まるでロウを塗ったようなつやのある文様になります。ロウの検出はされていませんが、この技法は中国では「砑花紙がかし」、日本では「蠟牋ろうせん」と呼ばれます。

時代を経た作品の料紙の多くは、補強のために裏打ちなどがされていますが、「古今和歌集序」は保存状態が極めて良く、料紙の裏側のオリジナルの状態を観察することができます。文様が擦り出された料紙を裏側からみると、版木の跡がくっきりと残っています。また表側の文字の書いてある部分で文様だけが剥落や変色している箇所については、裏側から受けた水分などの影響があったと思われます。このように料紙の状態が変化した原因を詳細に調べることが、蠟牋の技法の解明につながると考えています。

蠟牋を施した唐紙は、11世紀中頃から12世紀の初めの日本で、貴族の間で人気でした。当初は、貴重な紙なので、他の装飾は加えずに文字を書いていたのですが、少し時代が下ると、金銀で鳥やちょう、草花などを描き加えることが行われています。また、入宋した禅宗の僧侶の墨蹟ぼくせきなどに蠟牋が使われるようになります。最近、「平家納経へいけのうきょう」の模本(2021年「彩られた紙」展で展示)の料紙調査をしたところ、金銀地の下に版木を置いて天人や孔雀などの文様を磨き出したもので、蠟牋の紙は使われていませんでした。平清盛は、あえて流行の紙は避け、特別な独自の紙で「平家納経」を作ろうと、多量の金銀で装飾した紙を使ったのだと思います。

―そのほかの料紙には、どのような加工がなされていますか?

15紙目の料紙は淡い朱色ですが、顕微鏡で観察すると、朱色が点状についています。色を塗ったのではなく、吹き付けたことがわかります。吹き付けの技法は奈良時代から存在し、おそらく、細かい金網などに絵の具を含んだ筆をこすり付け、飛沫をとばしたのではないでしょうか。そのあと、良いことが起こる前兆として現れる瑞雲ずいうんの中を鶴が舞う「雲鶴うんかく文様」を彫った版木を使って、雲母きら摺りしています。雲母(光る鉱物の一種を粉状にしたもの)をにかわで溶いて版木に塗り、その上に紙をのせてバレンでこすることで、きらきらとした模様を摺りあげています。

大倉集古館外観(同館提供)
作品にダメージを与えない調査

―顕微鏡を使った紙の観察は、どのように行うのですか?

本格的な調査では、作品の裏側の文字が書かれていない箇所や、本紙より脱落し戻せない部分から、ピンセットで数本の繊維を採取し、紙業試験場などに検査を依頼します。検査ではプレパラートの上で繊維をわずかな純水を加えてほぐし、C染色液で染色して顕微鏡で観察することで繊維を特定します。この方法は国宝や重要文化財などの修理で、欠損部分を補う紙を制作するときに、料紙の性質をより厳密に把握する必要がある場合などにも行われます。私はこうした検査の結果などを参考にしながら、料紙の表面に残る紙漉きにおける道具の痕跡などを透過光、斜光線、赤外線などで詳細に調査するとともに、紙全体を顕微鏡でくまなく観察し、料紙の繊維の種類、添加物、非繊維細胞、混入物などの情報を収集しています。

手漉き紙の原料となる樹木の白皮には、リグニンやペクチンといった、繊維同士をつなぎ合わせる接着剤のような物質が含まれています。和紙作りでは、まず原料を煮熟して、丁寧に処理して繊維を取りだし、丹念にちりを取り、紙漉きの工程で、繊維の流れをコントロールしながら絡み合わせ、乾燥にも手間をかけます。そうすると、しなやかで柔らかく、丈夫な紙ができます。一方、西洋の紙は、木材パルプを薬品で煮て繊維を取りだし、効率良く機械を使い、力ずくで固めたものなので、大きく性質が異なっています。

◇ ◇ ◇

高橋裕次・大倉集古館学芸部長(鮫島圭代筆)

「古今和歌集序」の豊穣な技と美の世界、いかがでしたか。大倉集古館とホテルオークラ東京は、2019年にリニューアルオープンしましたが、その際、高橋さんの監修のもと、宴会場「平安の間」の壁紙のデザインとして、「古今和歌集序」の料紙の装飾が採用されたそうです。平安貴族の美意識が、現代に受け継がれているのですね。次回は、高橋さんが書の世界へといざなわれた経緯、そして、和紙の奥深さや可能性についてうかがいます。

わたしの偏愛美術手帳vol. 6-下に続く

【高橋裕次(たかはし・ゆうじ)】茨城県水戸市出身。1985年、中央大学大学院博士後期課程を中退し、文化庁文化財保護部美術工芸課に17年間勤務。文化財調査官として書跡・典籍、古文書の国宝・重要文化財指定など、文化財保護の実務を担当。2002年から、東京国立博物館で「西本願寺展」「宮廷のみやび」「大琳派展」「和様の書」など特別展の企画・展示に当たった。同館博物館情報課長、保存修復課長を経て、17年から、大倉集古館学芸部長。専門は史料学、博物館史。主な論文に「東京国立博物館所蔵文書に見る料紙の変遷について」(「古文書料紙論叢」湯山賢一編)、「宮廷文書典籍料紙の特性と保存」(韓国学中央研究院・国際シンポジウム)。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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