日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2021.3.3

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 1-下 松嶋雅人さん(東京国立博物館研究員)

久隅守景筆 国宝「納涼図屏風」

松嶋雅人・東京国立博物館研究員へのインタビュー、最終回の今回は、子どもの頃の美術との出会いや、現代のクリエイターへの提言、美術館の存在意義まで、縦横無尽にお話が広がりました。

ライトアップされた東京国立博物館の本館(同館提供)
オカルト好きの少年が仏教美術に惹かれて

―子どもの頃から美術がお好きでしたか?

大阪出身なので、子どもの頃から、京都のお寺によく行っていました。仏像や密教に興味があったのです。東寺の密教曼荼羅まんだらとかね。オカルト好きで、高校時代は密教を取り上げた飯田耕一郎さんのマンガを読んだりしていたのですが、文化財の精神や思想の中にそれと似たものを感じていました。

その頃は、まさかのちに、東京国立博物館で東寺の密教の展覧会に何回も関わることになるとは思いもしませんでしたが(笑)。

ピカソに感動して美大へ

小学生のときに、近所の絵画教室で油絵を始めました。今振り返ると、好きだったのだと思います。中学校ではバスケットばかりやっていて、描かなくなりました。バスケは大学院の博士課程まで続けましたね。

高校生のとき、美術館でピカソのデッサンをみて、絵描きになりたいと思いました。本音を言えば、受験勉強がしたくなくて(笑)。美大ならいいかなと、高校2年生ぐらいで美術の専門学校に通い始めたのですが、もっと前から始めている人たちの画力を目の当たりにして、もう間に合わないと、カリキュラムに油絵などの実技がある金沢美術工芸大学(金沢市)の芸術学科を受けたのです。

大学で油絵科の連中のデッサンを見て、これはかなわないと、実技は諦めました。 (アニメーション映画「時をかける少女」の) 細田守監督も油絵科でした。そのあと修士課程を出て、東京芸術大学大学院の博士課程に進み、東京国立博物館に入りました。

松嶋雅人・東京国立博物館研究員(鮫島圭代筆)
絵画鑑賞のキーは、絵を物体としてしっかり見ること

―絵を描いていた経験は、美術の研究にどう影響していますか?

絵筆を持った経験があると、作品の物理的な構造が見えてきます。絵のどこから描いたか、という順番が結構わかったりします。

一般的に、多くの映画やアニメの批評家は、まずストーリーや筋書きに注目しますが、美術の研究では「絵のここにこれが描いてあるから、こういうストーリー」という流れで考察します。内容よりも形が先なのです。

ですから、博物館に来るかたにも、どう描かれているかを見ていただきたいですね。図版で予習してから本物を見ると、何を見るか決めてから来るので、目に入ってこない部分が出てきます。たとえば、細部にタンポポが描いてあるのに、タンポポに目が行かない状態になるのですね。

名画をモチーフにした小説を読んで、その絵を博物館に見に来る、という楽しみ方も良いのですが、そうしたときも、絵を物体としてしっかり見てほしいです。そうすれば、その先に自分なりの見え方が広がると思います。

私はよく、なぜもっと自由に見られないのかな、と思います。誰かの見方をなぞったり、確かめたりするのではなくて、「自分には、どう見えるか」という方が楽しいのではないかと。最近の学校教育は、自分で考える方向になってきましたし、ユーチューバーのように自己表現が進んでいるので、変化していくとは思うのですが。

若きクリエイターへのアドバイス

自己表現するときに、「これは誰もやったことがない」と思っても、たいてい誰かがやっています。ですから、昔の作品のなかで一番興味があるものをアレンジするほうが絶対早いと思います。それを超える作業をした方が、新しいものが生まれてくるはずだと思います。

美術学校で技術を身に付けないうちに自由創作を始めると、何もできない人が増えてしまいます。たとえば、アニメーションは、データ上のテンプレートを使って作ることもできますが、まずは手で描く経験をしないと。日本画でしたら、岩絵の具を自分で砕いて、顔料に火を入れて色味を変化させたり、にかわで溶いたりといった作業が大切なのです。

そういうことを学ばずに、既製のデータを使って当てはめていくだけだと、メッセージが伝わらなくなるんですよ。私たちは、無意識に日本の文化体系のかけらを吸い込んで生きているので、そこを逸脱して作ると、視覚的にはきれいでインパクトがあっても、概念や思想が伝わりません。

現代の暮らしは、伝統文化からどんどん外れつつあるので、博物館などで意識的に昔の作品や造形にある程度触れないと、そうした感覚が身に付かないと思います。

美術館は「知らないこと」に出会う場

それから、知ることで自分の価値観が広がりますよね。知識がないと、恐れや差別的な意識が生まれて、遠ざけようとします。たとえば、「鳥獣戯画」を見て面白がってしまうと、本来の意味から外れてしまいます。あの作品は本来、面白おかしく描いたものではないと思うからです。平安時代のことも、文字の記録は読めても、どんな発音体系だったかはわかりません。そうした遠い世界の出来事を知ったり感じたり、経験したりすることが自由にできるのが、美術館という場所なのだろうと思います。

とりわけ東京国立博物館は、企画展や所蔵品のジャンルや対象が広く、さまざまな価値観や概念、思想を紹介しているのが特長だと思います。ですから、ゆるやかな気持ちで見に来ていただけたらいいですね。

古美術と現代アニメの造形はつながっている

文化財活用センターでは、VR展覧会や複製品に映像を関連付けた展示など、古美術を紹介する方法としてはあまり前例のないことを、いろいろとやってきました。「なんで、君がこんなことをやっているんだ」と言われることもありますが(笑)、意図的にやっています。専門知識を踏まえたうえで、「どう伝えるか」というアプローチを、個人的にも楽しみながら、いろいろな形で示しているのです。

現代の造形と、昔の造形には、何かしらつながりがあります。普段、映画やテレビを見ている時も、これまで見てきた古美術との共通点がないか、探していますね(笑)。絶対、どこかにつながりが見つかります。話題になる作品というのは、表現力が高いことはもちろんですが、何かしら過去のものと連関があって、それを広げた新しい見せ方を提示しているからこそ、多くの人が共感するのだと思います。

ひと昔前までは、その感覚が外国には通じない部分がありました。でも、アニメやマンガ、映画など、日本の文化がどんどん紹介されてきたことで、今は相当伝わります。外国の美術館とお付き合いしていると、若い年代ほど理解が進んでいると感じますね。たとえば、(アニメの)「美少女戦士セーラームーン」は世界各国で放映され、子どもの時に見ていた人々が今はもう成人になっていますから。守景の絵に表われている感覚も、いずれ分かる人が増えるのではないでしょうか。

◇ ◇ ◇

美術をもっと自由に楽しんでほしいという、松嶋さんのメッセージは、皆さんの胸にも響いたのではないでしょうか? 美術館は、アニメなどの現代文化にもつながる、宝箱のように思えます。松嶋さんのアドバイスを参考に、日本美術を軽やかに楽しんでみてはいかがでしょう。

東京国立博物館の本館ラウンジ(同館提供)

【松嶋雅人(まつしま・まさと)】 1966年、大阪市生まれ。金沢美術工芸大学大学院・修士課程修了。東京芸術大学大学院・博士課程満期退学。現在、東京国立博物館研究員、文化財活用センター・企画担当課長。多数の展覧会を企画。「京都―洛中洛外図と障壁画の美」(2013年)では、館外壁へのプロジェクション・マッピングを監修。TNM&TOPPANミュージアムシアターでは、VR映像作品「国宝 松林図屛風―乱世を生きた絵師・等伯―」(20年)ほかを監修。細田守監督のアニメーション映画「時をかける少女」(06年)の作中に登場する展覧会、同展をバーチャル空間で再現した「アノニマス-逸名の名画-」を監修。NHK Eテレ「びじゅチューン!」との共同企画「トーハク×びじゅチューン!」(18年、20年)を企画・監修、各地を巡回。著書に「細田守 ミライをひらく創作のひみつ」(美術出版社)、「あやしい美人画」(東京美術)、「日本の美術 No.489 久隅守景」(至文堂)ほか。

関連サイト
鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

Share

0%

関連記事