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2019.10.29

【大人の教養・日本美術の時間】なぜ大仏を造ったの?

(鮫島圭代筆)

日本でもっとも有名な仏像といえば、奈良・東大寺の大仏ですね。

像の高さは15メートル近くもあります。耳の長さだけで約2.5メートル、目の幅は約1メートルと聞くと、その巨大さが実感できますね。全体が銅でできており、中は空洞の骨組みになっています。完成当初は大仏の表面に金が塗られ、光り輝いていました。

造られたのは今から1260年以上も前、奈良時代のことです。そんな昔に、なぜこんなに大きな仏像を造ったのでしょう? その背景には、時の天皇だった聖武天皇の悲しみと苦悩がありました。

神亀じんき5年(728年)、聖武天皇は、待望のお世継ぎだった息子、基親王もといしんのうを1歳に満たずに亡くしました。そして、愛する我が子の冥福めいふくを祈って、平城京の東に小さな山房を建てたと伝わります。これが東大寺のはじまりです。

世の中では、干ばつや大地震などで多くの民衆が苦しみ、天然痘てんねんとうの流行で権力者も次々に病死し、政権争いが続くなど、天皇の心が安らぐことはありませんでした。

そこで聖武天皇は「仏教の力で国を安定させたい」という一心で、国家の災いを取り払う「金光明最勝王経こんこうみょうさいしょうおうきょう」の教えをもとに、諸国に国分寺こくぶんじ国分尼寺こくぶんにじを建てるよう命じました。

そしてこの時、かつての山房が大和国やまとのくにの国分寺に定められました。やがて「平城京の東にある国のお寺」という意味で、「東之大寺ひんがしのおおでら」と呼ばれるようになり、「東大寺」の名が定着したのです。

聖武天皇の思い

天平15年(743年)、聖武天皇は「廬舎那大仏造立るしゃなだいぶつぞうりゅうみことのり」を発しました。

仏教の力によって、すべてのものが心安らかに暮らせる世の中になるよう、廬舎那仏を造りたい。国じゅうの銅を使い、像を造り、山を削ってお堂を建てることに協力してほしい。私が富や権力を使って造るのはたやすいが、それでは形だけの仏像になり、世の中をいっそう不安定にしてしまうだろう。私のこの思いに賛同して、一本の草や一握りの土といったわずかな力でも、自発的に協力しようという者がいれば、ともに廬舎那仏を造ろうではないか――。聖武天皇の思いはこのようなものでした。

聖武天皇がこのような考えを持ったきっかけの一つは、大阪の知識寺(ちしきじ)で、人々の寄付や労力で造られた廬舎那仏を拝んだことだといわれています。廬舎那仏とは、「華厳経けごんきょう」というお経に説かれる無限に大きな仏さまです。

(鮫島圭代筆)

これを機に、のちに東大寺を率いることとなる良弁ろうべんを中心に、「華厳経」の研究が熱心に行われました。

そして、「民衆の協力で大仏を造りたい」という天皇の思いを実現する役目を担ったのは僧侶、行基ぎょうきでした。各地で池や橋を造るなどして人々を助けていた行基は、民衆からの信頼が厚かったのです。早速、弟子たちを連れ、大仏建立の寄付を集めるため各地を旅しました。

巨大な仏像造りに使われた銅は500トン以上、金は440キロと記録が残り、まさに国を挙げての大事業でした。最初は金が十分に集まらなかったので、良弁らが祈ったところ、奇跡的に東北で黄金が発見されたと伝わります。

天平勝宝 4 年(752年)、仏教伝来200年を数える記念の年に、ついに「大仏開眼会かいげんえ」が行われました。その光景は大変華やかで、大仏殿のまわりには鮮やかな五色のばんと呼ばれる華麗な布がたなびいたとされます。

大仏に目を入れる儀式で大きな筆を執ったのは、インドの高僧、菩提僊那ぼだいせんなでした。筆には長いひもが結びつけられ、その先を、すでに譲位していた聖武太政天皇、妻の光明皇后、娘の孝謙天皇、そして貴族や僧など無数の参列者が握ったといわれます。ともに仏の功徳にあずかったのです。

その後、さまざまな歌や舞が奉納されました。「続日本紀しょくにほんぎ」には、その盛大さが「仏法ぶっぽう東にいたりてより、斎会さいえの儀、かつかくごとさかりなるは有らず」と記されています。

さらに、聖武天皇の「ひとりひとりの小さな力を集めて大仏を造る」という思いは、後世にも連綿と受け継がれました。平安時代と戦国時代に大仏が兵火に巻き込まれたのちも、それぞれ重源ちょうげん公慶こうけいという高僧を中心に、多くの人々の力で再興が成しとげられたのです。

東大寺の大仏は、計り知れないほど多くの人の思いによって造られ、守られてきたのですね! 現代を生きる私たちもまた、そのバトンを未来へとつなげていかなくてはなりません。

東京国立博物館では11月24日(日)まで「御即位記念特別展 正倉院の世界−皇室がまもり伝えた美−」展が開催されています。この機会に、悠久の時を超えて伝わった聖武天皇の遺愛品や、大仏開眼会の華やかさをしのばせる宝物を間近にご覧になり、いにしえの人々の思いに触れてみてはいかがでしょうか。

展覧会は終了いたしました→【御即位記念特別展 正倉院の世界−皇室がまもり伝えた美−】
  • 東京国立博物館 2019年10月14日(月・祝)〜11月24日(日)
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鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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