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2019.11.25

【ボンボニエールの物語 vol. 9】大正10年 皇太子外遊の物語

大正3年(1914年)に始まった第一次世界大戦は、ヨーロッパ諸国を荒廃させ、同7年(1918年)になってようやく終結した。その頃、大正天皇の容体についても、国民の知るところとなっていた。いずれか訪れる次の時代、天皇となるのは皇太子裕仁ひろひと親王であった。次代の新しい天皇には、広く世界を見聞し、世界基準の見識を身に付けてほしいとの期待が高まっていた。元老山県有朋やまがたありとも原敬はらたかし首相が、裕仁親王の外遊計画を発案した。当初は母である皇后節子さだこや右翼団体などが反対したが、最終的には大正天皇が裁可し、ついに大正10年(1921年)3月、皇太子裕仁親王は20歳の誕生日を前に外遊の途についたのだった。

皇太子初の渡欧

裕仁親王は 3月3日にお召艦香取めしかんかとりに乗船し、横浜港を出発。お召艦の船中では、フランス語、洋食食事作法や、握手、ダンスなど西欧式ふるまいの特訓が日々行われた。

香港、シンガポール、コロンボ、スエズなどを経て5月9日、英国ポーツマス港に到着。港では、皇太子エドワードの出迎えを受け、ロンドンに到着の後は、国王ジョージ5世と同じ馬車に乗り、バッキンガム宮殿に入った。その夜には国王・王妃主催の歓迎公式晩餐ばんさん会が開かれた。ロンドンに滞在する英国の皇族はすべて参列し、いつもはウィンザー城にある純金製の食器が食卓に備えられ、銘々の食器には、約100年前にジョージ3世によって購入されたセーブル製のものが用いられた。裕仁親王は、英王室の賓客としてバッキンガム宮殿に3泊するという、英王室極上のおもてなしを受けた。日本国皇太子としての公式な贈答品は、国王へは綴錦壁掛つづれにしきかべかけ(タペストリーのこと)、王妃へは綴錦屏風びょうぶ、皇太子エドワードへは御紋散梨子地書棚ごもんちらしなしじしょだなという日本の伝統工芸品であったが、裕仁親王は会った方々に折につけ、文庫形唐草文のボンボニエールを贈ったという。

裕仁親王一行は英国の後にはフランスを訪問。エッフェル塔上には歓迎の意として、フランス国旗に代わり日の丸が掲げられた。またパリでは市内を散策し、自由に買い物なども。裕仁親王にとっては初めての経験、自分でネクタイを選び、店員にフランス語で価格などを尋ねたうえで、買い上げた。

英国で無名戦士の墓前に献花した裕仁親王は、次の訪問国ベルギーでも第一次世界大戦の戦跡を訪れ、ベルギーの戦死者の墓にも献花を行った。その後再びフランスに戻り、ベルダンの戦いの戦跡も訪れた。この際に、裕仁親王は銃撃された鉄カブトをながめ、「戦争というものは、じつにひどいものだ。かわいそうだね」と涙ぐんでつぶやいたといわれるが、「昭和天皇実録」にはその言葉の記載はない。

オランダ・アムステルダム国立美術館で各種絵画・古器物などを見学し、レンブラントの「夜警」の前ではしばらくたたずんだ。イタリア訪問では、バチカン図書館などを見学し、天正遣欧使節がベネチア共和国大統領に送った日伊両文の感謝状、慶長遣欧使節の支倉常長はせくらつねながが法王パウロ5世に奉呈した仙台藩主伊達政宗の書翰しょかんなどを見て、長い歴史に思いをはせたという。

裕仁親王は半年にわたる旅で、西欧諸国王室との交流を深めただけでなく、第一次世界大戦後の荒廃を目の当たりにし、戦争の悲惨さも深く心に刻まれた。また西欧的なリベラルな考え方や振る舞いもしっかりと身に付けられた。

長い旅を終え、9月3日に横浜に帰港。この間、息子の旅を見守った天皇・皇后は折に触れ、皇太子の巡遊の実況に関する活動写真を見た。両親への土産は、天皇へはステッキ、皇后へはダイヤモンド入り襟飾りであった。

世界平和を願って

帰国後の9月15日から17日までの3日間、裕仁親王帰国祝賀の饗宴きょうえんが催された。そしてもちろん、ボンボニエールが下賜されたのである。

9月15日ははとに地球儀形。平和の象徴である鳩3羽が地球を支えるモチーフは、第一次世界大戦後の世界平和への願いが込められている。このボンボニエールは直径6.1センチで、高さは6.8センチ、そして重さが182グラムと、おそらく皇室の銀製ボンボニエールの中では最重量である。ここに金平糖などの菓子が入るとズシリと重くなり、列席者は平和の重みを感じたのかもしれない。

鳩に地球儀形(学習院大学史料館蔵)

16~17日に下賜されたのは、箱形波文ボンボニエール。波は長い航海を象徴しているのであろう。こちらのボンボニエールは5.5センチ×4.2センチ×2.3センチのかわいらしい箱形である。

このボンボニエールには紫色のひもが付くものと付かないものの2種類があり、重さもそれぞれ80グラムと47.5グラムとかなりの差がある。

箱形波文(学習院大学史料館蔵)

西欧列国王室との交流を深め、大戦後の西欧世界に触れたことで、人間的に大きく成長した裕仁親王は11月、摂政せっしょうに就任した。

長佐古美奈子

プロフィール

学習院大学史料館学芸員

長佐古美奈子

学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。

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