2020.8.11

芦雪を紡いだ黒潮の町<中>“最後の芦雪”がお寺を去る日 地域から未来へ託す

JR古座駅周辺

成就寺は、和歌山県串本町古座地区にあり、JR古座駅からは徒歩で15分ほど。途中には、熊野水軍として活躍した小山氏の屋敷跡という旧跡があった。かつて水軍が闊歩かっぽした町は、海と川と山と、美しい自然に包まれ、この季節はセミの声に包まれている。

「芦雪を紡いだ黒潮の町<上> もふもふ子犬に迫力の龍虎…大自然と重なる筆致」はこちら

この日、成就寺の本堂は大勢の人でごった返していた。檀家だんかの人々、文化庁、県立博物館、町の関係者、そして国宝修理を手がける「松鶴堂」(京都市)の修理技術者ら。寺に残された障壁画の最後の1枚が、紡ぐプロジェクトの文化財修理助成事業の対象となり、京都国立博物館の文化財保存修理所へ運び出される。

成就寺本堂

成就寺は、同じ串本町の無量寺、白浜町の草堂寺と並び、芦雪が多くの作品を残した寺の一つだ。残り二つの寺には、師・円山応挙の作品を運んだのに対し、成就寺は芦雪ひとりが本堂のふすま、壁、床の間の棚などの絵を手がけた。

たった一晩で……という伝説

今回修理される最後の1枚は、中国・宋の時代の文人、林和靖りんなせいのところに、鶴に導かれた人物が訪れる様子を描いた「林和靖図」の一部。壁に直接貼り付けられていたため取り外しが難しく、方丈に残されたままになっていた。

今回、修理のために運び出される「林和靖図」の一部
すでに寄託されている「林和靖図」の一部(和歌山県立博物館 提供)

芦雪は、なぜこの寺の障壁画を手がけることになったのだろう。

大崎克己住職は、「無量寺の和尚と親しかった当時の成就寺の和尚が、そんなに偉い絵描きが京都から来られるなら、うちにも立ち寄ってくれないか、と頼みに行き、快く引き受けてくれてくれたと言われています」と話す。

「いつからいつまで、このお寺にいたという記録は残っていません。これは作り話かもしれませんが、夜の消灯後、和尚が見回りをして自宅に戻り、翌朝お勤めに来たら、襖絵がもうできあがっていた、と。それだけ芦雪の描くスピードが速かったというエピソードですね」

さて、修理では、運び出しを行うのも、松鶴堂の袴田尚志技師長ら修理技術者たちが担当する。まずは絵の周りに巡らされた「四分一しぶいち」と呼ばれる、漆を塗った木製の枠を木のへらで少しずつ外していった。

外された四分一
素手で作業する理由

作業は素手。重要文化財を扱うのに手袋ではないのかと思っていると、「手の繊細な感覚はとても大事で、作品に何か違和感があった時に、すぐに対応できます。もちろん、作品に手の汚れや脂がついてはいけませんから、こまめに手洗いをしています」と教えてもらった。

絵が描かれた竹製の本紙は、所々やぶれたり、浮き上がったりなど傷みが見られる。技術者らはペンライトを手に状態を確認すると、筆とピンセットで浮き上がった部分の仮止めを行った。水で溶いて軟らかくした小麦でんぷんのりを丁寧に塗り込み、輸送中に傷みが広がらないようにするための応急措置だ。

やがて、壁から本紙をがす作業がはじまった。縦175.7センチ、横187.3センチの大きな絵を手分けして、手やへらを使って剥がし始める。引っかかる部分が見つかると「無理をせず、いったん止めよう」と声を掛け合い、一人が裏側に回り、へらを動かして紙を丁寧に剥がしていく。少しずつ、少しずつ……。慎重な作業を繰り返して本紙が剥がされ、床に敷いた薄葉紙の上に置かれると、ほっという安堵あんどのため息が一同から漏れた。

戻らない宝

何重にも紙に包まれ、本紙が梱包こんぽうされていくのを見守っていた大崎住職は、作業の様子をカメラで納めていた。「傷みについて、ずっと気になっていたんです。今回、ご縁をいただいて修理いただくことになった。この二度と出ることのない、素晴らしい絵が後世にまで残る。本当にありがたいことです」

そして、「とはいえ」と複雑な表情で言葉を続けた。「この絵がお寺から出て行ってしまうのは、やはり寂しいもんですねぇ」

今回、運び出された絵は、修理の後も成就寺には戻らない。特急列車で3時間ほどかかる和歌山市の、県立博物館に寄託されることが決まっていた。

本堂に集まった檀家の人々も、時に技術者に質問をするなどして、熱心に「地域の宝」の行方を見守った。

見守る檀家の人々

梱包まで見届けた総代の畑上耕三さんは「大事に(作業を)していただいて、良かった、安心しました。修理できれいになるのが楽しみです」とほほえみながら、「昔から、このお寺に芦雪の絵があることは、僕らにとっては当たり前のことで、誇りでもありましたから、ついに1枚もなくなってしまうというのは……やはり寂しいもんやね」と付け加えた。

半日の作業が終わり、輸送用の箱に詰められた絵は松鶴堂の乗用車の座席に固定されて、京都へ向かう。修理所では、裏打紙の除去や破れた部分の補修などが行われる予定で、修理期間は約1年の予定だ。

日が傾き、暑さがいくぶんか和らぐ中、車の姿が見えなくなるまで、大崎住職は門前に立ち、道中の無事を祈って合掌していた。「とうとう、行っちゃったねぇ」。そうつぶやいたのが、印象に残った。

(下へ続く)

続きはこちら

(読売新聞紡ぐプロジェクト事務局 沢野未来)

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