2019.11.21

一代に一度きり 古式ゆかしい大嘗祭の舞台が一般公開

大正天皇御即位大嘗祭絵巻(京都産業大学図書館蔵)

天皇が一代に一度だけ臨む伝統的な皇位継承の儀式「大嘗祭だいじょうさい」で、中心となる「大嘗宮だいじょうきゅうの儀」が11月14日から15日未明にかけて行われた。その舞台となった大嘗宮が21日から一般公開されている。伝統を色濃く残す建物を間近に見る、またとない機会になりそうだ。

1300年の伝統

大嘗祭は稲作の収穫儀礼に根ざし、673年の天武天皇のときに始まったとされる。毎年この時期には「新嘗祭にいなめさい」が行われるが、皇位継承に合わせ、一代一度だけ行われるのが大嘗祭だ。儀式で備える新米(新穀)は、亀の甲羅を使った占いで、東日本「悠紀ゆき地方」、西日本「主基すき地方」からそれぞれ1か所の斎田さいでん(水田)が決められ、その田から収穫されたものが供される。

令和の大嘗宮は、清水建設(東京)が手がけた。同社は明治から平成までの大嘗宮にも携わっており、今回は「出雲大社平成の大遷宮」(2008~13年)を担当した熟練の工事長を責任者に据えたという。全国の宮大工の棟梁を訪ね、北陸や東北などから腕利きが集まったといい、7月下旬から工事を始め、3か月あまりの間に完成させた。

大嘗宮の特徴は?

大嘗宮は大小約40棟からなり、東側に立つ建物は「悠紀殿」、西は「主基殿」。北側には、天皇、皇后両陛下が身を清め、着替える「廻立殿かいりゅうでん」が並ぶ。

令和の大嘗宮(読売新聞社ヘリからの写真を加工して作成)

寺社などの建築の歴史に詳しい京都大・山岸常人名誉教授によると、平安時代に編さんされた「儀式」という記録に大嘗宮に関する記載がある(巻第三)。「悠紀殿の規模は16尺×40尺で、屋根の上には、現在も伊勢神宮正殿などに見られるものと同じ、V字のように交差させた『千木ちぎ』、棟木に直角に並べた『堅魚木かつおぎ』などの特徴が書かれています」と説明する。そのほか、屋根は「青草(あおくさ、かや)」でふかれ、床にはむしろや播磨のを敷くこともつづられている。

「大嘗宮の図」『御大禮図譜』(京都産業大学ギャラリー蔵)をもとに作成(同ギャラリー提供)

一方、江戸時代の史料「大嘗会儀式具釈」では、規模について「南北五間東西三間」とされており、山岸さんは「建物の大きさは時代によって変わった」とみる。同史料は、ほかに、柱は皮がついたままの松、屋根はかやぶきであることなども表記されている。

令和の大嘗宮は、経費削減のため、1990年の平成の時よりも規模を縮小した。敷地は平成の約3100平方メートルから約2400平方メートルに2割ほど縮小。悠紀殿、主基殿、廻立殿の主要三殿の屋根は、かやぶきから板ぶきに変更し、新穀を調理する膳屋かしわやなどは木造からプレハブ造にした。

京都産業大学「むすびわざ館」ギャラリー(京都市下京区)では、12月7日まで企画展「大嘗祭」が開かれている。「御大禮図譜」(1915年)に掲載されている「大嘗宮の図」(京都産業大学ギャラリー蔵)や、「大正天皇御即位大嘗祭絵巻」(京都産業大学図書館蔵)などが展示されており、今と変わらない特徴を備えた建物の姿を見ることができる。

「大嘗宮の図」『御大禮図譜』(京都産業大学ギャラリー蔵)より 江戸時代、東山天皇が大嘗祭を再興した際の様子を想定し、明治期に描かれた図を写したとみられる

大正4年(1915年)、昭和3年(1928年)の大嘗祭は、京都御苑・仙洞御所に大嘗宮が造営されており、会場では、その際の建築風景や、儀式が終わった後、鴨川の河原で焼却されている様子を撮影した写真も並ぶ。

山岸さんは「大嘗祭は室町から江戸時代まで行われなかった期間もあり、建物にも時代によって変化がある。それでもなお、古い伝統をふまえた様式と、儀式に密接に関係して建てられた建物の具体的な様子が見られることは意義深い」と話している。

一般参観は12月8日まで

大嘗宮の一般参観は、11月21日から12月8日まで、午前9時から午後4時まで(入場は午後3時まで)行われる。入場は「坂下門」からと決まっており、11月30日から12月8日までは、紅葉の時期に合わせた皇居乾通りの一般公開も行われる。

公式サイトはこちら→ https://www.kunaicho.go.jp/event/inui-r01aki.html

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