2021.5.14

【おちこち刀剣余話vol.7】能や歌舞伎でも人気 三条宗近が狐の精霊と作った「小狐丸」

刀剣にまつわる様々な物語を歴史小説家の永井紗耶子さんがひもとく「おちこち刀剣余話」。今春、歌舞伎や文楽で上演された「小鍛冶」で注目が集まった「小狐丸こぎつねまる」を取り上げます。平安時代の名工、あの「三日月宗近」を手がけた三条宗近が、狐の精霊と作ったという不思議な刀、さて、どのような来歴が……?


刀を作る上で欠かすことのできない存在が、刀鍛冶です。

石と火を操り、刀を作る刀鍛冶の仕事は、太古の昔から「神聖なもの」と考えられてきました。現代においても、作業場には注連縄しめなわが張られ、刀鍛冶たちも身を清めて刀に向き合われています。

確かに、刀鍛冶の仕事を間近に見ていると、熱せられ真っ黒になった玉鋼たまはがねが、炎の中で真っ赤に染まるさまや、そこから輝く刀身へと変わっていく様子は、神の業かと思わされます。科学技術のない時代は、刀鍛冶たちの技術はさながら神事や魔法のように感じられたことでしょう。

刀鍛冶と神社信仰

刀鍛冶たちはその仕事に必要不可欠な砂鉄や水、木炭を求めて各地を渡り歩いています。それによって独自の文化を育み、多くの伝承を残してきました。彼らが主に信仰していたとされるのが、近畿や関東では稲荷、東北や北九州では荒神、中国地方では金屋子かなやご神と言われています。また、八幡と所縁を持つ刀鍛冶の説話も多く残っています。

そして、彼らが信仰の中で霊界と通じ、「霊力を持つ刀を作ることができる」という物語も数多く存在します。

そんな伝承を持つ一人が、平安時代の名工・三条小鍛冶宗近です。宗近はこの「おちこち刀剣余話」で初回に登場した人気の刀「三日月宗近」の作者でもありますが、今回ご紹介するのは、彼が手がけたとされる名刀「小狐丸」です。

名前だけを聞くとかわいらしいものに聞こえますよね。この「小狐丸」にまつわる物語として、能や歌舞伎、文楽の演目としても広く知られている「小鍛冶」があります。さて、どのような物語でしょうか。

帝の命令に悩む三条宗近

平安時代のこと。一条帝というみかどがおられました。この方は、清少納言が仕える定子や、紫式部が仕えた彰子をきさきとしていた帝です。

この一条帝が夢のお告げを受けて、刀を作ることを決めました。そこで当時、最高峰の刀匠として名高い三条小鍛冶宗近に刀を打つように命じます。

しかし宗近は、帝の命だというのにいったんは断ります。その理由が「相槌あいづちを打つ者がいない」というものでした。「相槌を打つ」というと、会話の際にうなずくことを示す言葉として、現代では定着しております。しかし元は、刀を打つ際に、向かい合って職人が交互に打つことを言います。そして同じ力で打ってくれる相手(相槌)でなければ、美しい刀は作れないのです。しかし、遣いは「帝の命だから」と、宗近の言い分を聞き入れてはくれません。

困った宗近は稲荷明神に助けを求めて参詣します。そこで宗近は一人の少年に声を掛けられます。少年は、中国で語られる剣に纏わる物語や、日本武尊やまとたけるのみことの物語などを語って、刀を作ることの大切さを宗近に話し、「私が相槌を勤めよう」と約束して稲荷山へと消えてしまいます。

さて、あの少年は何者であったのか……。いぶかしく思いながらも、家に戻った宗近。相槌がいないままではあるけれど、刀を打たねばなりません。身支度を整えて、刀を作るためにしつらえられた祭壇「鍛冶壇」に登り、礼拝をしていました。

狐の精霊の正体は…

するとそこへ、狐の精霊が神々しく輝く姿を現します。そして「相槌を勤めよう」と告げるのです。そこで先の稲荷明神で出会った少年こそが、明神の化身であったのだと宗近は気づくのです。相槌も見事に合い、2人は共に刀を鍛えます。そして出来上がった刀に、「小鍛冶宗近」と自らの名と共に、明神の化身である狐が手伝った証しとして、「小狐」の銘を刻みました。

イメージ

これが、名刀「小狐丸」の誕生でした。まさに名工が信仰する「稲荷」の霊力によって、刀を作る物語と言えるでしょう。

能や文楽、歌舞伎……いずれにおいても「小鍛冶」では、小鍛冶宗近と明神(狐の化身)のリズミカルな相槌が魅力的です。稲荷明神の化身がまとう華やかな衣装と相まって、辺りにまで光が散るような神々しい場面が展開されていきます。

こんな幻想的なところから生まれた刀は、さぞや美しいだろう……と思わせてくれます。実物をぜひ見てみたいと気持ちがたかぶりますが、この「小狐丸」、はその後どこへ行ったのかわかっていないのです。

その後の「小狐丸」

小狐丸はその後、一条帝の后である彰子の父・藤原道長の元に渡ったとされています。道長といえば
「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることも なしと思へば」
と、満月を見ながら、己の栄耀えいよう栄華をうたった天下人でもありました。

その道長亡き後、刀の行方については諸説あり、実は「小狐丸は二振りある」という話も聞こえています。

一振りは、道長の直系にあたる藤原北家、藤原頼長の元に伝わったというもの。この頼長は平家物語にも登場する人物です。関白の子として生まれ、自身も関白になったサラブレッドであると同時に「日本第一の大学生」と称されるエリートでもありました。また政治的手腕も優れており、17歳で内大臣になり、左大臣と出世します。剛腕ぶりから「悪佐府あくさふ」とあだ名されるほどでした。

ちなみに昨今では、男色など当時の風俗を赤裸々に書き記した日記「台記」が、風俗史の史料として注目されています(プライベートが暴かれて御当人は不本意かもしれませんが)。

そしてもう一振りが、同じ時代に藤原南家の出で、僧侶であった藤原信西の元に伝わったというものです。信西は身分の出は低いのですが、「諸道に達する才人なり」と称される秀才の中の秀才。出世のために藤原頼長に近づくのですが、その後たもとを分かちます。そしてついには、後白河院の院政の元で「黒衣の宰相」と称されるほどの力を持つようになりました。

源氏の武将、徳川将軍も求めた名刀

歴史上においては、保元の乱で頼長は信西に敗れて命を落とします。その信西も後に、平治の乱で討たれてしまうという因縁の間柄。

この2人の手元に、同時期、同じ銘を持つ刀があったことになります。しかし、頼長の手元にあった小狐丸は紛失されたと記されており、その後の行方は知れません。また、信西も平治の乱の後に打ち首となり、彼の小狐丸の行方については分からないまま……。

いずれの手にあったのか。あるいは元々は一振りで、頼長から信西に渡ったのか。小狐丸は源平の動乱の真っ只中にあって、その動静を見守ってきたと言えるかもしれません。

そうして時が流れ、江戸時代。八代将軍であった徳川吉宗が、この「小狐丸」の存在を知り、探索をします。しかしその行方はようとして知れず、「焼失したのではないか」と考えられていました。

現代に伝わる複数の「小狐丸」

現在、その「小狐丸」と言われる刀が何振りか存在しています。

大阪府東大阪市にある石切劔箭いしきりつるぎや神社では、宗近作とされる「小狐丸」が伝わっており、祭りの際などに公開されています。また、奈良県天理市の石上いそのかみ神宮でも、「小狐丸」と名付けられた太刀を所蔵しており、県指定文化財となっています。

果たしていずれが本物か……。

あるいはいずれもが、宗近が稲荷山から明神の化身を呼んで作った本物なのかもしれません。

それならば、夜、誰もいない収蔵庫で、刀に宿る霊性が、あの舞台で舞う明神のように光輝きながら跳ねたりしているのでは……と、何ともファンタジーな空想も浮かびます。

現在も、刀鍛冶の方々はその技術のみならず、注連縄で鍛冶壇を囲むなど、文化的な思想も受け継がれています。それならば今後、「小狐丸」のような不思議な力を持った後継刀が誕生することもあるかもしれません。そんな妄想も膨らませながら、様々な刀を眺めてみるのも楽しいですね。

三条宗近が手がけた「三日月宗近」のお話はこちら
源氏の兄弟刀「髭切」「膝丸」の物語
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永井 紗耶子

プロフィール

小説家

永井 紗耶子

慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーランスライターとなり、新聞、雑誌などで執筆。日本画も手掛ける。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。著書に『商う狼』『大奥づとめ』(新潮社)『横濱王』(小学館)、歌舞伎を題材とした『木挽町のあだ討ち』(小説新潮)など。近著は『商う狼-江戸商人 杉本茂十郎』(新潮社)。第三回細谷正充賞、第十回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。

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