2021.1.27

【おちこち刀剣余話vol.5】リアル鬼滅の刃第2弾! 鬼切丸(髭切)を彩る美男と鬼女

歴史小説家の永井紗耶子さんが刀剣にまつわる様々な物語をひもとく「おちこち刀剣余話」。前回から引き続き、第5回もリアル「鬼滅のやいば」、鬼を切った刀を取り上げます。今回の主役は、その名もずばり「鬼切丸おにきりまる」、別名「髭切ひげきり」。「膝丸」とともに源氏の重宝として代々受け継がれてきた名刀の物語をひもときます。

イラスト  永井紗耶子

鬼を倒した名刀、いわば「リアル鬼滅の刃」をもう一振りご紹介したいと思います。

平家物語に記された名刀

「平家物語」には、「剣巻」という、刀剣にまつわる物語を記した「別冊」のような本があります。そこに記されている鬼を斬った一振りが「髭切」という刀です。

これを造らせたのは、前回ご紹介した酒呑童子しゅてんどうじ退治で活躍した源頼光の父・源満仲という人物。彼は、藤原摂関家に仕えた武士でした。満仲は刀に強いこだわりがあり、
「武士には強い刀が必要だ」
と、当時の名工である伯耆国ほうきのくに安綱に刀を造らせます。

見事な出来栄えとなったその刀で罪人を斬ったところ、罪人もさることながら、その髭まで切れてしまった。「これはすごい!」と、「髭切」という名が付けられました。何というか……気取りのないストレートな名づけには、この満仲という人の飾らぬ率直さが垣間見えるような気がします。

なお満仲は、「髭切」とともに「膝丸」という名刀も作らせています。「膝丸」の話はまた、次回に。

頼光から渡辺綱へ

「髭切」は満仲から頼光に受け継がれていたのですが、酒呑童子を退治する際に、頼光に仕えた四天王の一人である渡辺綱に譲られました。

この渡辺綱は「源氏物語」の主人公である光源氏のモデルの一人と言われる源とおるの一族で、なかなかの美男子であったとか。そのせいでしょうか、彼にまつわる物語は少なくありません。

鬼を退治する渡辺綱 「綱絵巻」(室町時代、東京国立博物館蔵)より 出典:ColBase

渡辺綱は嵯峨天皇に連なる一族「嵯峨源氏」の一人です。実は綱は満仲の義理の孫に当たり、綱と頼光は甥と叔父の関係でもありました。また、綱は「渡辺」という姓の元祖にあたるので、今いらっしゃる「渡辺さん」の中には、この渡辺綱を先祖に持つ方もおられるかと思います。

さて、刀を受け継いだ渡辺綱は、源頼光と共に大江山の酒呑童子と戦い、英雄となりました。その渡辺綱に纏わる伝説の一つが「橋姫」の物語です。

美男子・綱と橋姫の物語

酒呑童子を退治した後のこと。京都の堀川にかかる一条戻橋もどりばしに、「鬼が出る」とのうわさが立ちます。事の次第を重く見た帝は、渡辺綱に鬼退治を命じました。綱は名刀「髭切」を手にして橋へと向かいました。するとそこには美しい女が一人、たたずんでいました。

「夜道は危ないのでお送りしましょう」
綱がそう申し出ると女は
「愛宕山まで参りましょう」
と答えるや否や、綱の髪を引っつかみ、空へと飛びあがったのです。実はこの女こそが、都を騒がす鬼、「橋姫」。

橋姫は、恋人を別の女に奪われた嫉妬に駆られ、京都の貴船神社に「生きながら鬼になりたい」と願を掛けた女性。鬼になるために体に丹を塗って赤く染め、頭に松明たいまつを立て、口にも松明をくわえる……いわゆる「うしの刻参り」のような装いで都を疾走し、21日もの間、川の中に身を浸して、ついに生きながらにして鬼になったのでした。能面の「橋姫」はずばり、嫉妬で鬼になった女の恐ろしい表情をしています。

そうして橋姫は、この一条戻橋で恋人を奪った女を呪い殺すのはもちろんのこと、その親類縁者をも呪って次々と殺してしまったのです。

歌舞伎、謡曲にも

さて、その女に髪を掴まれ、愛宕山へ連れ去られそうになった綱は、そのまま髭切をふるって、女の腕を切り落とします。そして女の腕と共に空から地上へ落ちました。落ちた先は北野天満宮の境内。綱は辛くも助かりました。切り落とした腕を見てみると、それは女の白い腕ではなく、針のような毛がびっしりと生えた赤黒い鬼の腕であったとか。

京都・北野天満宮の境内には、綱が寄進した燈籠(とうろう)が残る(撮影:沢野未来)

この渡辺綱と橋姫の物語は、刀に纏わる話だけではなく、「この橋姫が実は綱の母であった」という異説なども多々あります。

また、渡辺綱が鬼女を退治した物語は、舞踊の「戻橋」、その鬼が(橋姫でなく)実は酒呑童子の腹心の茨木童子で、綱から切られた腕を取り戻そうとする「茨木」など歌舞伎になっていたり、舞台を一条戻橋から羅生門に移した謡曲「羅生門」が作られたりと、さまざまな芸能に取り入れられています。

美男子・渡辺綱と、妖しく美しい鬼女との組み合わせは、当時の人々の創作意欲をかき立てたに違いありません。

髭切から「鬼切丸」、「獅子の子」、「友切」…

「髭切」は、綱が橋姫を斬った一件から、その名を「鬼切丸」又は「鬼切安綱」と呼ばれるようになったと伝えられています。この名前が変わったタイミングは、「酒呑童子を斬った時」という説もあるようですが、ともかくも、伝説の名刀は「髭切」という名前から「鬼切丸」という勇ましい名に変わったのです。

そして、源氏の武将たちによって代々受け継がれていくことになりました。

平安末期、源為義の時のこと。「髭切」と「膝丸」の2振りを共に置いておくと、夜になると刀がほえる。そこで「髭切」の名を「獅子の子」に改め、「膝丸」を「吼え丸」に改めました。そして為義は「吼え丸」を熊野権現に奉納し、代わりに「小鳥」という銘の刀を造り、それを「獅子の子(髭切)」の傍らに置きました。ところが、「獅子の子」が倒れて、「小鳥」のつかを斬った。そのため、今度は「獅子の子」の名を「友切」に改めたそうです。

やがて為義から息子・義朝へと刀は受け継がれていきました。義朝と言えば、鎌倉幕府を開く源頼朝の父に当たります。

この義朝は保元の乱で父である為義と敵味方となって戦うこととなり、辛うじて勝ちますが、続く平治の乱で平清盛と戦い、敗れます。敗走する義朝の元に、ある日、八幡大菩薩が現れ、「刀の名を次々と変えるのが良くない」と告げられたとか。そこで義朝は、刀の名を再び「髭切」に戻し、それを頼朝に受け継いだとされています。

綱ゆかりの天満宮へ

かくして再び「髭切」となったこの刀は、その後、最上家などに受け継がれ、1880年(明治13年)に渡辺綱が鬼の腕と共に落下したと言われる北野天満宮に奉納されました。

現在でも、重要文化財「太刀 銘安綱(鬼切丸 別名髭切)」として保管されており、天満宮で開かれる展覧会などで、その姿を実際に見ることができます。

重要文化財「太刀 銘安綱(鬼切丸 別名髭切) 」(撮影:沢野未来)

その輝きはえ冴えとしていて、美しい反りが印象的です。鋭い切っ先を見ると、なるほど確かに、これならばすっぱりと鬼の腕さえも切り落とすことができるだろうと思わせてくれます。同時代に造られた三日月宗近に比べると、雄々しくもあるような……。

鬼と戦い、源氏の武士たちと共に歴史的な大事件の数々を経てきた一振りが、こうして今も残されている。虚実入り混じる物語を髣髴ほうふつとさせるだけの猛々たけだけしさと幻想的な魅力が、この刀の中には込められていると思います。

次回は、「髭切」とともに語られるもう一振りの名刀、「膝丸」の物語をお送りします。

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永井 紗耶子

プロフィール

小説家

永井 紗耶子

慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーランスライターとなり、新聞、雑誌などで執筆。日本画も手掛ける。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。著書に『商う狼』『大奥づとめ』(新潮社)『横濱王』(小学館)、歌舞伎を題材とした『木挽町のあだ討ち』(小説新潮)など。近著は『商う狼-江戸商人 杉本茂十郎』(新潮社)。第三回細谷正充賞、第十回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。

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