2021.2.1

【大人の教養・日本美術の時間】都会の美術館探訪 vol. 11 戸栗美術館

【戸栗美術館は臨時休館中です】

都会には、隠れ家のような美術館が点在しています。それは、慌ただしい日常から私たちを解き放ってくれるオアシスのような存在。

美術館の歴史は、美術を愛した人たちの歴史です。代々守り伝えた家宝、あるいはビジネスの傍ら私財を投じて集めた名宝を公開することで、芸術の恵みを広く分かち合おうとした人々。シリーズ「都会の美術館探訪」では、彼らの豊かな人生と美術館をご紹介します。

アートが深く根差した社会は豊かです。日本のビジネスパーソンに美術愛好家がもっと増えることを願って――。

外観(戸栗美術館提供)
戦後の社会変動のなか、伝統を守り伝える

東京・渋谷駅ハチ公口から徒歩15分。高級住宅街、松濤にある戸栗美術館は、実業家、戸栗とおるのコレクション約7000点を収蔵する陶磁器専門の美術館です。

戸栗は大正15年(1926年)、緑深い山梨県南部町に生まれました。

終戦を迎えたのは、19歳の年。社会変動や物資不足に直面しながら、家業の土木建築業と農作業を手伝い、新たに材木業も営みました。

戦後、庶民の生活は急激に変化しました。電化製品が普及し、自転車がオートバイに、農耕機具のすきくわは耕運機に取って代わり、機織り機や生活用具など、先祖伝来の民具が忘れ去られていったのです。

そんな状況のなか、戸栗は一念発起しました。戸栗美術館のパンフレットには、その時の思いがつづられています。

「昭和20年代初頭、終戦後の混乱の中で、アメリカをはじめとする西欧文化が非常な勢いで流入すると共に、日本古来の文化や生活様式が次々と消え去っていきました。

その様子を見て私は、未来を創造していく子供達が、これらを知らずに成長していくのではないかと危惧致しました。

そしていつしか「古民具館」のようなものを作り、先人の英知を次世代へ伝えるべく日頃親しんできた生活の道具である民具や文具を蒐集しゅうしゅう保存し、一般公開したいと志すようになったのです」

品格漂う磁器に魅せられて
戸栗亨(鮫島圭代筆)

昭和27年(1952年)、26歳頃、戸栗は東京に出て建設業者の社長となり、その後、株取引でも莫大ばくだいな利益を上げました。忙しい仕事の傍ら、古民具や古道具を買い集め、40歳頃に古美術商たちと知り合ったことを機に、陶磁器に魅了されます。

無名の職人が作った生活に息づく「用の美」を好んだ戸栗は、陶磁器にも古道具と似た魅力を感じたといいます。「焼き物は幅広く集めると、将来、やりきれなくなる」という周囲の助言を受けて、なかでも磁器の収集に熱を入れ、時には海外にも足を延ばしました。

ここで、磁器の歴史と種類をご紹介しておきましょう。

「磁器」は、粘土で作られる「陶器」とは異なり、陶石と呼ばれる白い石の粉が主成分です。そのため、硬質で、白くつややかな輝きをたたえているのです。

古来、日本人は、中国大陸から運ばれてくる純白の磁器に憧れを抱きました。国内で初めて磁器が作られたのは、江戸時代初め、17世紀初頭のこと。16世紀末に、朝鮮陶工たちが製作技術を伝え、現在の佐賀県・有田の山中で原料となる陶石を発見したと伝わります。

地名から「有田焼」と称され、伊万里津の港から積み出されたため、「伊万里焼」とも呼ばれました。真っ白な素地に青い絵を描いた「染付そめつけ」から、赤や緑などを使った鮮やかな「色絵いろえ」へと絵付けの技法も多様化していきます。

佐賀鍋島藩は、伊万里の山中に藩直営の窯を開き、腕利きの職人を集めて最高級の磁器「鍋島焼」を生産しました。徳川将軍家や幕府高官、大名家への高価な贈り物、また、鍋島藩の自家用としたのです。

17世紀後半には、中国大陸内の動乱により、磁器の名産地・景徳鎮けいとくちんからヨーロッパへの輸出が一時的に途絶え、貿易を行うオランダ東インド会社が有田に目を向けました。そこで、ヨーロッパの貴族の好みにかなうよう、乳白色の素地に、明るく澄んだ色絵が映える柿右衛門様式が開発され、欧州で人気を呼びました。

中国・明代嘉靖年間(1522~66年)頃の景徳鎮で、金も使う豪華絢爛けんらんな「金襴手きんらんで」の磁器が生まれ、日本やイスラム圏に輸出されていました。その影響で、17世紀末頃から、伊万里でも金襴手が作られるようになり、国内向けの高級食器、そして、ヨーロッパの王侯貴族の邸宅を飾る調度品としてもてはやされました。

戸栗は、こうした有田の磁器を網羅する一大コレクションを築きました。それを初めて公開したのは、昭和59年(1984年)のこと。渋谷区立松濤美術館で「戸栗コレクション 有田の染付と色絵―伊万里・柿右衛門・鍋島―」を開催したのです。その内容は、華やかな「色絵」や「金襴手」だけでなく、当時は見過ごされがちであった、青一色の「染付」をも高く評価する、戸栗の美意識を示すものとなりました。

そして、昭和62年(1987年)、還暦を過ぎた戸栗は、ついに長年の夢をかなえます。四十数年に及んだ収集の集大成として、松濤美術館の近くに戸栗美術館を創設したのです。以後、平成19年(2007年)に81歳で亡くなるまで、館長を務めました。

松濤は、磁器にゆかりの深い土地です。ここには江戸時代、紀州徳川家の下屋敷があり、明治維新後、旧佐賀藩主・鍋島家が邸宅を構えたのです。鍋島家は「松濤園」と称する茶園を開き、それが地名の由来と伝わります。

色絵 花卉文 輪花皿 
伊万里 江戸時代(17世紀末~18世紀初)
口径34.2㎝(戸栗美術館所蔵)

開館の際、戸栗が美術館のシンボルマークとしたのは、所蔵品の古伊万里「染付 竹虎文 捻花皿」に描かれた虎の文様でした。戸栗はとら年生まれで、虎が描かれた焼き物を愛好し、数多く収集していたのです。

【臨時休館中・開催概要をご覧ください】戸栗美術館では3月21日まで、「たのしうつくし 古伊万里のかたちII ―ハイライト―」展が開催中です。シンボルマークの作品とは別のものですが、「染付 竹虎文 捻花皿」も展示されていますので、ぜひ、会場でかわいい虎を探してみてください。ほかにも、花や鴛鴦おしどり、竜、唐草など、楽しい文様が描かれた約70点の古伊万里が迎えてくれます。鑑賞後は、木漏れ日が差し込むラウンジでくつろぎのひとときを。ミュージアムショップには、書籍やグッズのほか、折々の企画展に合わせた現代磁器作家の作品も並びます。美術館のインスタグラムには、そうしたうつわに和菓子を盛り付けた写真が投稿され、美しい磁器を生活に取り入れたくなります。

色絵 鳳凰花唐草文 水注 
伊万里(柿右衛門様式) 江戸時代(17世紀後半)
通高16.5㎝(戸栗美術館所蔵)
鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

開催概要

日程

〜2021.3.21

【臨時休館中】
たのしうつくし 古伊万里のかたちII ―ハイライト―

※最新情報は美術館の公式サイトでご確認ください
戸栗美術館

会場

戸栗美術館

東京都渋谷区松濤1-11-3

料金

【臨時休館中】
一般:1200円
高・大生:700円
小・中生:400円

休館日

【臨時休館中】
月曜・火曜

開館時間

【臨時休館中】
〔午前〕10:00 a.m.-12:00 p.m.
〔午後〕1:30 p.m.-4:30 p.m.

お問い合わせ

Tel. 03-3465-0070
【臨時休館中の受付時間】
毎週水曜~日曜
10:00 a.m.-12:00 p.m.、1:30 p.m.-4:30 p.m.

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