2021.1.21

【大人の教養・日本美術の時間】都会の美術館探訪 vol. 10 五島美術館

都会には、隠れ家のような美術館が点在しています。それは、慌ただしい日常から私たちを解き放ってくれるオアシスのような存在。

美術館の歴史は、美術を愛した人たちの歴史です。代々守り伝えた家宝、あるいはビジネスの傍ら私財を投じて集めた名宝を公開することで、芸術の恵みを広く分かち合おうとした人々。シリーズ「都会の美術館探訪」では、彼らの豊かな人生と美術館をご紹介します。

アートが深く根差した社会は豊かです。日本のビジネスパーソンに美術愛好家がもっと増えることを願って――。

大邸宅に招かれたような、至高の鑑賞体験

東京・渋谷駅から電車で20分ほどの小旅行。東急・大井町線の上野毛駅を降りて、世田谷の閑静な住宅街を5分ほど歩くと、緑豊かな美術館が現れます。

ここは、東急グループの礎を築いた五島慶太ごとうけいたのコレクションを収蔵する五島美術館です。所蔵品は、国宝5件、重要文化財50件を含む、日本と東洋の古美術品約5000件におよびます。

数々の特別展に加え、例年は、春に日本最古の絵巻、国宝「源氏物語絵巻」、そして秋に日記文学の傑作、国宝「紫式部日記絵巻」を、それぞれ1週間程度公開し、古美術ファンを魅了してきました。

外観(五島美術館提供)
腕白小僧から鉄道王へ

五島慶太は明治15年(1882年)、山深い長野県小県郡青木村の農家、小林家に生まれました。村の鎮守の拝殿に大きな落書きをするような腕白小僧でしたが、法華経をあつく信仰した両親の影響を受け、「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうと唱えれば、いかなる苦難にも打ち勝てる」という確信や、自己をむなしくして他人のために尽くす「くう」の信念を自然と身につけたといいます。

小学校を出たら家業を手伝うか、奉公に出るべきところでしたが、父に頼み込んで中学校に進学。親への感謝と強い向学心から、十数キロメートルの山道を一日も休まず通ったといいます。

その後、小学校の代用教員を務めながら受験し、東京高等師範学校(現・筑波大学)の英文科に入学。高名な教育者の校長・嘉納かのう治五郎じごろうから、どんなことにぶつかっても「なあに、このくらいのこと」と考えるようにと教わり、胸に刻んだといいます。

卒業後、商業学校の英語教師を経て、東京帝国大学(現・東京大学)の政治学科に入学。その後、同大学の法科大学に転じました。学費の工面に困り、嘉納の紹介で、有力者の子息の、住み込みの家庭教師となります。最初の家庭は、男爵で民法学者の富井政章とみいまさあきら、続いて、外交官でのちに首相となる加藤高明でした。

29歳で卒業後、加藤の紹介で農商務省に入ります。この頃、工学博士・久米民之助の娘・万千代と結婚し、廃絶されていた五島の姓(万千代の母方)を再興しました。鉄道院に移って昇進を重ねながら、合計10年間、役人を務めます。

官から民に転じたのは、38歳の時。実業家・郷誠之助ごうせいのすけに請われて、武蔵電気鉄道の常務に就任したのです。しかし、入ってみると、鉄道の建設資金が集まらず、苦しい経営状況でした。

ちょうどその頃、欧米視察から帰国した渋沢栄一が、首都圏に田園都市を作ろうと、田園調布や洗足などに広大な土地を買い、田園都市株式会社と荏原電気鉄道を設立しました。渋沢は助力を求め、関西の箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)で成功していた小林一三を通じて、五島に声が掛かりました。小林から、「荏原鉄道を先に作って田園都市を建設し、沿線の土地が値上がりしたら、その利益を武蔵鉄道の建設資金に充てればよい」とアドバイスされ、五島は荏原電気鉄道の専務に就任します。

その目論見もくろみはあたり、五島は新しい路線を次々に敷設して、東京横浜電鉄のトップとなりました。

その後、世界大恐慌や、贈収賄疑惑による半年間の獄中生活といった苦難を経ながらも、競合他社を合併。鉄道事業を基盤として、土地、住宅などの不動産業、百貨店事業などで成功しました。

第2次世界大戦中は、運輸通信大臣に就任。閣僚を務めたことで、戦後、公職を追放されます。また、集中排除法などによって、東京急行電鉄・京浜急行電鉄・京王帝都電鉄・小田急電鉄・東横百貨店の5社に再編されました。

昭和26年(1951年)、公職追放が解除されると、東京急行電鉄会長に復帰。東映の再建、老舗百貨店・白木屋の買収、多摩田園都市の開発や伊豆急行の建設などを手がけて、東急グループの基礎を築き上げました。

五島慶太(鮫島圭代筆)
「事業の鬼」と古美術との出会い

五島の古美術収集の始まりは、奈良時代の古写経との出会いでした。鉄道事業で関西に出張するたび、奈良の古代文化に魅せられていったのです。自ら「日本一」と誇った古写経コレクションを築き、次第に僧侶の墨跡などに関心を広げ、やがて、小林一三らの勧めで、茶の湯の世界に足を踏み入れました。

普段は口をへの字に曲げ、厳格な印象だったという五島が、お気に入りの茶碗「鼠志野ねずみしの茶碗ちゃわん めい 峯紅葉みねのもみじ」を手に、優しい表情を浮かべる写真が伝わっています。

美術館の設立を切望し、その準備を進めていた五島ですが、開館を目前に、昭和34年(1959年)、77歳で逝去。その翌年、五島美術館が開館しました。

芦屋真形霰地紋釜あしやしんなりあられじもんかま
鉄器/一合 室町時代・15世紀
(五島美術館)

建築家・吉田五十八いそやによる、王朝文化の香り漂う本館の静謐せいひつな展示室で古美術との対話を楽しんだあとは、約5,000坪の庭園へ。多摩川が流れる南側に向かって急勾配となっており、梅や枝垂しだれ桜、躑躅つつじ、紅葉など、四季折々の彩りが心を和ませてくれます。散策路には、五島が伊豆や長野の鉄道事業の際に引き取ったという、可愛かわいらしい石仏や立派な石灯籠が点在し、なんと古墳まであります。

三つの茶室(普段は非公開)の古雅なたたずまいも、庭園の大きな魅力。古写経を愛した五島の号を冠した「古経楼こきょうろう」と、隣接する「松寿庵」。五島自ら揮毫きごうした額字を掲げる「冨士見亭」の大きな窓からは、二子玉川の町並みや丹沢の山々が望めます。筆者は、ここで茶会のお手伝いをさせていただいたことがあり、りんとした空気と、窓の外の清々すがすがしい緑が忘れられません。

生前、五島は毎朝、この庭園を散歩したといいます。その剛腕ぶりから、「事業の鬼」と呼ばれた大事業家の素顔に、思いをせてはいかがでしょうか。

※五島美術館では2月14日まで、「館蔵 茶道具取合せ展」を開催中です。上記の三つの茶室の床の間が再現され、茶会で客に供される順番を示すなど、茶の湯初心者にもわかりやすい展示になっています。自分ならどの茶碗で抹茶を楽しみたいか、想像しながら鑑賞するのもおすすめです。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

開催概要

日程

〜2021.2.14

館蔵 茶道具取合せ展

会場

五島美術館

東京都世田谷区
上野毛3-9-25

料金

一般:1000円
高校・大学生:700円
中学生以下:無料

※障害者手帳所持者、介助者1人は200円引き
※庭園入園のみは300円(中学生以下無料)
※館内入場者数制限のため、団体割引は休止中

休館日

月曜

開館時間

10:00 a.m.-5:00 p.m.
(入館は 4:30 p.m. まで)

お問い合わせ

Tel. 050-5541-8600(ハローダイヤル)

美術館からのメッセージ:会期、休館日などを変更する場合がありますので、ご来館前に最新情報をご確認ください。

五島美術館公式サイト

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