2020.12.7

【大人の教養・日本美術の時間】都会の美術館探訪 vol. 5 根津美術館

根津美術館エントランスホール(根津美術館提供)

都会には、隠れ家のような美術館が点在しています。それは、慌ただしい日常から私たちを解き放ってくれるオアシスのような存在。

美術館の歴史は、美術を愛した人たちの歴史です。代々守り伝えた家宝、あるいはビジネスの傍ら私財を投じて集めた名宝を公開することで、芸術の恵みを広く分かち合おうとした人々。シリーズ「都会の美術館探訪」では、彼らの豊かな人生と美術館をご紹介します。

アートが深く根差した社会は豊かです。日本のビジネスパーソンに美術愛好家がもっと増えることを願って――。

おしゃれな街にたたずむ古美術の殿堂

東京・青山の東京メトロ・表参道駅を降りて、華やかなショーウィンドーを眺めながら、みゆき通りの並木道を8分ほど散歩すると、竹の生け垣に囲まれた大きな屋根のモダンな建物が迎えてくれます。

外観(根津美術館提供)

ここは、東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎かいちろうが収集した日本・東洋の古美術品を公開するため、息子の2代目嘉一郎が、邸宅の敷地に設立した根津美術館です。

所蔵品には、金地に鮮やかな燕子花かきつばたがリズミカルに配された尾形光琳おがたこうりん筆「燕子花図屏風びょうぶ」や、神様のおわす清らかな那智なちの滝を描いた「那智たき図」をはじめ、国宝7件、重要文化財88件を含み、初代嘉一郎の確かな鑑識眼を物語っています。

根津美術館は、世の美術コレクターから厚い信頼を得て、多くの寄贈品を受け入れてきたため、設立当時、4643点でスタートした所蔵品数は現在、7420件を数えます。

鉄道王

初代嘉一郎は、江戸時代末の万延元年(1860年)、現在の山梨市で、商家を兼ねた豪農の次男として生まれました。物怖ものおじせず、才知にたけ、数え年8歳で寺子屋に入門する頃には、村一番の餓鬼大将だったとか。

初代根津嘉一郎 (鮫島圭代筆)

明治維新を迎えたのは9歳の年。18歳で地元の役所に勤めたのち、21歳で故郷を離れ、東京・池之端の漢学塾に入門。母の病を機に故郷に戻り、父の隠居後は、病弱な兄に代わって一家の主となりました。家業のかたわら、村会議員、郡会議員、県会議員、村長を歴任。やがて、兄に家督を譲って分家し、37歳で東京へ進出しました。

一時は株式投資に熱中するも、同郷の大実業家・雨宮敬次郎あめみやけいじろうから、事業で名を残すよう助言を受けたとか。

生涯を通じて130社を超える企業経営に関わり、なかでも、東武鉄道をはじめとする鉄道会社40社の設立や再建を果たした功績から「鉄道王」と呼ばれます。衆議院議員を4期務め、50歳の時には、渋沢栄一が率いる「渡米実業団」の一員としてアメリカを周遊。東大進学者を多数輩出する名門、武蔵高等学校の設立にも尽力しました。

「美術報国」

嘉一郎は、20代後半から古美術にかれ、山梨から用事で東京に出るたびに、忙しい合間を縫って京橋あたりの道具屋を見て歩き、帰りは荷物が2、3箱にもなったとか。その鑑識眼は、博物館に入り浸り、各所の売立に顔を出すうちに、自然と身についたといいます。

明治時代初めは、日本美術にとって受難の時代でした。明治維新後、没落した武家の家財道具が二束三文で売り払われ、また、政府の神仏分離政策にともなう仏教の排斥運動により、多くの古美術や仏教美術が海外に流出していたのです。

嘉一郎はこの状況に危機感を抱き、大金を投じてでも、貴重な美術品を国内にとどめようと使命感に燃え、「美術報国」と称して美術品収集に力を入れました。また、嘉一郎のコレクションを見たいという人々を「美術外交」といって歓迎し、多い時には欧米からも含め、年間500~600人を迎えたとか。美術品の売買を行う東京美術倶楽部の設立も支援しました。

都会のオアシスの誕生

明治39年(1906年)、47歳の年、嘉一郎は青山に1万4000坪の土地を購入しました。江戸時代には武家屋敷が並び、当時は華族や高級官僚が多く住むエリアで、隣は大隈重信邸でした。ここに1000坪もの平屋と、美術品収蔵用の2棟の蔵、収蔵・陳列用の洋館を建て、完成に至ったのは大正12年(1923年)のことです。

嘉一郎は、緑豊かで水に恵まれ、起伏に富む地形を生かして庭を整備し、数軒の茶室を建てました。

そして、明治の大実業家のご多分に漏れず、茶の湯をたしなんで茶道具を集め、地名にちなんで自らを「青山せいざん」と号しました。茶席を開くようになったのは58歳の時です。嘉一郎を茶の道へと誘ったのは、三越などで活躍後、茶の湯三昧の生活を送った高橋義雄(号・箒庵そうあん)や、三井財閥を支えた実業家で「千利休以来の大茶人」と称えられた益田孝ますだたかし(号・鈍翁どんおう)など、錚々そうそうたる面々でした。

今も根津美術館の庭園では、湧水と滝が涼やかな音を立て、池の水が豊かに保たれています。そして、庭を巡ると、そこかしこに石仏や灯籠が置かれ、豊かな緑に覆われて、荘厳な雰囲気を醸しています。

そうした石仏や灯籠は、明治維新以降、無神論が広がるのを憂えた嘉一郎が、大寺院の建立を計画し、その準備として収集したものと伝わります。昭和8年(1933年)には、埼玉県朝霞町に5万3000坪の土地を購入し、また、巨大な梵鐘ぼんしょうや、高さ15メートルもの大仏の塑像を完成させました。しかし、大仏の材料として集めた銅は、日中戦争のため、軍に供出する事態となります。

そして、夢半ば、昭和14年(1939年)に毎年恒例の年末茶会を催したのち、嘉一郎は体調を崩し、年明けに享年80歳で世を去ります。

父の志を胸に

その後、27歳の長男、藤太郎とうたろうが2代目嘉一郎を襲名。父の収集品すべてと、青山の土地建物を寄付して、昭和16年(1941年)、根津美術館を開館しました。

しかし、この年の暮れ、太平洋戦争が勃発します。美術館は2年後に休館し、所蔵品は疎開。東京大空襲で辺りは焼け野原と化し、美術館、根津邸、数軒の茶室もろとも焼失しました。

かろうじて3棟の蔵が残るという苦難のなか、父の志を継いだ2代目の思いは強く、なんと、終戦の翌年に早くも展示を再開。旧根津邸のサンルームの鉄骨を使ったバラックで、書画と工芸品20点を公開したのです。

庭園内の茶室「弘仁亭」(根津美術館提供)

その後、美術館本館が再建され、さらに20年の歳月をかけて、庭園の茶室が再建・移築されました。そのひとつ、弘仁亭は、大倉財閥の大倉邸(赤坂)から移築されたもので、その前に広がる池には、毎年春に燕子花が咲き競い、同時期に、展示室では「燕子花図屏風」がお披露目されます。

庭園の石仏(根津美術館)

※根津美術館では12月20日まで、財団創立80 周年記念特別展「根津美術館の国宝・重要文化財」(開催概要⇩)が開催されています。館が誇る指定品95件がずらりと並ぶ、またとない展示を堪能したあと、秋の彩りが残る庭園を散策し、ガラス張りのカフェで美しい紅葉を眺めれば、パワーチャージできること請け合いです。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

開催概要

日程

〜2020.12.20

10:00 a.m. - 5:00 p.m.
(入館は 4:30 p.m. まで)

会場

根津美術館

東京都港区
南青山6-5-1

料金

〔日時指定予約制〕
一般:1500円
学生:1200円
中学生以下:無料
※障害者手帳提示者と同伴者は200円引き

休館日

月曜日

お問い合わせ

Tel. 03-3400-2536

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