2020.11.27

【大人の教養・日本美術の時間】日本美術を駆ける空想上の生き物 vol. 5 天馬

竜、獅子、麒麟きりん、天馬などの空想上の神聖な生き物を「霊獣」といいます。古代、人々の願いや恐れ、憧れを投影して生み出されて、世界各地に伝播でんぱしました。アジアの竜とヨーロッパのドラゴン、アジアの天馬とヨーロッパのペガサスなど、似たモチーフが洋の東西に見られ、いにしえの広範な文化交流を物語っています。

シリーズ「日本美術を駆ける空想上の生き物」では、日本で描かれた霊獣をひとつずつご紹介します。美術展にお出かけの際は、ぜひ彼らの姿を探してみてください。

人間の憧れ、空を駆ける馬

馬が家畜化されたのは、紀元前4000年から3000年頃といわれ、古代の人々は、より速く、力強く、遠くへと駆ける理想の馬を思い描きました。

西アジアでは、獅子の頭にわしの翼を持つ合成獣が考え出され、紀元前1000年以前に、空を飛ぶ「天馬」が誕生したといわれます。

時を経て紀元前8世紀頃から、コリントをはじめとするギリシャの都市国家が、西アジアへの植民を推し進めました。おのずと、西アジアの霊獣たちがギリシャに伝わり、そうしたなかでギリシャ神話の翼を持つ馬、ペガサスが考え出されたようです。

天馬とペガサス(鮫島圭代筆)

ペガサスは、英雄ペルセウスが怪物メドゥーサの首を切り落とした瞬間に噴き出た血の中から生まれます。そして、コリントの英雄ベレロポンは、ペイレーネの泉の水を飲みに来たペガサスに出会い、女神アテネにもらった金のくつわで手なづけて、その背にまたがって空を駆け、怪獣キマイラを退治します。

ベレロポンの故郷とされるコリントには実際、紀元前8世紀頃、騎馬用の轡がいち早く登場し、それによって、チャリオット(二輪馬車)に代わって、騎兵が戦場の新しい主役となりました。

ギリシャ神話には、チャリオットをく天馬も登場します。太陽神ヘリオスや暁の女神エオスの天空を飛ぶチャリオット、英雄アキレウスが乗る戦車のチャリオット、そして冥界めいかいへと下るチャリオットが、神話世界を自在に駆けるのです。

東の空へと翔ける天馬

古代ペルシャは「文明の十字路」と呼ばれます。

紀元前331年、マケドニアのアレキサンダー大王が、アケメネス朝ペルシャを滅ぼしたのを機に、この地に、ギリシャ文化の色彩が強いヘレニズム文化が花開きます。ペガサスの文様も伝わり、その後のパルティアやササン朝ペルシャにも受け継がれました。また、 ペルシャで盛んに信仰されたゾロアスター教には、生命の泉と聖樹に集う霊獣という世界観があり、それがペイレーネの泉の水を飲むペガサスと重ね合わされたともいわれます。

中国

紀元前に遡る古代中国では、神がすむ不老不死の理想郷「神仙世界」の存在が信じられ、竜や鳳凰ほうおうなどとともに、翼を持った馬が生み出されました。翼を持つ仙人が跨がる天馬は、地上を離れて仙界へ上ろうとする願いの象徴といわれます。墓室や副葬品には、死者の魂の安寧を願って、この世とあの世を結ぶ天馬が描かれました。

やがて、前漢の武帝(紀元前159-前87年)が、西方に張騫ちょうけんを派遣したのを機に、シルクロードの交易が本格化し、ペルシャの天馬が中国へと伝わります。

武帝は、北方遊牧民の脅威に対抗するため、強靭きょうじんな馬を求めました。司馬遷の『史記』によれば、1日に千里を走り、血の汗を流すという「汗血馬かんけつば」の話を張騫から聞き、西域に将軍を派遣したということです。そして、連れ帰られた名馬は、この世の「天馬」とたたえられたとか。

唐の時代になると、都・長安は、シルクロードを通じて世界の文物が集まる空前の国際都市となりました。ここにきて、天馬は神仙世界から飛び出し、西域起源の唐草文などと組み合わされるおめでたい吉祥文様へと変貌へんぼうします。

日本

大陸や朝鮮半島から日本に乗馬の風習が伝わったのは、古墳時代といわれます。最古の競馬の記録は『続日本紀しょくにほんぎ』にあり、飛鳥時代末、天皇臨席のもとで行われたといいます。平安時代末には、京都の上賀茂神社で、天下泰平・五穀豊穣ほうじょうを祈願する競馬くらべうまの神事が始まりました。

そして、紀元前にはるか西方で生まれた天馬が、ついにシルクロードの東の終着点、奈良に降り立ったのは、飛鳥時代のことといわれます。

法隆寺に伝来した織物「四騎獅子狩文錦しきししかりもんきん」には、王が翼を持つ馬に跨がり、振り向きざまに獅子に弓を射かける姿が表されています。狩猟する王の文様はペルシャ起源ですが、翼を持つ馬に跨がるバージョンは、の地にはないとか。一方、馬の尻には漢字の「吉」や「山」が表されており、 ペルシャ起源の玉を連ねた連珠文も見られます。

つまり、この織物は、狩猟文と天馬、そして、連珠文というペルシャの図柄を組み合わせて唐で作られ、日本に伝来したと考えられ、まさにシルクロードの文化交流の賜物たまものなのです。

仏教のなかの天馬

ヘレニズム文化のペガサスは、紀元前のインドにも伝わりました。聖典『リグ・ヴェーダ』に記される、馬車に乗る太陽神スーリヤと、金色の馬に乗る暁の神サヴィトリは、ギリシャ神話の太陽神と暁の女神を想起させます。スーリヤはやがて仏教に取り入れられ、太陽を神格化した日天となりました。

そして、仏教で最も有名な馬といえば、釈迦の愛馬カンタカです。

『絵過去現在因果経』には、出家を決意した太子時代の釈迦が、白く優美なカンタカに跨がり、天人たちに囲まれて、城門を飛び越える様子が描かれます。馬にも天人にも翼はありませんが、一行が乗る雲、もしくは、雲を生み出した仏の力によって、空を飛ぶのです。

重要文化財 絵過去現在因果経 第四巻
(画)慶忍・聖衆丸筆  (写経)良盛筆 1巻 紙本着色・墨書
鎌倉時代 建長6年(1254年)
根津美術館蔵

そのほか、聖徳太子を乗せて富士山を越えた愛馬・黒駒くろこまや、弘法大師空海を乗せて天竺てんじくまで案内した白馬も、やはり翼を持たずして天を駆けます。

そのほか、古代インドの説話が起源といわれる、観音が白馬に姿を変えて浮遊し、海難から人々を救う話も、石山寺縁起などに伝わります。

より速く、力強く、遠くへ――太古の人々の想像力が生み出した夢の馬、天馬をたどる旅はいかがでしたか。

※根津美術館で12月20日まで開催中の財団創立80 周年記念特別展「根津美術館の国宝・重要文化財」(日時指定予約制、開催概要⇩)では、重要文化財『絵過去現在因果経』が展示されます。雲に乗る釈迦の愛馬カンタカの優美な姿に出会えるたいへん貴重な機会です。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

開催概要

日程

2020.11.14〜2020.12.20

10:00 a.m. ~ 5:00 p.m.
(入館は 4:30 p.m. まで)

会場

根津美術館

東京都港区
南青山6‐5‐1

料金

〔オンライン日時指定予約制〕
一般:1500円
学生:1200円
中学生以下:無料
※障害者手帳提示者と同伴者は200円引き

休館日

月曜

お問い合わせ

Tel. 03-3400-2536

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