2020.2.21

【大人の教養・日本美術の時間】勾玉はなぜあんな形なの?

「さまざまな玉と首飾り」(鮫島圭代筆)

勾玉まがたまは、日本人にはなじみ深いものですね。出雲大社など、神社のお守りについていることも多いですし、埼玉県のマークは勾玉を丸く並べたデザインです。

でも実はあの形、世界の宝飾品の歴史のなかでは珍しいのです。今回のコラムでは、古代のたまの歴史を紐解ひもときながら、その魅力に迫ります。

玉(たま)と玉(ぎょく)の違いは?

奈良時代の初めに完成したとされる『古事記』では、天岩戸あまのいわとに閉じこもってしまった天照あまてらす大御神おおみかみを外に出すために、鏡作りの女神らが作った大きな鏡と、玉づくりの神が作った勾玉を連ねた玉飾りをかかげて儀式を行い、芸能の女神が舞い踊ります。

そしてのちに、天照大御神は、この時に作られた八尺瓊やさかにの勾玉まがたま八咫鏡やたのかがみ、そして草薙剣くさなぎのつるぎを、天上界から地上へとくだ邇邇芸命ににぎのみことに持たせました。これが、皇位のしるしとされる「三種の神器」です。

古代、勾玉が特別なものだったことが感じられますね。

ところで、勾玉の「玉」の字は「ぎょく」とも読めます。玉は、古代の中国で珍重された、半透明で深い緑色をたたえる翡翠ひすいなどの宝石です。祭祀さいし用の道具やアクセサリーなどが作られました。

ちなみに、「翡翠」の字は鳥の翡翠カワセミと同じ漢字ですね。中国で本来、カワセミを示す言葉だった「翡翠」の字を、その羽と色が似ている石にも転用したといわれます。

一方、「たま」は、古代の日本や朝鮮半島で、あなをあけて連ね、ネックレスなどにしたものです。縄文時代の遺跡からは、ネックレスのほか、髪飾り、ピアス、腕輪などが出土しており、古墳時代の人物埴輪はにわにはアクセサリーを身につけた姿をかたどったものもあります。

とはいえ現代のように単なるおしゃれで身につけたのではなく、大人になったしるしや、社会的な地位を表すため、あるいは魔よけのためだったようです。美しいたまは、魂・たまに通じる特別なものだったといわれます。

「C」の形は動物の牙がルーツ?

玉といっても、丸いものだけではなく、Cの字のような形の勾玉、細長い管玉くだたま、名称通りの形をした棗玉なつめだま算盤玉そろばんだまなど多種多様です。

冒頭でご紹介したとおり、とりわけ勾玉の形は世界的にも珍しく、中国のぎょくにも見当たりません。一説には、縄文時代に動物の牙で作った玉がルーツともいわれています。たしかに、形が牙に似ていますね。牙などで作ったアクセサリーには、その動物の力を身にまとうという意味もあったようです。

日本で玉が作られるようになったのは、紀元前1万3千年、旧石器時代末頃といわれ、当初は、身近な石や貝、動物の牙や骨、粘土などが素材でした。

そして縄文時代前期末頃に、新潟県糸魚川いといがわ市の姫川流域で、翡翠製の玉が作られるようになりました。伝説では、『古事記』に登場する女王・沼河比売ぬなかわひめが、古代、この地の翡翠の玉づくりを支配していたといいます。

鉄やダイヤモンドの工具のなかった当時、硬い翡翠にどうやって孔をあけたのでしょう。同じくらいの硬さを持つ砂を研磨剤として翡翠の表面にいておき、火おこし器の先に細い竹などを取り付けて回転させたともいわれます。

この技術は難しく、割れてしまったものや、孔の方向がずれてしまったものなど、失敗作も数多く出土しています。

こうして作られた翡翠の玉は、北海道から沖縄まで日本列島全域で発見されています。広く交易が行われていたのですね。大きな集落の遺跡でも一つしか出土しないことが多く、貴重な宝石としてムラの有力者やシャーマンなどが身につけたのでしょう。

海外との交流で材料も多彩に

弥生時代になると、翡翠と同じく緑色の、凝灰岩ぎょうかいがん碧玉へきぎょくで作った菅玉も盛んにつくられました。古代日本の人々は、緑色の石に特別な力を感じていたようです。

日本列島では産出しない天河石てんがせきの菅玉やガラス玉なども、朝鮮半島からもたらされました。ガラス玉のなかには、はるか遠く西方から、シルクロードを越えて伝わったものもあります。そして、日本にはガラスを一から作る技術はなかったものの、輸入されたガラス素材を加工した玉づくりも行われました。

続く古墳時代は、日本史上、玉が最も珍重され、発展した時代です。膨大な数の多彩な玉が作られ、巫女みこや豪族が身につけ、祭祀の場で捧げられ、古墳には玉飾りで美しく身を飾った有力者が葬られました。

一大生産地は、緑色の石が採れる北陸から、出雲の花仙山かせんさん周辺へと移り、緑色の石だけでなく、赤い瑪瑙めのうや透明な水晶製の勾玉も作られました。やがて強大な政権を誇った奈良・大和に専業工房が置かれ、出雲の工人が技術を指導したようです。その後、大規模な玉づくりは出雲に集約され、古墳の増加にともなって需要が高まり、フル稼働で生産されたといわれます。

また、大陸や朝鮮半島から金工製品や鋳造技術が輸入され、青銅や銀で作られた玉、さらには、まばゆい黄金製の勾玉も作られました。

一方、海の向こう、朝鮮半島の墓からは翡翠製の勾玉が出土しています。日本とは異なり、冠やベルトの飾りとして使われたようです。かの地では今のところ翡翠の産地が確認されていないため、翡翠製の勾玉は日本から輸入されたとも考えられています。

玉の歴史を通して、古代の壮大な文化交流までうかがい知ることができましたね。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内で墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

開催概要

日程

2020.1.15〜2020.3.8

9時30分~17時
※毎週金曜、土曜日は21時まで開館(入館は閉館の30分前まで)

会場

東京国立博物館 平成館
〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9

料金

一般1600円、大学生1200円、高校生900円など

休館日

月曜日、2月25日(火)
※2月24日(月・休日)は開館

お問い合わせ

03-5777-8600(ハローダイヤル)

Share

0%

関連記事Related articles

編集部からFrom the Editor

一覧ページへ