2020.4.14

【ボンボニエールの物語vol.19】さくら、さくらのボンボニエールの物語

桜花形
山階宮萩麿王成年式 大正15年(1926年)5月9日
径6.0×高2.0 ㎝(学習院大学史料館蔵)
桜の意匠のボンボニエール

今年、東京では観測史上最速、3月14日に桜が開花し、すでに葉桜となっている木も多いが、やはり4月は桜の季節である。そこで今回は桜の意匠のボンボニエールをご紹介、ということで調べてみたところ、桜意匠のボンボニエールが数多くあることが判明した。やはり日本人は桜が好きなのだと改めて実感した次第である。

まずは桜の花の形そのままずばりのボンボニエール。山階宮萩麿王やましなのみやはぎまろおうの成年式祝宴のものである。山階宮萩麿王のお印が桜、と思いきや、萩麿王のお印は菊。恐らくは萩麿王が海軍少尉であったことから、この意匠になったのではないかと推測する。海軍のマークは「桜にいかり」なので。

上皇ご夫妻銀婚式のボンボニエール

上皇ご夫妻は昭和34年(1959年)4月10日、桜の季節にご結婚された。そのご結婚25年を祝する銀婚式のボンボニエールは、蓋表に桜、しべの部分に上皇さまのお印である「榮」を配する。では、上皇后さまのお印「白樺しらかば」はどこに?と探すと蓋裏に白樺の花折枝があるのである。上皇后さまの寄り添うお気持ちを表しているようで、心がほんのりと温まるボンボニエールである。

丸形桜に榮印
昭和59年(1984年)4月10日 上皇・上皇后両陛下銀婚記念
径5.6×高さ3.3 ㎝(個人蔵)
学習院のボンボニエール

こちらのボンボニエールは手前味噌みそとなるが、学習院オリジナルボンボニエールとして販売されているものである。学習院について、今まできちんとご紹介したことがなかったので、今回ちょっとお話ししたいと思う。

白磁製丸形桜花紋
径6.5×高さ4.5 ㎝(学習院大学史料館蔵)

学習院は明治の初めに華族子女の教育機関として、華族会館により設立された。

明治維新の翌年、明治2年(1869年)6月17日に版籍奉還が行われた、ということは歴史の教科書で学んだと思う。その同じ日に出された行政官布達ふたつにより今までの「公家」と「大名」の身分をなくし、華族という新たな身分制度が作られた。その華族に対して、明治4年(1871年)に明治天皇から「華族たちは社会的責任を果たさなければならない」とのお言葉があった。その実現のためには華族の結束と教育が必要であった。まずは海外へ行き見聞を広めるために、岩倉使節団を派遣し、明治7年(1874年)には華族会館を設立、そして、華族子女の教育のための学校を創設したのである。

明治10年(1877年)10月17日天皇・皇后の行幸啓の元、学校開業式が行われ、天皇より「学習院」という学校名を賜った。「学習院」はもともと幕末の弘化4年(1847年)に京都御所東側につくられた公家のための教育機関で、嘉永2年(1849年)には孝明天皇から「学習院」の額を賜ったことから、その名で呼ばれるようになった。その額も明治天皇より同時に下賜された。この額は現在、当館収蔵庫に大切に保管されている。

学習院は明治17年(1884年)からは宮内省立となるが、戦後は私立学校となった。

明治のいわばセレブのために設立された学習院には「日本で初めて」導入されたものがいろいろある。その筆頭は制服とラ ンドセルであろう。開校2年後の明治12年(1879年)に導入された「海軍士官型詰襟制服」は、ほぼ形を変えることなく現在も着用されている。その制服の帽子には徽章きしょうがついているが、それは桜の意匠であり、この桜が学習院のシンボルとなった。

目白の学習院のキャンパスには明治・大正時代に建造された校舎も残り、ここそこに桜の意匠が隠されている。キャンパス自体にも数多くの桜の木が植えられており、春は桜の名所となっている。

来年の春、ぜひとも桜と桜の意匠を見に学習院へお越しください。

長佐古美奈子

プロフィール

学習院大学史料館学芸員

長佐古美奈子

学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。

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