2019.9.5

【ボンボニエールの物語 vol. 2】明治22年 最初の物語

明治、大正、昭和、平成、そして令和の時代にも続くボンボニエールの物語。 今回はその最初の物語――それは明治22年(1889年)に始まる。

円形三つ巴文「二五四九紀元節」銘(明治22年、個人蔵)

明治維新、幕藩体制が終わりを告げ、武家だけでなく、武家に関わっていた多くの人々が職を失った。時代の変化の波に翻弄ほんろうされたのは、武家側だけでない。政治の表舞台に立つことになった明治天皇にも激しい変化が押し寄せた。慶応4年(1868年)3月、16歳だった天皇はうっすらと白粉おしろいをはたき、薄紅うすべにをさした姿(もちろん和装)で、初めて外国人と会見した。この時から皇室外交が始まるのである。

天皇が住み慣れた京都を後にし、旧江戸城に入ったのは同じ年、元号が明治となった10月のこと。翌年の2月には英国王子が日本を公式訪問することとなった。初めての外国からの大切なお客様のおもてなしに際し、まずは浜離宮はまりきゅう内に迎賓げいひん施設を造った。延遼館えんりょうかんと名付けられたその建物はもちろん今はもうないが、舛添要一都知事の時代、東京オリンピックのおもてなし施設として復元する計画が持ち上がった。しかし、小池百合子都知事となり、なかったことにされてしまった。誠に残念である。延遼館内の机や椅子は香港から取り寄せ、料理は和食の高級料亭八百善やおぜんがデリバリーした。日本側が右往左往しながら考え抜いたおもてなしであったが、英国側からは苦情が来た。日本が国際儀礼のルールを知らなかったからである。

宮中晩餐会はフランス料理に

そこから皇室も猛然と西洋の風習を取り入れることとなる。まずは見た目から、ということで、明治天皇は明治6年(1873年)4月に断髪し、洋装となった。江戸時代には仏教上のタブーであった肉も食べるようになり、おもてなしの最高峰・宮中晩餐ばんさん会の料理もフランス料理になった。

一方、天皇に比べると皇后の西洋化(洋装化)は遅かった。明治16年(1883年)に鹿鳴館ろくめいかんが落成し、舞踏会が催されるようになったが、人前で肌を見せることなどなかった婦人たちの間では、ドレス着用がなかなか進まなかった。そこで文字通り一肌脱いだのが皇后美子はるこであった。当初は明治天皇の反対もあったが、明治19年(1886年)の新年儀式よりドレス着用で臨み、そこから皇族や華族の婦女子の洋装化が進んだ。皇后はドレス着用にあたり、ドレスの生地や装飾には国産を用いることを奨励した。明治維新で職を失った者たちの救済と伝統文化の保存のためである。現在の皇室の行動の原点がここにもある。

ようやく西洋的な形を整え、迎えたのが明治22年(1889年)2月11日の大日本帝国憲法発布式である。東アジアで最初の立憲国家となったことを国内外に示すため、前年に落成したばかりの明治宮殿で大規模な儀式と饗宴きょうえんが催された。皇后はピンク色のローブ・デコルテ(robe décolletée)と呼ばれる襟元や背中が大きく開いたドレスで儀式に臨んだ。その後の宮中晩餐会ではフランスの名窯セーブル焼を見本として日本で製作された食器にてフランス料理が振る舞われた。この時に使用された食器、それと同様式のものが現在の宮中晩餐会でも使用され続けているのである。同じ食器を使うということは、同じようなメニューが出る、ということで、現在の皇室の宮中饗宴会の料理は19世紀風のオーソドックスなフランス料理。世界遺産的なものなのである。

そして、その宮中晩餐会の後に列席者に配られたものがある。そう、それがボンボニエール。皇室の初めてのボンボニエールは、後年の記録から、1400個用意されたと判明する。この際に配られたと言われるボンボニエールは、現在5~6種類見つかっている。いずれも径4センチほどの金属メッキ製である。こんなにバリエーションが多い理由は、おそらく皇室がオリジナルデザインで発注したのではなく、既製品に菊御紋と年紀を入れて使用したからだろう。この時の引き出物が皇室最初のボンボニエールと思われるが、なぜ登場したのか、誰のアイデアなのか、まだまだわからないことだらけである。

明治27年にはオリジナルデザインが登場

次にボンボニエールが登場するのは明治27年(1894年)、明治天皇・皇后の大婚25年祝典(銀婚式)。銀婚式はもちろん西欧由来の習慣で、それを滞りなく行うことで、皇室が西欧式儀礼を身につけたことを示す意味があった。例えば、天皇・皇后が同じ馬車に乗り、人前で手をつなぐというようなことである。ここにも現在の皇室の振る舞いの原点がある。

鶴亀形(明治27年明治天皇大婚25年)

この祝典の下賜品について、明治天皇の事績を記した『明治天皇紀』では、饗宴に招かれ、陪席した621人には「蓋に岩上の鶴亀を付した銀製菓子器」が下賜され、立食の宴に参加した1208人には「鶴亀の彫刻ある銀製菓子器」が配られたと記されている。明治22年のものと比べると、純銀製で、技巧も駆使している。これが、皇室オリジナルデザインのボンボニエール、そのはじまりとなるのである。

正円香合形鶴亀文(明治27年明治天皇大婚25年、個人蔵)
長佐古美奈子

プロフィール

学習院大学史料館学芸員

長佐古美奈子

学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。

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