2021.2.25

「ボンボニエールの物語vol.40」李王家のボンボニエールの物語

匜形いがた雷文繋らいもんつなぎ
6.5 × 3.2 高さ3.7 cm
(学習院大学史料館蔵)

李氏朝鮮の歴代国王家・李王家(イワンガ)は明治43年(1910年)の韓国併合後、日本の王公族となり、皇族に準じる待遇を受けた。(【ボンボニエールの物語 vol. 8】大正9年 はかない紙と強い愛の物語

その李王家の家紋である李花紋が付されたボンボニエールが数多く残る。日本の王公族として、日本の皇室と同じように、慶事の際にボンボニエールを制作下賜したと考えられる。

李王家のボンボニエール

日本のボンボニエールは、日本の伝統的な器物の形を模し、職人保護のため、伝統的な工芸技術をもって制作され、そして、諸外国への広報的役割も担っていた。李王家のボンボニエールもおそらく同じ意図をもって制作されたのだろう。李王家が選択した伝統的な器物の形、それは李朝祭祀さいしの際に祭器として用いられた古代中国の青銅器の器形であった。

トップの写真のとは、水を注ぐ容器で、楕円だえん形の器形に大きな注ぎ口と獣のような四足がつく。匜形には、このように、動物から水を注ぐ趣向の器形が多く見られる。

 中国・春秋中期 紀元前7世紀
14.1 x 26.9 高さ13.9 cm
(奈良国立博物館蔵)
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

この下の写真は、てい形のボンボニエールである。鼎は現在の鍋の原形で、「かなえ」とも呼ばれる。三つの足と二つの耳をつけた器形の鍋である。元来は炊事用であったが、神にささげる生けにえを煮るようになって祭器となり、のちには王位の象徴となった。故事にある「かなえの軽重」とは、王、すなわち統治者の実力の有無を言う言葉となった。

てい
径4.0 高さ5.5 cm
(学習院大学史料館蔵)
李王職美術品製作所

こういった李王家の家紋付きのボンボニエールには、「漢美」「漢城かんじょう美術」もしくは「美」という製造者を表す刻印を伴うものが多い。「漢美」「漢城美術」は「漢城美術品製作所」、「美」は「李王職美術品製作所」を示す。

漢城美術品製作所は1909年に設立された美術品の製作所である。1911年からは李王家の直轄となり、李王職美術品製作所と名を改めた。

李王職美術品製作所のモットーは、「日本で製作する美術工芸品より低廉で、良い材料を使用し、質の良い製品を送り出すこと」。当初は「金工部」「染織部」の2局で始まったが、その後、部署は次第に増え、螺鈿らでん漆器や青磁、粉青沙器ふんせいさきなど、朝鮮伝統工芸品の製作がなされた。

以下、李王職美術品製作所によるボンボニエールをいくつかご覧いただき、朝鮮の伝統工芸の美を味わっていただきたい。


径3.5 幅6.2 高さ5.2 cm
(学習院大学史料館蔵)
注口付扁壺ちゅうこうつきへんこ
1.6×4.8 長さ6.6 高さ5.0 cm
(学習院大学史料館蔵)
方鼎ほうてい
4.8×3.7 高さ5.3 cm
(学習院大学史料館蔵)

なお、ここに挙げたもの以外の李王家のボンボニエールは、学習院大学史料館ホームページの「ボンボニエール図鑑」よりご覧いただける。

長佐古美奈子

プロフィール

学習院大学史料館学芸員

長佐古美奈子

学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。

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